不幸や不都合を無視し、言い訳して自己肯定する人間の危険な心について

人間には明らかな不幸に直面した時でも、
それを不幸とは考えずにポジティブに生きる人がいます。

それはそれで素晴らしい生き方であると思うのですが、
実はこの自己肯定や言い訳というもの。

度を超えるとかなり酷い事態になってしまいます。

よく知られているのは高齢化した独身の人で、
傍から見ればかなり危ないし悲惨と思われて、
介護を受けた方がいいと勧めても大丈夫の一点張り。

自分は健康だし1人でも幸せだから余計な口出しは無用、と。

結果的に・・・・・

とは良くニュースでは聞く話です。

また別の話で、この種の自己肯定や言い訳は、実は高齢化した時、
かなり酷い状況になるのを助長してしまう恐い問題があります。

それは認知症の初期に現れるそうです。

例えば、老夫婦2人で暮らしていたとします。

夫と妻がテレビを見ていました。

夫がチャンネルを変えたいと思ったら、
妻の真横にリモコンがあったので、
「〇チャンネルに変えてくれないか?」と頼みました。

すると妻はこんな事を言い始めました。

「もうテレビなんか見るのは止めましょう。
 あんまり見ているとバカになりますから。」とキッパリ。

夫は、まあそういうものかな?と妻の言葉に従ってしまうケースが多いでしょう。

実はこのような状況になった時、
事態は相当深刻になっている可能性があると言います。

なんと。

もう妻は認知症が進んでいて、リモコンの操作が出来なくなっている、と言うのです。

認知症になった脳はそれでも自分をおかしくないと本能的に思うらしく、
「リモコン操作が出来ない」と言う現実を「テレビばかり見ていたらダメだ」と言う問題に勝手にすり替えて自己正当化をするらしいのです。

これ、かなり恐いと思うのです。

脳の能力は想像以上に凄く、
かなりの矛盾でも見事に自己正当化してしまいます。

よくよく考えてみますと、
一見ポジティブに見える人って、
裏を返せば自己肯定が強いと言えるかと思うのです。

ポジティブな人、と言う評価で止まっていれば問題はありませんが、
明かな不幸でも自分は楽しいと言い張る人も珍しくはありません。

場合によると病院へ早く行けよ、と言うレベルであっても・・・・・

不幸は不幸である、と素直に認めた方が楽になるケースの方が多いのでは?と最近の私は思っております。

不幸を認めず、ヒステリックに幸せを強調する人・・・案外多いような気もしています。

ちなみにリモコンが操作できなくなったその奥さんは、
怒りを示しながら夫を納得させる手段を使ったと言っていました。

ちょっとした怒りを伴いながら何かを主張する巧妙さ。

ともかく「脳は巧妙である」としか言えません。

終わり