「東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる」
※ 大変申し訳ありませんが当記事におきましては初コメントを受け付けておりません。
内容に関わらず未承認のまま削除対象とすることをご容赦願います。
「東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる」
兵頭二十八著。講談社+α新書。本体840円(税別)。
ちょうど昨夜、録画してあったテレビの討論番組を見ていたら、
「北朝鮮はミサイルを年内には撃たない」と断言していました。
しかしその前にネットニュースでミサイル発射の動きがあると言っていたので、
状況はかなり変わったなと思っておりました。
そんな事を思いながら上記の書籍を読んでいたのですが。
奇しくも。
朝、目覚めたらスマホの号外で北朝鮮のミサイルが発射され、
青森県沖の西方250キロの排他的経済水域に落下したと報じていました。
しかも能力的に過去最大級の威力をもつもの、と。
かなりの至近距離に着弾し、しかも現時点の報道では「MIRV(複数個別誘導弾頭)」だった可能性も示唆されていました。
これが何を意味しているのか。
おそらく現在の日本人の99.999%はキョトンとしているだけだと思うのです。
左派はおろか右派も含めて、です。
そこでこの本の内容を踏まえて書いて行きたいのですが、
先ず、現在日本では、テレビ番組を見ているとやたらとクイズ番組が目立っています。
高学歴な芸能人を集め、予め答えが分かっている難問に答えられるかどうかと言う番組が大流行しています。
知識を蓄えることが最大に偉いと私達日本人は思い込んでいることの証左と言えましょう。
しかし、その知識の中でも絶対的に蓄えてはいけない例外が存在しているのです。
それが「軍事」です。
もっと言うと特に「核兵器」についての知識が酷いです。
非常に厄介な事に日本は広島と長崎と言う世界で唯一の核攻撃の体験国です。
従って、私達日本人は核兵器の恐ろしさを世界中のどの国の人達よりも深く理解していると思い込んでいます。
実はこれは大変大きな間違いなのに気付くことが出来ません。
何故かと言いますと、日本が受けた核攻撃は72年前の出来事であり、
現代の核兵器は当時とは性能も戦略もまるで違って来ているからなのです。
この感覚がほとんどの日本人は決して理解することが出来ないのです。
例えていうならこういう事です。
ちょっと思い浮かべて下さい。
以前にも書いた例なのですが改めてもう一度。
第二次世界大戦の終結は1945年。
現代はそれから72年が経過した2017年。
これがどれほど昔の事なのかを考えてみて下さい。
1945年から72年遡ってみます。
すると1873年となります。
これ、明治6年なんです。
第二次世界大戦中の人が江戸時代が終わった頃の兵器と戦略を真面目に第二次大戦時の脅威として語っていたと思うのでしょうか?
有り得ません。
明治6年の頃と1945年では兵器も戦略もまるで違っているのは容易に想像できるはずです。
しかし何故か現代日本人だけはこと軍事については1945年の発想を未だに続けています。
もちろん、広島長崎を忘れろと言っている訳ではありません。
悲惨な歴史として刻んでおくべきなのは言うまでもありません。
けれども、現代の核戦略を、あるいは核廃絶を考える場合、
現代の核兵器と核戦略はどのような仕組みになっているのかを知らないと、
議論すら出来ないのは当然です。
でも全くと言っていいほど核兵器や核戦略について考えていません。
脳の中の知識として「核兵器」と言うものは欠如していると言っても過言ではないでしょう。
だから私達日本人は議論が出来ないのです。
ただただヒステリックに喚き散らすだけ。
「反対反対反対」と。
これでは軍事知識が豊富な他国の狡猾な指導者に敵う訳はありません。
事実、日本は国同士の核廃絶の正式な議論の場において主導権が取れないどころか、
出席すら出来ない(しない)状況になっています。
軍事だけが、私達日本人の「知ってはいけないこと」としてタブー視され、
それが72年以上続いている現状です。
私は昔、日本の最高学府のかなり高名な教授と話す機会があり、
その教授ですらも普段から軍事については何も考えていない発言を得意げにしたのを目の当たりにして、
日本人の場合、学歴や社会的地位に関わらず、こと軍事については無知なのだと思い知らされた体験があります。
戦後72年以上、私達は戦後民主主義の中で生きています。
これは要約すると「みんな仲良く話せば分かる」となります。
軍事は全てこの延長線上で考えてくるから異様な事態になってしまうと思うのです。
国会前で「戦争反対」「戦争法反対」「平和憲法の死守」「日米安保反対」「集団的自衛権反対」「非武装中立」などと叫んでいれば平和は維持されると思い込んでいるだけです。
