我が子に肩身の狭い思いをさせないために

例えば、我が子を都内の私立伝統女子校に入れたとします。

すると、それまでの公立小学校とは別世界が展開しているのに驚くはずです。

中学受験が終わった時、同じように子供を私立伝統女子校に入れた友人がこう言いました。

「オマエは客層の違いに驚くはずだ」と。

そう、本当に違います。

テレビドラマに出て来るような、日本人なら誰でも知っている大企業の社長や重役、
医師や病院経営者、弁護士、官僚等々、
そういう人物を親に持つ子供が普通にいます。

そしてその母親はその伝統女子校の出身者であるケースも少なくありません。

金が無い、社会的地位も無い、学歴も無い、さらに父子家庭。

そんな親である私が我が子をそういう世界に無理に入れたのです。

当然、最初は「肩身の狭い思い」をしました。

しかしながら、私にはある明確な信念があります。

「人間はお金には頭を下げるが、お金持ちには頭を下げない」

「人間が人間に頭を下げるのは、教養ある人間にのみ心から頭を下げる」

如何にお金を持ち、高い社会的地位を持っていようが、
教養の無い人間は陰で軽蔑されているだけです。

従って、金や地位を失くしてしまった瞬間、
その種の人間は見向きもされなくなるのが普通です。

とは言いながらも、世の中には「お金があって、教養もある人」がいるのも紛れもない事実です。

そのような人物は、教育上、自分の子供の友達には非常に敏感に反応します。

我が子は一体どんな子と友達になるのか?

教養の高い人物ほど「孟母三遷」を実行しているのです。

平等主義は全く通じません。

人間を教養の高さで差別して来ます。

これは悪い事ではありません。

むしろ当然の事です。

粗野で礼儀作法もわきまえない、犯罪すら犯しそうな子供は敬遠されて当たり前です。

どんな子供にしたいのか?

どんな子供と友達になってもらいたいのか?

もちろん教養の高い子に決まっています。
(性格が良いと言う選択は当たり前過ぎるのでここでは省きます)

最大の武器は「知識」「体験」「教養」です。

子供の場合は知識と言う単語を「学力」と置き換えた方が分かり易いかと思います。

今の私はつくづくそう思っています。

先ずは知識を多く詰め込まなくてはなりません。

それに伴い実体験も。

知識と体験が合わさって初めて教養に昇華させる事が出来ます。

どちらか片方が欠けてもダメです。

例えば学校で「扇状地」と言う地形を習ったとします。

教科書を読んで写真で見て、はい、分かりました、と。

これだけではダメです。

教養ある親は我が子を扇状地まで連れて行きます。

一望できるスポットから見せ、続いてその場所に行き、
特産物に触れさせ、そこに暮らす人々と接させるのです。

こうして「扇状地」を実体験させてしまうのです。

もちろん、旅行と言う家族の楽しみを兼ねながら。

こういう小さな積み重ねを子供が幼い頃からしている人種が本当に存在しています。

揺るぎない学力を持ち、難なく一流大学へ入り、
社会の中枢で活躍する人物になって行くような人種。

そのような人種と対等に渡り合えるようになるには。

当然、教養が必要になって来ます。

我が子にも、例え1教科でも良いから。

揺るぎない学力を持つ科目を持たせてやる事が必要だと考えております。

私の娘は中学受験時代から「社会に特異な才能」を持っていました。

これは天性のソレであり、真似しようとして真似できるものではありません。

親である私が驚いているくらいですから。

この傑出した1教科を持っているだけで、
周囲の子は圧倒されます。

ある時、娘の親しい子の親と話していた時、こう言われました。

「これからも仲良くして下さいね」と。

一瞬驚きました。

本気か?と。

父子家庭で金も無い地位も無い家柄なのに?と。

しかし、直ぐに気付きました。

そう、学力なんだ、と。

揺るぎない高度な学力にも人は頭を下げて来る、と。

ずっとずっと差別をされ続けて来た小学校時代。

憎しみと怒りしか持てなかった小学校時代。

時に自分の持つ信念は間違っているのか?とすら思わせられた悲惨な環境。

ようやく今、過去の事として冷静に振り返る事が出来るようになって来ました。

終わり



余談:教養・・・様々なものから成り立っています。

   当ブログでは何度も何度も記事にしていますが、今一度書きます。

   教養の中でも「芸術」に対する造詣は非常に高く評価される傾向があります。

   特に欧米の知識人にとっては必須です。

   初対面の人との社交において、当然の事として登場します。

   教養の高い欧米人が日本人に接して来た時、話題にされる可能性が高いのは、
   「能」「歌舞伎」「浮世絵」「茶道」「華道」「禅」「広島・長崎」です。

   日本人の教養として、どれか1つでも良いから普段から接してますでしょうか???

   ちなみに私的な意見なのですが。

   文化を否定したがるsayokuも嫌いですが、文化が大切だと主張ながらも、
   上記の事を何1つ知らないuyokuも嫌いです。