女性とのデートの面倒臭さについて

あまり語られない男の本音を書いてみたいと思います。

敢えて過激な表現にしているのはご容赦のほどを。

最近はずっと結婚難が言われ続けていて、
今では恋愛難も問題視されている。

そして草食系男子など、男性の問題行動のみがクローズアップされている。

しかしながらオスの性行動はメスによって決まると言う生物学の原則があるらしい。

つまり、オスがおかしくなったからメスが産まなくなるのではなく、
最初にメスがおかしくなり、それに適応してオスがおかしくなる、と。

これ、当たっていると思う。

少なくとも、日本の少子化の原因は間違いなくバブル時代から顕著に起こり、
最初に変化したのは他ならぬ日本人女性だ。

これに呼応するかのように男がどんどんと草食化しているように見える。

しかし世の中で報道される場合は必ず「男が悪い」とされる。

女性は常に正しく、男は常に変、と。

これは非常に大きな間違いであると私的には思っている。

もちろん、男が常に正しいなどと言うつもりは毛頭ないが、
男女の問題を語る時に、どちらか片一方の問題だけを挙げても間違った回答しか出ない。

双方の行動パターンをきちんと精査する必要がある。

そもそも、何故男が女性と付き合いたいと思うのか?と言うと、
これは間違いなく非常に強い性衝動のためだ。

恋愛とは、特に男女の恋愛においては、
性衝動を誤魔化すために使用される言葉だと言っていいと思う。

酷いと思う人も多いかと思うがさらにここで追い討ちをかける。

この性衝動がもしなかったと仮定してみる。

「女」と言う存在は、もっとはっきり言ってしまうと、
「メス」と言う存在は、血の繋がりのある自分の母親や娘、姉妹ならいざ知らず、
他人として考えた場合、これほど面倒臭くて鬱陶しい存在は無いと思う。

「女」と一緒に行動する時は、服装や食事の内容、デートの段どり、経費。

恐ろしく面倒臭い事になっている。

自動車に乗れば「暑くない?」「寒くない?」と気を遣い、
食事も美味しくてヘルシーかどうか気を遣う。

スポーツに至っては、共に楽しむことはほぼ不可能だ。
(彼女と一緒に野球やサッカーチームで共に楽しむのは不可能)

つまり、彼女好みの場所に行き、自分の本来やりたいスポーツをやらずに、
行きたくもないTDで楽しいフリをする。(笑)

さらにデートのために多額の費用を捻出する。

ここで男同士の付き合いを当てはめて考えてみる。

上記のような女性がもし男だとしたら一緒に行動したい男はいるのだろうか?

いるとしたら余程の変わり者か、異常者か、男のようで男ではない者であろう。(苦笑)

つまり、世の中の男が喜々として女性とのデートを優先させるのは、
ひとえに「非常に強い性衝動」があるからに他ならない。

無かったら絶対にこんな真似をする訳はない。(笑)

実際、性的興味の無い女性をわざわざ上記のような「面倒臭いデート(笑)」に誘うような男は皆無と言っていい。

しかし世の中の女性の大半はこういう。

「私達をそんな目でしか見られないの?可哀想な男達。」と。

そういう考えに(表向きは)同調する男も非常に多い。

しかし、断固として、はっきりと主張しておきたい。

オマエ達は面倒臭い存在なのだ、と。

何でわざわざ貴重な時間とお金を使って、
さらに気まで遣ってデートをして下さいと懇願するのか、
今一度、考えてみるがいい。

人として立派だから付き合うのか?と。

まるで違う。

そんな目で見るからこそ、付き合いたいのだ、と。

そんな目で見られない女性にはまるで興味が無いのだ、と。

少なくとも、何で自分の大切なプライベートな時間を、
性的興味をまるで感じない女性とわざわざお金と時間をかけて過ごさなくてはならないのか?と。

何で気を遣いながらプライベート時間を過ごさなくてはならないのか?と。

ひとえに強い性衝動のためなのだ、と。

ちなみに最近読んだ文楽のマンガに実に象徴的な場面があった。

かっこいい男子(主人公)を好きになった女子高生がその彼とデートに行く。

女の子の方はもうウキウキで楽しくて仕方ない。

しかし男の子の方は、そういう目で見ていないため、つまらなくて仕方ない。

写メを撮ったり、ベンチに腰かけて寒いのにクソつまらない話をベラベラしている女子。

とうとう彼は言う。

「もう帰ってもいいかな?」と。(笑)

これが、もし性衝動が無い場合の男性の基本的な姿勢である。

性衝動を感じない他人の女性と一緒にいるのは苦痛でしかないのだ。

そこを女性は分からない。

一部の男も女性に同調しようとするため分からないふりをする。

多くの女性は、一部のモテる男性も、
女性と付き合うには男は努力が大切だと言う。

その通りだと思う。

しかし、その一方で「性的衝動を感じる女性でなくてはならない」と言う事実を無視しての恋愛論には意味がない。

あるいは、恋愛と言う言葉で誤魔化そうとする姿勢にも偽善を感じる。

男と女の間にあるのは性衝動なのだ、と言う基本的な事実。

恋愛至上主義ジェンダーフリーの考えは、
少なくとも「男と女の関係」を破壊して行くと感じている。

終わり



余談:

最近、大問題になっている某官僚のセクハラ。

あの言動を笑うのは簡単だし、問題視するのはもっと簡単だ。

しかし、あくまでも男の持っている本質的な感覚を真剣に考えた時。

あの官僚の言動こそが「男の本心である」と確実に言える。

この感覚をまるで無きが如しのように、
セクハラを語るのは間違っている。

もちろん、あの官僚は非難されても仕方ないが、
男の持っている性衝動を無視しての現代の性の方向性には異様さを感じている。

あまりにも女の感覚のみを最優先させているのは明らかな間違いである。

男の激しい性衝動の扱い方にもっとクローズアップすべきである。

しかしほぼ全てのマスコミは笑うだけだ。

だから今の日本の性事情は余計におかしな方向に向かっていると思う。

不倫がけしからんと、芸能人の性行動に腹を立ててみたりとか。

レスを気取ってみたりとか。

自分が性の超越者のように振る舞うのは偽善以外のなにものでもない。