そしてニコニコニコニコ微笑んでいれば他国も微笑み返してくれると思い込んでいるだけです。
しかしそんな時代はとうの昔に過ぎ去っています。
と言うよりもそんな時代など最初から人類史には存在などしていません。
近隣諸国は今日本に対して「ニヤニヤしてんじゃねーよ。気に入らないんだよ。ブッ殺してやる」と明確に主張しています。
あるいは「オメーの土地(島)、宝物だらけだな。俺様のものにしてやるから。」と言われています。
しかし、相変わらずのおめでたい平和主義者もどき達はどんな酷いことを言われても、
謝り続けていればいい、だとか、戦争とは起こらないものなのだと思い込んでいて、
それを強引に理屈にして吠え続けている始末。
「相手国は何を考えているのだろうか?」
「核武装した相手国は何を考えているのだろうか?」
「核兵器が使用された戦争の後の想定として相手国は何を考えているのだろうか?」
この回答が上記の書籍には書いてあります。
もちろん、一評論家が書いたものなので絶対に正しいとは言えません。
問題のある記述もあります。
けれども戦後72年、ほとんどの日本人がまるで考えて来なかったことを一所懸命考えた人の著作だと言っていいと思います。
それがどのような世界なのか。
平和主義者もどきは多分この本は読まないし読めないと思います。
異国、他国と言った存在が軍事的にどのような思考をしているのかを見事に描いてきているからです。
自分に都合の悪い事は全て見ないようにする、考えないようにするのが日本の戦後民主主義者達の基本スタイルです。
「何故、北朝鮮は日本に向けてだけミサイルを発射し続けているのだろうか?」
先日、池上彰氏ですらも番組で「間違った見解」を述べていました。
私はその番組では池上氏ですらもちょっと間違っているのでは?と思っていたのです。
ではどこがどう間違っているのか?については「直感的に」としか言いようがなかったのです。
しかしこの本では明確にその理由が合理的に書いてあるのです。
安易にこの本の内容を信じるのは禁物であるのは言うまでもありませんが、
少なくとも、戦後民主主義者の著作ばかり読んでいるよりは、
害はないどころか遥かに有益であると私は思うのです。
愚にもつかない平和連呼よりも、
今までとは全く違う、貴重な意見を知ることができます。
私的には一読に値する名著であるかと思うのです。
ちなみにこの本のメインの他国の核における記述は中国であり、
続いてロシアとアメリカです。
北朝鮮については少し触れられているだけです。
しかし核保有国の思惑を知る上で非常に参考になります。
終わり
余談1:
恥ずかしながら私自身もまるで知らなかったのですが。
核攻撃を受けた場合、核爆発の火球が空中なのか地面に接したのかでは、
その後の展開がまるで違うのを知りました。
広島長崎では両方とも空中での爆発でした。
非常に大勢の犠牲者が出たのは痛ましかったのは言うまでもありませんが、
現在、広島も長崎も人が普通に暮らしている街として発展しています。
けれども、もし地上爆発だった場合。
半永久的に人が住めなくなっていたのをご存知でしたでしょうか?
もっと言います。
本に書いてあった具体例なのですが。
例えば今、テロリストの手に小型核兵器が渡って、
ニューヨークでその小型核爆弾を地表で爆発させたとします。
小型なので広範囲に激烈な熱傷を負わせるような事態にはなりません。
しかし。
核爆発によって穴が出来るのですが、
そこには高濃度の放射性物質(ガラス状物質、トリニタイト)が付着してしまい、
それを取り除くのは極めて難しく、
小型核でもニューヨークを半永久的に人が住めない街にすることが可能になる、と。
現在でも地表で行われた核実験跡地は人が住めないのはそのためなのだ、と。
余談2:
スイス100%、イスラエル100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、イギリス67%、
シンガポール54%、日本0.02%。
これ何だか分かるでしょうか?
他の文献でもよく紹介されている数字なのですが、
日本核シェルター協会が調査した人口あたりの核シェルターの普及率です。
日本は核攻撃を受けることを想定していません。
しかし他国は日本のように考えてはいず、
それどころか核攻撃を想定した上で防御を考えて「実行している」現状があるのです。
核シェルターをせせら笑う平和主義者もどきは非常に多いです。
しかし彼らは自らの論理的欠陥に決して気付こうとはしません。
平和が大切、命が大切、戦争はダメと言いながらも、
生き残るための手段である核シェルターを認めない精神構造。
日本の平和主義者もどきの思考は私には全く理解できません。
核シェルターがダメと言うのなら核兵器は危険ではないと思っている???
