中村芝翫(成駒屋)

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先日、芭蕉記念館(東京・森下)からの帰りがけに、
名所旧跡の看板を見つけた。

二代目中村芝翫宅跡。

ほお~と驚き思わず撮影。

こういう名所旧跡の看板とか碑は見つけ次第撮影している。

特に歌舞伎系は面白い。

2年前に現在の八代目中村芝翫の襲名披露があった。

観に行ったが実に面白かった。

ちょうど不倫騒動もあったのだが、
口上を述べる大物役者達が堂々とイジってくるのはさすがに歌舞伎座だと思った。

歌舞伎座内は大爆笑の渦に。

今思い出してもおかしい。

また「芝翫さんの家とは200年以上仲良くさせて頂いてますが」などと言うセリフが飛び出るのも歌舞伎の世界ならではだと思った。

私にとって芝翫とは七代目のイメージがとても強かったが、
2年も経つとさすがに芝翫は今の八代目になりつつある。

25年くらい前は故中村勘三郎が当時の橋之助(現芝翫)をテレビで茶化していたのを思い出して懐かしい。

「アイツは理屈で演技を考えてくるから堅っ苦しいんだよね。だから云々」
と実に楽しそうに勘三郎が語っていた。

当時の橋之助は荒事なんかではタタタタターーーーーーッ!!って軽い感じで走り回っていた印象がある。

世話物では勘三郎に絡まれてしどろもどろになり、
歌舞伎座内が大爆笑になっていたのも楽しい思い出だ。

しかし最近の芝翫は当時の橋之助時代とはまるで違って来ているように感じている。

特に今年の六月大歌舞伎(歌舞伎座)。

「巷談宵宮雨」で魅せた八代目芝翫の演技。

スゲーな、と思っていたのは私だけではなく、
帰り掛けに若い女の子のグループが語っていて、
「今日、私は芝翫を許せた気がする(笑)」と宣言していたほど。(笑)

不倫事件も何のその。

父親の七代目芝翫とはまた違った味を出して来ていると思う。

そしてそれは「絶対的存在感」と言っていいかとも思う。

終わり



余談:

くどいようだが私は「町名大向う」を歌舞伎座でやりたくてやりたくて仕方ない。

これはその昔、歌舞伎座で七代目中村芝翫に対して「神谷町!!」と掛けていた大向うがいて、
凄くカッコいいなと思っていたのである。

普通の「成駒屋!!」とかではなく、あくまでも町名大向う。

しかし八代目には掛けられない。

この町名大向うは今や難しいのだろう。

歌舞伎の世界ではもう無理になっている???

唯一可能性があるのは落語の世界。

二代目立花家橘之助の浮世節で古今亭志ん朝の出囃子である≪老松≫を三味線で仕掛けた瞬間。

「矢来町!!」と言えるかどうか。

まだその勇気はない。(苦笑)