「平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路」佐藤健志著
「平和主義は貧困への道 または対米従属の爽快な末路」
佐藤健志著。KKベストセラーズ。
これから書くのは本の感想と私的な意見となります。
超長文です。
稀に見る恐ろしくも素晴らしい本だと思った。
現在の日本の政治を考える時の必読書になるのでは?とすら思う。
同級生がSNSで教えてくれて、
わざわざ私の必読だとまで言ってくれたので、
大変気になっていた。
本文だけで350頁を超える大著。
さらに結構な量の註が用意されている。
しかし、大変大変読み易い。
分かり易い。
書いてある事はかなり高度だと思うのだが。
つまり、この本の内容は、
当ブログで時折書いている「最高ランク」に位置している。
ちなみに私の考える最高ランクの文章とは以下のものである。
Aランク
全く知らない他人や、意見が異なる人も納得させるもので、
分かり易く、論理的で、懇切丁寧、かつ優れた人格が感じられる文章。
例:
・ネット検索で○×と言う本の書評をチェックしていたら知らない人の意見だったけど凄く楽しそうに思えたので本を買ってしまった。
・全く興味がない歌舞伎だったけど、Aさんの記事を読んで鑑賞してみたくなった。
・政治的には保守派だったけどリベラル派と思われる知らない人の記事を読んで○×政策については考え直した。
つまり、人を何らかの形で行動させたり変化させてしまう文章とも言える。
この本はまさしくソレだと思う。
さて、先ずはこの本の体裁について書いておかないといけない。
真面目に政治を考える人にとって、
この表紙は残念ながらアウトだと思う。
また文体もかなり砕けている。
だが、これはより多くの人に読んでもらいたいと思っている著者や出版社の工夫とも思える。
この本を手に取れない頭は良いけれど固い人は正直手遅れなのでは?と言う著者の意図も感じられる。
はっきり言うとこの本の主旨は「頭の良いヤツから破綻して行く」となる。
現在の日本では政治的思考は大きく二分されている。
右派、保守派、ネトウヨなどと呼ばれる人達。
もう一方は左派、リベラル派、革新などと呼ばれる人達。
この二派は全く相容れないで最近では罵り合いですらネット上では普通に見られる現状だ。
そして著者は左右どちらの側もコテンパンに叩きのめしてくる。
最近、私は政治的な主張を強く持っている人は悪質であると見做すようになっている。
その仕組みを見事なまでに解明してくれている。
私的には「政治的思想を持つ者は真実よりも思想を大切にする」と感じている。
もっと分かり易く言うと「政治的思想を持つ者は平気で嘘をつくし、不都合な真実を隠蔽する」。
このような姿勢は左右を問わず非常に強くある。
だが、案外渦中にある者は自分を分かっていない。
むしろ自分を正直で誠実な人間であると思い込んでいる。
私の政治的なスタンスは保守にはなるが、
人に言う時はわざと「時に極右的です」と言う。
何故なら普通の保守には嫌悪感を抱いているから。
あの対米従属野郎と一緒にされてたまるか!!と言う思いがあるから。
そして左派については、実は以前私はかなり左寄りの考えをしていたが、
自分が親になり、ある出来事を経験してから、
左派思想の行き着く先にある崩壊の悲惨さと連中の無責任さを目の当たりにして以来、
リベラル派を嫌悪どころか憎悪するようになっている。
著者は私の感じたその理由を非常に論理的に説明してくれる。
反論するのはかなり難しいと思う。
一旦左右の枠を外して、冷静に今の日本の状況を考えた時。
想像以上に恐ろしい現実がある。
左右どちらの側も、本当に都合の悪い事は見ないようにする、
と言うスタンスを持っていて、
このような考えを持っていた場合、
破滅が待っているのだけは間違いない。
ちなみにこの本の中では「頭の良い者ほど罠にハマって行く」と書いてあるが、
まさしくそう感じている。
テレビを点けると相も変わらず高学歴芸人によるクイズ大会が大流行している。
予め解答が用意されているクイズ。
それにどれほどの意味があるのか???