ならば核廃絶を主張するのはおかしいと思うのですが、
どうもそうは考えていないらしい???
これは明らかに筋が通っていません。
だからこそ先の選挙ではリベラル派は壊滅的だったのだと私は思うのです。
健全なリベラルの存在は大切だと思っておりますが、
そういうリベラルは壊滅している、と。
由々しき事態です。
余談3:
核兵器について間違ったイメージが現在でも流布されています。
人類を7回全滅させることが出来る、とか。
核の全面戦争になればみんな死ぬ、とか。
生物兵器や化学兵器を貧者の核兵器と呼んでみたり、とか。
核攻撃を受けたら絶対死ぬ、とか。
核ミサイルは絶対に撃ち落とせない、とか。
全て出鱈目です。
当ブログではよく書いている「ゼロ100思考」の典型です。
自分の無知な世界のことは全否定か全肯定しかしない思考のことです。
こういう思考をする連中は一切相手にしてはダメです。
無責任の塊だからです。
戦後72年の軍事痴呆化。
非常に危険だと思う今日この頃であります。
余談4:
もし日本が核攻撃を受けるとしたらどの街になるのでしょうか?
前提条件となるいくつかのケースが想定されていますが、
対中国の場合、筆頭は「横須賀」が挙げられています。
「東京」「神戸」も有力候補に挙がっています。
対北朝鮮の場合、北海道の「千歳」と「小牧」が候補になっています。
ちなみに最も安全と思われる街として「所沢」が挙げられています。
何故なのでしょうか。
非常に明確な理由が書かれています。
気になる方は是非ご一読を。
余談5:
早朝、北朝鮮のミサイルが青森県沖に着弾した情報を知って、
今日の昼の生の報道番組はこの問題をやってくれると当然のように思っておりましたら。
何と横綱の暴力問題を延々とやっていました。
日本人は普段はやたらと命が大切と主張します。
戦争はダメ、と。
しかしどうやら自分達の命はどうでもいいと考えているとしか言いようがありません。
少なくともマスコミにはそういう姿勢を非常に強く感じます。
そしてそれを受け入れている私達日本人。
本質的なところにおいて信じられないほどの人命軽視をしています。
今日ほどマスコミに対して不信感を覚えた日はありません。
内容に関わらず未承認のまま削除対象とすることをご容赦願います。
「東京と神戸に核ミサイルが落ちたとき所沢と大阪はどうなる」
兵頭二十八著。講談社+α新書。本体840円(税別)。
ちょうど昨夜、録画してあったテレビの討論番組を見ていたら、
「北朝鮮はミサイルを年内には撃たない」と断言していました。
しかしその前にネットニュースでミサイル発射の動きがあると言っていたので、
状況はかなり変わったなと思っておりました。
そんな事を思いながら上記の書籍を読んでいたのですが。
奇しくも。
朝、目覚めたらスマホの号外で北朝鮮のミサイルが発射され、
青森県沖の西方250キロの排他的経済水域に落下したと報じていました。
しかも能力的に過去最大級の威力をもつもの、と。
かなりの至近距離に着弾し、しかも現時点の報道では「MIRV(複数個別誘導弾頭)」だった可能性も示唆されていました。
これが何を意味しているのか。
おそらく現在の日本人の99.999%はキョトンとしているだけだと思うのです。
左派はおろか右派も含めて、です。
そこでこの本の内容を踏まえて書いて行きたいのですが、
先ず、現在日本では、テレビ番組を見ているとやたらとクイズ番組が目立っています。
高学歴な芸能人を集め、予め答えが分かっている難問に答えられるかどうかと言う番組が大流行しています。
知識を蓄えることが最大に偉いと私達日本人は思い込んでいることの証左と言えましょう。
しかし、その知識の中でも絶対的に蓄えてはいけない例外が存在しているのです。
それが「軍事」です。
もっと言うと特に「核兵器」についての知識が酷いです。
非常に厄介な事に日本は広島と長崎と言う世界で唯一の核攻撃の体験国です。
従って、私達日本人は核兵器の恐ろしさを世界中のどの国の人達よりも深く理解していると思い込んでいます。
実はこれは大変大きな間違いなのに気付くことが出来ません。
何故かと言いますと、日本が受けた核攻撃は72年前の出来事であり、
現代の核兵器は当時とは性能も戦略もまるで違って来ているからなのです。
この感覚がほとんどの日本人は決して理解することが出来ないのです。
例えていうならこういう事です。
ちょっと思い浮かべて下さい。
以前にも書いた例なのですが改めてもう一度。
第二次世界大戦の終結は1945年。
現代はそれから72年が経過した2017年。
これがどれほど昔の事なのかを考えてみて下さい。
1945年から72年遡ってみます。
すると1873年となります。
これ、明治6年なんです。
第二次世界大戦中の人が江戸時代が終わった頃の兵器と戦略を真面目に第二次大戦時の脅威として語っていたと思うのでしょうか?
