上智大学の英語にみる生きた英語について

上智大学と言うと英語が出来る人が行くイメージがある。

ところが上智大学の英語の問題について、
塾の先生でも2つの意見に分かれるのが実に興味深い。

上智の英語は難しい」

上智の英語はクソ簡単」

どちらが正しいのだろうか???

これについては実に明快な回答が私の妹からもたらされた。

私の妹は20代のほとんどをイギリスで暮していた人だ。

今年の上智大学の某学部の試験問題を見て言った。

「あ、これ・・・生きている英語だ。
 多分、日本で普通に受験勉強だけしてきた人は解き難いんじゃないかな。
 帰国子女じゃない限り、この問題の分量を制限時間内に全部は解けないと思う。」

う~ん、と唸ってしまった。

その問題は「プラダを着た悪魔」など、普通に会話に出そうな文章だった。

反面、昨日の某国公立大学の二次試験で出題された問題。

バートランド・ラッセル」「ニューヨークタイムズの記事丸ごと」など。

バートランド・ラッセルはイギリスの思想家と言うか哲学者であり論理学者であるような知の巨人で、
日本で例えるなら小林秀雄のような超難解な文章を書く人。

ちなみに昨年の日本の大学入試センター試験の国語で小林秀雄の文章が出て大変な話題になったほど。

過去最低平均点である200点満点中100.4点を記録したが、
今年のセンター試験では古文に源氏物語が登場。

平均点が99点くらいになり、記録を塗り替えた。

ゆとり教育から決別するのだ、と言う意志が感じられる。

閑話休題

ニューヨークタイムズは良くも悪くもアメリカで一番知的と言われている新聞。

この種の英語は通常の会話では先ず使用されない。

大学は「知」を追求する場所なので、この種の英語を入試に使用するのはある程度止むを得ないが、
余りにも日常生活とかけ離れた場合、う~ん、と考え込んでしまう。

やはり生きている英語にも対応できるようにするべきなのでは?と思う。

それも「知」の一部であると思うから。

終わり