少なくとも現在の日本の政治状況を打破するためには意味が無い。
だが私達は古い思考を捨てられず、
知識さえ溜め込んでいれば何とかなると思っているが。
どうにもならない状況に今既になっているのに気付けない。
中国、韓国、北朝鮮、アメリカのメチャクチャさ。
ロシアも控えている。
イギリスはEUを離脱する。
日本の景気は全く良くなく、儲かっているのは一部の企業だけ。
だが、増税をすると言う。
そして何より超少子高齢化と非婚問題。
さらに憲法改正に集団的自衛権などの軍事問題。
移民問題もある。
原発問題もある。
こういう問題をどう解決して行くのか???
古い思考を引きずっていたらもうダメなんだと、つくづく思う。
まあ、ともかく。
素晴らしい本が出て来たと思う。
この本を読まずに日本の政治を語るのは許されないのだ、とすら思ってしまった。
終わり
余談:
驚くべき事にこの本では最近私と母と妹がハマりにハマっている小津安二郎監督の作品について、
信じられないような解釈が載っていて腰を抜かしてしまった。
念のため。
小津安二郎氏とは戦後まもなくから1960年初頭まで活躍した世界的に有名な映画監督である。
最近でも世界の映画監督が選んだ最高の映画に「東京物語」が選ばれているほど。
さて、そんな小津作品の中で「晩春」と言う映画がある。
これは27歳になっても結婚しない父と二人暮らしの女性が主人公の1949年の映画だ。
小津作品では当時の日本人の生活が淡々と描かれているのが特徴。
何の事はない普段の父娘のやり取りと、そして結婚問題。
実は私は小津作品について、
その内容の素晴らしさについてはいささかも揺るがないのではあるが、
鑑賞を始めた昨年秋くらいから、ある種の違和感を抱いていた。
特に1950年を中心にした1949~1951年くらいの作品について。
晩春は1949年・・・・・
この時代の作品を鑑賞すると常に母にこんな風に聞いていたのである。
「この時代って東京はもうこんなに復興していたのか?」と。
作品自体は素晴らしいのだが、
背景描写に違和感があると言ったら良いのだろうか?
つまり、第二次世界大戦が終わったのが1945年8月。
その時、歴史の教科書でお馴染みだが、東京は焼け野原だったのである。
だがそのようなシーンは小津映画には全く無い。
アメリカ兵も出て来ない。
ちなみにサンフランシスコ平和条約が調印されたのは1951年9月。
1949年とは、まだバリバリのアメリカ占領時代の映画なのである。
そしてこの本を読むと、よくよく考えると当たり前なのだが、
当時はアメリカ軍による検閲が行なわれていた、と書いてある。
映画も新聞も本も演劇も厳しい取り締まりがあったのである。
この検閲基準は戦前の日本のソレとはまるで異質だが、
どうやら≪焼け野原は映してはいけない≫≪米兵は映してはいけない≫≪敵討ちなどはいけない≫
と言うものだったらしい。
また逆に≪民主主義は素晴らしい≫≪かつての日本はダメ≫≪女性の解放≫などが盛り込まれる必要があったとも言える。
「晩春」はそのような時代に作られた映画なのである。
ちなみに同じ小津作品でも1950年と1960年では、
これが同じ監督の作品か?と言うくらいに違っている。
同じように淡々とした日常が描かれてはいるのだが、
家族関係のあり方が全然違うのである。
その辺の時代の変遷も小津作品鑑賞の面白いところであるとは思っているが。
いずれにしても「晩春」において、
何故主人公の原節子(紀子役)は結婚を嫌がっていたのか???
何故、結婚を最終的に決意したのか???
そして「紀子三部作」と言われる、その後のシリーズがあるのだが、
結婚した紀子はどうなるのか?と言う問題。
これらが全てアメリカの行なった占領政策と関連付けられていて、
これこそが現在の超少子高齢化社会の原点であることが明示されている。
まさか小津作品をこのように鑑賞する人がいたとは驚きだが。
残念ながら反論するのは非常に難しい。
ちなみにさらに余談なのだが、
世界中の映画監督や映画マニアは「晩春議論」をよくしているらしい。
例えば一瞬のカットなのだが、京都の旅館に父娘が泊まるシーンがある。
その時、ふーーーーーっとカメラは視線をずらして床の間のような場所にある花瓶を映す。
何故なのか???