有り得ません。
明治6年の頃と1945年では兵器も戦略もまるで違っているのは容易に想像できるはずです。
しかし何故か現代日本人だけはこと軍事については1945年の発想を未だに続けています。
もちろん、広島長崎を忘れろと言っている訳ではありません。
悲惨な歴史として刻んでおくべきなのは言うまでもありません。
けれども、現代の核戦略を、あるいは核廃絶を考える場合、
現代の核兵器と核戦略はどのような仕組みになっているのかを知らないと、
議論すら出来ないのは当然です。
でも全くと言っていいほど核兵器や核戦略について考えていません。
脳の中の知識として「核兵器」と言うものは欠如していると言っても過言ではないでしょう。
だから私達日本人は議論が出来ないのです。
ただただヒステリックに喚き散らすだけ。
「反対反対反対」と。
これでは軍事知識が豊富な他国の狡猾な指導者に敵う訳はありません。
事実、日本は国同士の核廃絶の正式な議論の場において主導権が取れないどころか、
出席すら出来ない(しない)状況になっています。
軍事だけが、私達日本人の「知ってはいけないこと」としてタブー視され、
それが72年以上続いている現状です。
私は昔、日本の最高学府のかなり高名な教授と話す機会があり、
その教授ですらも普段から軍事については何も考えていない発言を得意げにしたのを目の当たりにして、
日本人の場合、学歴や社会的地位に関わらず、こと軍事については無知なのだと思い知らされた体験があります。
戦後72年以上、私達は戦後民主主義の中で生きています。
これは要約すると「みんな仲良く話せば分かる」となります。
軍事は全てこの延長線上で考えてくるから異様な事態になってしまうと思うのです。
国会前で「戦争反対」「戦争法反対」「平和憲法の死守」「日米安保反対」「集団的自衛権反対」「非武装中立」などと叫んでいれば平和は維持されると思い込んでいるだけです。
そしてニコニコニコニコ微笑んでいれば他国も微笑み返してくれると思い込んでいるだけです。
しかしそんな時代はとうの昔に過ぎ去っています。
と言うよりもそんな時代など最初から人類史には存在などしていません。
近隣諸国は今日本に対して「ニヤニヤしてんじゃねーよ。気に入らないんだよ。ブッ殺してやる」と明確に主張しています。
あるいは「オメーの土地(島)、宝物だらけだな。俺様のものにしてやるから。」と言われています。
しかし、相変わらずのおめでたい平和主義者もどき達はどんな酷いことを言われても、
謝り続けていればいい、だとか、戦争とは起こらないものなのだと思い込んでいて、
それを強引に理屈にして吠え続けている始末。
「相手国は何を考えているのだろうか?」
「核武装した相手国は何を考えているのだろうか?」
「核兵器が使用された戦争の後の想定として相手国は何を考えているのだろうか?」
この回答が上記の書籍には書いてあります。
もちろん、一評論家が書いたものなので絶対に正しいとは言えません。
問題のある記述もあります。
けれども戦後72年、ほとんどの日本人がまるで考えて来なかったことを一所懸命考えた人の著作だと言っていいと思います。
それがどのような世界なのか。
平和主義者もどきは多分この本は読まないし読めないと思います。
異国、他国と言った存在が軍事的にどのような思考をしているのかを見事に描いてきているからです。
自分に都合の悪い事は全て見ないようにする、考えないようにするのが日本の戦後民主主義者達の基本スタイルです。
「何故、北朝鮮は日本に向けてだけミサイルを発射し続けているのだろうか?」
先日、池上彰氏ですらも番組で「間違った見解」を述べていました。
私はその番組では池上氏ですらもちょっと間違っているのでは?と思っていたのです。
ではどこがどう間違っているのか?については「直感的に」としか言いようがなかったのです。
しかしこの本では明確にその理由が合理的に書いてあるのです。
安易にこの本の内容を信じるのは禁物であるのは言うまでもありませんが、
少なくとも、戦後民主主義者の著作ばかり読んでいるよりは、
害はないどころか遥かに有益であると私は思うのです。
愚にもつかない平和連呼よりも、
今までとは全く違う、貴重な意見を知ることができます。
私的には一読に値する名著であるかと思うのです。
ちなみにこの本のメインの他国の核における記述は中国であり、
続いてロシアとアメリカです。
北朝鮮については少し触れられているだけです。
しかし核保有国の思惑を知る上で非常に参考になります。
終わり
余談1:
恥ずかしながら私自身もまるで知らなかったのですが。
核攻撃を受けた場合、核爆発の火球が空中なのか地面に接したのかでは、
その後の展開がまるで違うのを知りました。
広島長崎では両方とも空中での爆発でした。
非常に大勢の犠牲者が出たのは痛ましかったのは言うまでもありませんが、
現在、広島も長崎も人が普通に暮らしている街として発展しています。
けれども、もし地上爆発だった場合。
半永久的に人が住めなくなっていたのをご存知でしたでしょうか?
