安田純平氏問題の根本

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現在、シリアで人質になっていたジャーナリストの安田純平氏の問題について、
マスコミでは大騒ぎになっています。

様々な識者が出て来て色々な意見を言っています。

私が当記事で指摘したいのは、
非常に単純明快な「前提」についてなのです。

何故今、多くの専門家の間でも意見が割れてしまい、
意見を言った人達の間でも酷い誹謗中傷合戦まで行われているのか?についてです。

私は、そもそもほとんどの日本人が分かっているようで、
まるで理解していない事がこの問題を分かり難くしているように思っています。

例えば、東京大学の教授であるのなら高度な意見を持っていると誰もが考えてしまいますが、
実は全く考えていない分野があると言う歴然とした事実なのです。

最初に原因と結果を以下に記します。

・ほぼ全ての日本人は左右を問わず戦後民主主義の考えをもっている

戦後民主主義とは「みんな仲良く話せば分かる」が基本

戦後民主主義の根本は「軍事について考えない」

・従ってほぼ全ての日本人は左右を問わず軍事について全く考えていない

・従って軍事絡みの事件が起こると左右を問わず恐ろしく的外れな言動をする

と上記のような流れになっているとつくづく感じています。

紛争地域に出掛けて行くジャーナリストも、ボランティアも、
自己責任論を唱える右系の人も、保護と称賛を唱える左系の人も、
全員何かがおかしいのですが、その「何か」に気付こうとはしません。

そうして各自が勝手で一方通行的な持論を展開する訳です。

実はこれも戦後民主主義の特徴の1つです。

・相手の事を全く考慮しない一方通行の考え

これに尽きます。

日本ではよく左系の人は「平和を」と連呼します。

平和と叫んでいれば平和になれると固く信じています。

この時、相手国の人が何を考えているのか全く知ろうともしません。

ひたすらこちらが平和を叫んでいれば応えてくれるはずと言う妄想の中で国内で激しく主張しているだけです。

また、右系の人は単純に無邪気に勇ましい事を言うだけです。

「徴兵制を」「軍備の増強を」と。

しかし日本の国防をどのような体制で維持すべきなのか?と言う根本の事を考えていません。

こちらも相手国がどのように反応してどのような行動を起こすのか想定していません。

無責任なだけです。

左も右も中道も、政府もマスコミも、です。

こと軍事のことになると日本人のほぼ全員が恐ろしくいい加減な事を平気で主張してきます。

軍事をまるで考えていない、と言うその根底においては全員同じです。

何故パウエル元国務長官が「もっと彼らを誇りに思え」とまで言わせしめてしまうのか。

何故欧米のリベラル系ジャーナリズムは「日本はおかしい」と言うのか。

全てが「軍事音痴」に起因しています。

≪日本人は軍事絡みになると途端に言動がおかしくなる≫

戦後民主主義の膿が至る所で噴出している≫

私は上記のように思えて仕方ありません。

戦後民主主義とは、一見すると平和主義で良さそうに思えますが、
実は極めて一方的な考えであり、相手のある軍事の事になると致命的な欠陥を露呈するのですが、
ほぼ全ての日本人は「見ない事」により凌いできた経緯があります。

しかし、紛争地域に出掛けて行って人質になってしまい、
殺される事態にまでなると、途端にうろたえて、
「見ない事(自己責任論)」あるいは「ともかく称賛と敬意」と言ったように右往左往してしまいます。

今一度、軍事の基本を拙いながら具体例で書いてみたいと思います。

ほぼ全ての日本人は困っている人を助けるのは「善」であると思い込んでいます。

人助けは全ての人が称賛してくれるはず、と。

そうして以下のように考えて行きます。

・分け隔てなく困っている人を助けること = 紛争地域でも敵味方なく助ける

さらに言えば、

・難民は無制限に受け入れよ

と言う風に。

もちろん、人道的支援には物理的経済的に限界がありますが、
それを非常に無邪気に無責任に無制限に考えている人は少なくありません。

特に重要な事は。

紛争地域においては「敵を助けるヤツは敵」と言う基本中の基本です。

たとえ人道的であっても、です。

また、紛争地域において全員に平等に接して助けることは不可能です。

何故なら味方支配地域と敵支配地域が厳然と存在しているからです。

例えばベトナム戦争の時は、
日本のマスコミはアメリカ軍と共に行動して取材していました。

作家の開高健氏のレポートは非常に有名です。

そして現在の日本人はさらに進化して、
軍事については「考えない事を良し」としていますから、
恐ろしく無邪気な感覚で取材やボランティアに行ってしまいます。

行く当人や周囲の人は崇高な使命を帯びて、と当然様々な理屈を言うでしょうが、
心の奥底のどこかでは「話せば分かる」と思い込んでいます。

でなければ1人でのこのこ丸腰で行けるはずはありません。

紛争地域には敵と味方しかいず、
両方に良い顔をするのはほぼ不可能であると思う必要があるのですが、
どうも日本人のほとんどはそうは考えていません。

ニコニコして平和を叫んでいれば相手はきっと応えてくれると思い込んでいるようです。

奇しくも今ハロウィンです。

昔、ハロウィンの時に某銃大国に留学していた学生が仮装して間違って民家に侵入してしまいました。

ハロウィンの騒ぎを利用する犯罪はとても多いため、
その家の住人は銃を向けて制止しました。

しかしその日本人は「ニコニコして接近して行った」のです。

これこそが戦後民主主義の最大の被害者とも言えます。

相手は当然微笑み返しなどしてくれませんでした。

異常者もしくは犯罪者であると見做して発砲した、と。

戦後73年。

この戦後民主主義と言う異様な一方通行的思考を何とかしない限り、
このような問題は今後も続くと予想します。

終わり