シンフォニー:クラシック音楽の敷居の高さについて

先ほど、妹とちょっと話していたのだが。

妹は基本的にロックを好んでいる。

「クラシックっていいんだけど、敷居が高過ぎる。
 その最大の難関は長さにあると思う。
 あれはそう簡単に聴けはしない。」と言っていた。

考えると確かにそうだと思う。

私はそれについてはこう答えた。

クラシックには短いのもあるが、やはり長いのは凄く長いし、
これは現代の音楽にはほとんど見られないものだと思う。

この違いは、文学に関して言うと短編小説と長編小説に例えられる、と。

現代の音楽はほとんどが短編小説になっている。

しかしクラシック音楽の世界には長編小説がかなり多い。

時代性と言われればそれまでだけれど、
現代の音楽は長くてもせいぜい10分以内だ。

そして改めてクラシック音楽の中でもシンフォニーについて考えてみると、
その構成の複雑さ、展開、壮大さ、全てが長編小説の大作のソレだと感じる。

ここでドストエフスキートルストイの作品を考えると、
そう簡単に読めるようなものではないのが分かる。

圧倒的な長さ故に挫かれる人が如何に多いか。

長さと言うのは大切ではあるが、
聴いた後の感動も短編のそれとは違って独特の高揚感があると思う。

シンフォニーを中心としたクラシック音楽の世界は、
相当手強いし、難解に思えるのだろうな、と感じた。

小説と同様にこればかりはどちらが良いとは言える問題ではないが、
シンフォニーにはそれなりに強烈な感動があると私的には思っている。