もっと言います。
本に書いてあった具体例なのですが。
例えば今、テロリストの手に小型核兵器が渡って、
ニューヨークでその小型核爆弾を地表で爆発させたとします。
小型なので広範囲に激烈な熱傷を負わせるような事態にはなりません。
しかし。
核爆発によって穴が出来るのですが、
そこには高濃度の放射性物質(ガラス状物質、トリニタイト)が付着してしまい、
それを取り除くのは極めて難しく、
小型核でもニューヨークを半永久的に人が住めない街にすることが可能になる、と。
現在でも地表で行われた核実験跡地は人が住めないのはそのためなのだ、と。
余談2:
スイス100%、イスラエル100%、ノルウェー98%、アメリカ82%、ロシア78%、イギリス67%、
シンガポール54%、日本0.02%。
これ何だか分かるでしょうか?
他の文献でもよく紹介されている数字なのですが、
日本核シェルター協会が調査した人口あたりの核シェルターの普及率です。
日本は核攻撃を受けることを想定していません。
しかし他国は日本のように考えてはいず、
それどころか核攻撃を想定した上で防御を考えて「実行している」現状があるのです。
核シェルターをせせら笑う平和主義者もどきは非常に多いです。
しかし彼らは自らの論理的欠陥に決して気付こうとはしません。
平和が大切、命が大切、戦争はダメと言いながらも、
生き残るための手段である核シェルターを認めない精神構造。
日本の平和主義者もどきの思考は私には全く理解できません。
核シェルターがダメと言うのなら核兵器は危険ではないと思っている???
ならば核廃絶を主張するのはおかしいと思うのですが、
どうもそうは考えていないらしい???
これは明らかに筋が通っていません。
だからこそ先の選挙ではリベラル派は壊滅的だったのだと私は思うのです。
健全なリベラルの存在は大切だと思っておりますが、
そういうリベラルは壊滅している、と。
由々しき事態です。
余談3:
核兵器について間違ったイメージが現在でも流布されています。
人類を7回全滅させることが出来る、とか。
核の全面戦争になればみんな死ぬ、とか。
生物兵器や化学兵器を貧者の核兵器と呼んでみたり、とか。
核攻撃を受けたら絶対死ぬ、とか。
核ミサイルは絶対に撃ち落とせない、とか。
全て出鱈目です。
当ブログではよく書いている「ゼロ100思考」の典型です。
自分の無知な世界のことは全否定か全肯定しかしない思考のことです。
こういう思考をする連中は一切相手にしてはダメです。
無責任の塊だからです。
戦後72年の軍事痴呆化。
非常に危険だと思う今日この頃であります。
余談4:
もし日本が核攻撃を受けるとしたらどの街になるのでしょうか?
前提条件となるいくつかのケースが想定されていますが、
対中国の場合、筆頭は「横須賀」が挙げられています。
「東京」「神戸」も有力候補に挙がっています。
対北朝鮮の場合、北海道の「千歳」と「小牧」が候補になっています。
ちなみに最も安全と思われる街として「所沢」が挙げられています。
何故なのでしょうか。
非常に明確な理由が書かれています。
気になる方は是非ご一読を。
余談5:
早朝、北朝鮮のミサイルが青森県沖に着弾した情報を知って、
今日の昼の生の報道番組はこの問題をやってくれると当然のように思っておりましたら。
何と横綱の暴力問題を延々とやっていました。
日本人は普段はやたらと命が大切と主張します。
戦争はダメ、と。
しかしどうやら自分達の命はどうでもいいと考えているとしか言いようがありません。
少なくともマスコミにはそういう姿勢を非常に強く感じます。
そしてそれを受け入れている私達日本人。
本質的なところにおいて信じられないほどの人命軽視をしています。
今日ほどマスコミに対して不信感を覚えた日はありません。