生まれ育ちは一生ついて回る?

以前、私の母と妹が2人で鎌倉に行った時のこと。

ちょっと高級な喫茶店で休んでいたそうだ。

すると隣にとても身なりのいい中年女性のグループが座ったという。

私の妹は母の様子が途端に変化したのを見逃さなかった。

案の定、直ぐに母は「あそこの席が空いたら直ぐに移動しよう」と言ってきた。

その女性達がうるさい訳でも何か失礼な事をした訳でもない。

しかし母は極端に嫌がっている様子が分かったと妹は言う。

これ、何となく私は理解できてしまう。

私の母は東北地方某県の農家出身。

しかし20代前半には既に田舎を飛び出て首都圏で暮らしていた。

都会志向が著しく強かった母は、
いずれ東京で暮らし文化的な生活を送りたいと思っていたそうだ。

そして超都心生まれの父と結婚した後は随分と長い間都心で暮らしている。

と言うよりも人生のほとんどを都心及び横浜で暮らしていると言っていい。

生まれ育った東北地方某県で暮らした年月より遥かに長い期間を都会で過ごしている。

ところが、鎌倉に出没した同年代の都会風女性には未だにとことん弱いらしい。

妹はそういうのを見抜くのだけは非常に上手い。

「なんで身構えるのかねぇ~?自然体でいいと思うんだけど。」と。

昔、私の母は幼かった私と妹を連れて銀座を歩くのが好きだったと言う。

そういう事を好んでやっていながら、
暮らしているのにアウェイ感を持ち続けている???

生まれ育った場所と言うのは一生ついて回る???

ふと自分に当てはめて考えてみると。

今の私は都心よりも横浜で暮らしている方が遥かに長くなっている。

だが、確かに本当の意味で愛着を持っているのは生まれ育った場所だ。

横浜にはそれほど地元感を持っていない。

休日に都心を歩いているとホッとしている自分がいる。

まして生まれ故郷の近くだと余計にその感覚が強くなる。

私の妹は言う。

「母は土いじりしている時の顔が一番生き生きしている」と。

それは正しいと私も感じている。

母はよく言う。

「私は虫が大嫌いだし、土いじりは好きじゃない。
 農家のような古民家も嫌いだ。
 都会の文化的生活が一番好きなんだ。」と。

そしてその言葉通り、
能、歌舞伎、文楽、落語、美術他、ほぼ全ての都会的娯楽を享受してきた母ではあるが。

自分の本当の嗜好がどこにあるのか。

案外自分では分からないものなのかも知れない。

そして自分の生まれ育ちと言うものは。

一生ついて回るものなのかも知れない。

終わり