釣りと近眼中年の悲劇
「近眼中年の哀れ」を書いていて、ふと釣りのことを想ったのです。
釣りは私にとって幼い頃からの最大の趣味の1つでした。
このブログを始めた10年前くらいには釣りをしている記事をよく書いていましたし、
そもそも釣り書庫もあります。
しかしほとんど今は釣りをしていません。
理由は、当時中学受験が終わった娘と一緒に出来る行動は美術館・博物館巡りであって、
もうキャンプや釣りなどのアウトドア活動は非常にやり難くなったと思ったからです。
しかし自由時間が出来ても、いつの頃からか釣りをやらなくなっていました。
何故だろう?と思ったら。
近眼中年だっ!!と分かったのであります。
近眼の人が中高年になって老眼が入ってくると、
近くの物を見るためにはメガネを外さないといけないのです。
釣りは頻繁に手元の細かい作業が必要な行為です。
遠近両用メガネにすればいいじゃないかと言う話もあるのですが、
取り敢えず、自宅において読書する時などは、
メガネを外した方が全然楽と言う状態ですので、
敢えてどう見えるのか分からない遠近両用メガネよりは、
外した方がいいと言う選択になっています。
であるのなら、心の奥底の選択で、1日がかりでずっと手元の作業をする行為である釣りを、
無意識のうちに避けていたのかな?と。
今でも行きたい気はあるのですが、
正直、手元の作業が面倒くさくて敬遠している状態です。
近眼中年の哀れです。(苦笑)
終わり
釣りは私にとって幼い頃からの最大の趣味の1つでした。
このブログを始めた10年前くらいには釣りをしている記事をよく書いていましたし、
そもそも釣り書庫もあります。
しかしほとんど今は釣りをしていません。
理由は、当時中学受験が終わった娘と一緒に出来る行動は美術館・博物館巡りであって、
もうキャンプや釣りなどのアウトドア活動は非常にやり難くなったと思ったからです。
しかし自由時間が出来ても、いつの頃からか釣りをやらなくなっていました。
何故だろう?と思ったら。
近眼中年だっ!!と分かったのであります。
近眼の人が中高年になって老眼が入ってくると、
近くの物を見るためにはメガネを外さないといけないのです。
釣りは頻繁に手元の細かい作業が必要な行為です。
遠近両用メガネにすればいいじゃないかと言う話もあるのですが、
取り敢えず、自宅において読書する時などは、
メガネを外した方が全然楽と言う状態ですので、
敢えてどう見えるのか分からない遠近両用メガネよりは、
外した方がいいと言う選択になっています。
であるのなら、心の奥底の選択で、1日がかりでずっと手元の作業をする行為である釣りを、
無意識のうちに避けていたのかな?と。
今でも行きたい気はあるのですが、
正直、手元の作業が面倒くさくて敬遠している状態です。
近眼中年の哀れです。(苦笑)
終わり