こんな些細なシーンですらも様々な議論が専門家達の間でされていると言う。
小津作品は深読みしなくてはならないのである。
従って、著者が書いたような占領政策による超少子高齢化と言う読み。
あってしかるべきかと。
さて、最後に日本人女性の思考の変遷と地位について書いておきたいと思う。
この本では触れられていないし、
そもそも少子高齢化の原因について、
恐ろしく聡明と思われるこの著者であっても、
経済との関連を非常に強く思っているフシがある。
かなり鋭く分析しているし間違いではないが、かなり無理がある説明と言えなくもない。
何故なら、日本で最も激しく急速に少子高齢化が進んだのは、
バブル時代だからだ。
つまり一番景気が良くて日本の将来がアメリカをすら凌ぐと誰もが思い込んでいた時代だったのを忘れてはならないと思う。
贅沢になった女性達が、3高(高学歴、高収入、高身長)と言い出した後、
アッシー、メッシー、挙句にダブルインカムノーキッズがトレンドなどとほざいて、
本気で実践した事を忘れてはならない。
こういう事を言うとそんなの少数派でしょう?などと私の妹などは反論して来るが。
(妹はバブル時代、日本にいなかったので当時の日本を分かっていない)
あいにく少数派なら世界最強最悪の超少子高齢化社会になどなっていない。
最も貧しかった焼け野原の時代は少子高齢化など全く問題になっていないのに注意する必要がある。
むしろその後にベビーブーム時代が到来している。
また、1950年頃の小津作品の観方として、
虐げられている女性像が一般的だ。
例えば、帰宅した夫は上着をその場で脱ぎ捨てるシーンが沢山ある。
それを妻が拾ってハンガーにかける行為が当たり前のものとして描かれている。
(ちなみに1960年の小津映画ではこのシーンは皆無)
多くの人は昔の日本人男性は威張っていてダメと言う烙印をここで押してしまう。
だが、これはとんでもない間違いだ。
小津作品では、実はさり気なく日本人女性の妻の立場の強さを描いている。
一見すると虐げられているのだが。
ここぞと言う場面においては絶大な力を発揮してくる。
どうしようもない頑固な夫であっても、
妻の本気の怒りを前にすると縮み上がってしまう。
それはどうしてなのか。
この説明はドイツ文学者として有名な小塩節氏の著作に詳しい。
ウーマンリブ運動が1960年後半から70年代にかけて欧米で盛んになったが、
この運動の主旨を多くの日本人ははき違えていると言う。
この時、欧米の女性達は何をしたかったのか???
実は意外かも知れないが、
超先進国と思われているドイツでは、
「夫の給料がいくらなのか知らない妻の方がほとんど」
と言う実態があったのだ。
つまり、財布のひもを握っているのは夫であり、
妻は家計に関して一切口出し出来なかった。
ウーマンリブ運動の主旨は、
財布のひもをよこせ、よこさないなら私達も同等に働くぞ、
と言う意志表示だったと言うもの。
だが、日本においては最初から財布のひもは妻が握っているのが普通だ。
一旦結婚して家庭を持った場合、実は日本人女性の地位は最初から非常に高かった現実がある。
けれども虐げられた女性像を作り上げた当時のGHQ。
従ってバブル時代に当時の日本人女性が望んだ条件をもう一度考えてみよう。
しかも現在ではこの要求はさらに大きくなっている。
高学歴、高収入、高身長、イクメン、カジメン、イケメン。
東京大学の社会学の研究結果もある。
今や日本人女性が望んでいる結婚相手と言うのは、
世界中のどこを探しても存在していない、と。
だからこそ、世界に冠たる超少子高齢化社会になった、と。
ちなみに良かれ悪しかれ日本人男性は一部が草食化したくらいだ。
取るに足らない変化と言える。