幸せの基本:「子供の環境」

今の日本の社会にどっぷり浸かっていると案外自分の事は分からないでいる。

せいぜい比較文化をするとしても、
年寄りがよく言うセリフの「昔は良かった」くらいだ。(苦笑)

昔は本当に良かったのだろうか???

反対に今は本当に良いのだろうか???

この回答はそう簡単には出ない。

各人が持つ価値観とは沢山ある。

様々な回答がある。

とは言いながら、考え込んでしまう事態も多くある。

今回話題にしたいのは「子供の環境」である。

大抵の親が望むのは「健康」「学力」「身体能力(運動)」「友達」がハイレベルである事だ。

これは人間の持つ幸せの3要素を全て網羅している。

パワー動機(勝ち負けを好む):「学力」「身体能力(運動)」

達成動機(目的を達成するのを好む):「健康(精神面の)」「学力」

親和動機(仲良くしたい):「友達」

健康や運動能力は持って生まれた才能と日頃からの鍛錬によって決まる。

そもそも健康は幸せの3要素以前の問題で、
これが無かったら、人生そのものを遂行する事が非常に困難になってしまう。

学力は小さな頃からの親の教育方針と環境でほぼ決まる。

友達もまた親の教育方針と環境により決まる。

こう考えると、子供の幸せは親の教育と環境によって決まってしまうとも言える。

子供が小さい時に「勉強は自覚が出来てから」と放任主義をしてしまった場合、
ほぼ間違いなく子供の学力は破壊されてしまい、取り返しがつかない事態となる。

また、親がどんなに家庭で勉強させても、学校が学級崩壊したら悲惨な状況を呈する。

親が出来る子供の教育は12歳までにはほぼ終了してしまう事実を思い知るべきだ。

12歳以降、子供は思春期を迎える。

この時代は反抗期でもあり、親のコントロールを離れて行く時期でもある。

こんな時に、今まで放任主義で来たのに、いきなり「勉強しなさい」と言っても反感を買うだけ。

つまり、手遅れだ。

もっと言うと・・・逆算すれば、子供の学力における教育は数歳頃から既に始まっており、
おおよその方向性、学習習慣は小学校中学年には確実のモノとしておかないといけない。

高学年になってから???

それはもう2年しか残されていない事を意味する・・・・・

非常に恐い問題だ。

また、どんな友達と付き合うべきか?は、幼稚園や小学校時代から付き合う子とその親を、
親がキチンと選んで交際すべきなのである。

惨い事を言うようだが、罷り間違っても問題のある家庭の子と遊ばせてはいけない。

絶対に、遠ざけるべきだ。

迂闊な平等主義をやってしまったら、とんでもない事態に我が子を巻き込ませる事となる。

冗談抜きに我が子が犯罪者になる可能性が高くなってしまう。

「孤高を恐れてはならない」

例えば。

公園デビューして地域の環境が悪いと判断した場合。

幼稚園や小学校の選定は本気で考えるべきだ。

レベルの低い子や親と一緒になって活動したら。

近い将来、「犯罪に巻き込まれる」可能性が非常に高くなる。

事実、かなり多い。

「その種の危険な学校」に我が子を通わせてしまった場合、
ある日突然、警察から呼び出しがあり、
犯罪の事実を突き付けられ、退学と言う状況。

想像以上に多いのである。

環境とは、相手がある事なので、変えるのは非常に難しい。

これは不味い、と感じたら即離脱する事を躊躇ってはならない。

具体的には「公園で地域の子と遊ばせるのを止める」「幼稚園、小学校は学区を変える」
小学校受験をする」「中学受験をする」「引越す」等々。

危険と感じたら、上記の忌避行動を推奨する。

我が子の将来にとって、何が大切なのか???

これを見極めて具体的に行動しないといけない。

罷り間違っても、周囲のレベルが低かった場合。

即、離脱をしないと手遅れになる。

そんな手遅れの事例をいくつも見て来たので・・・・・

つくづく「子供の環境」は恐いと思っている。

終わり



余談:例えば引っ越しと言う選択をした場合。

   私は悪くないのに何故私が引越すハメに?と怒るケースも多々あるだろう。

   しかし、これは戦略的撤退と考えるべきだ。

   もし、経済的に余裕があればと言う前提条件はあるが、
   このまま住み続けて、子供が不登校などに陥った場合、
   将来的に受けるダメージは引っ越しのお金など問題にならないくらい大きい事実を知らねばならない。

   不登校とは。

   将来、引きこもりになってしまい、職に就けなく可能性が大きくなる事を意味しているのである。

   子供の環境が悪かったら、一生涯、悩まされる心理的外傷を受けてしまう。

   簡単に考えてはならない。



超余談:最近つくづく思う。

    親としての偏差値が低い者・・・・・

    ヤバいと思う。

    反省する今日この頃である。(苦笑)

    (>0<;