外国人女性との恋愛と結婚について(ヨーロッパの白人女性との)
一昨日、文京区立森鴎外記念館で「舞姫-恋する近代小説」展を観て来ました。
この展示会は森鴎外の有名な小説「舞姫」を中心にした、
明治時代に始まった近代的な恋愛小説についてのものでした。
しかし、個人的には他の日本人作家による、日本人同士の恋愛小説よりも、
「舞姫」の持つ、非常に画期的な「外国人女性と日本人男性の恋愛」について思うところがあり、
それを中心に極めて個人的な意見を書いてみたいと思います。
この場合、外国人女性とはヨーロッパの白人女性をメインとします。
バブル時代を経て、結婚難の時代を迎え、日本人男性の中には発展途上国の女性と結婚する人も多くなっています。
しかし相変わらずヨーロッパの白人女性と結婚する男はまだまだ非常に少数です。
そんな中「舞姫」は明治時代における日本人男性とヨーロッパの白人女性との恋愛小説です。
「舞姫」は森鴎外の体験的小説とされています。
ストーリーはドイツでの留学生である若き日本人男性がドイツの踊り子の女性と恋愛し破綻する内容です。
さて、戦後民主主義の中で生きる私達日本人は、
一般的に恋愛とは「自由恋愛を良し」として「お見合いを悪し」とする感覚があります。
人間とは平等であり、誰とでも恋愛ができ、好きでもない人と結婚するなどもっての他、と。
この感覚は日本ではバブル時代に一気に広まりました。
特に日本の女性は今までの古い価値観を捨て去り、
お見合い結婚を拒絶し、自由に外国旅行をしたり、
自由に恋愛をしたりして結婚を先延ばしにして来た実態があります。
当ブログにおいては何度も書いておりますが、
「恋愛とはそもそも差別の塊」
「自由恋愛の場合、成就するのは極めて難しい」
と言う動かし難い事実が前提としてあります。
私達は恋愛至上主義にとり憑かれています。
特に女性は恋愛こそ全てと言う感じすらします。
それはそれで仕方ないのですが、
実のところ恋愛とは極めて差別的であり、
自由なようでいて実は全く自由ではない歴然とした現実の問題に直面します。
それは敢えて言うなら「階級制になっている」と言っても過言ではないと思うのです。
先ずは日本人男性の恋愛と結婚について考えてみます。
そもそも共学校だった人は男女の恋愛が実は非常に成り立ち難い現実を知っているかと思います。
男女各20名のクラスを想定した場合、
綺麗に20対20のカップルが成立していたのかと言うと、
ほぼ間違いなくそんな事はなかったと思います。
いいとこ、1組。
2組もいなかったはずです。
全学年でもお付き合いできる男女というのは非常に限られた恋愛エリート達だったはずです。
全学年で他校の生徒を入れたとしても付き合っている人がいると言う事はちょっとした事件だったはずです。(笑)
多くの男女は高校時代までは恋愛が成就することなく大学時代を迎えるはずです。
そこで非常に一所懸命恋愛活動してようやく何とか?
特に男性の場合は、モテない男は絶望的にダメな現状があります。
バブル時代以前は、結婚できない男性がいても、
どこからともなく親戚のお節介なおばさんが現われて、
半ば強制的にお見合いをして結婚できていました。
ところが日本人女性が結婚について恐ろしく高いハードルを設定したため、
さらに妥協しない人が異常に増加したため、
今の結婚難と少子化が劇的に進行してしまった実状があります。
そもそも女性が恋愛と結婚において男性に求めるモノは昔から非常にハードルが高かった事実があります。
イケメンで裕福で性格的に温厚で高学歴で高収入で社会的地位と家柄も良く、と。
けれどもそんな男性は引く手あまたです。
アッと言う間に結婚してしまうため、あるいは独身主義を貫くため、
そういう恋愛エリートの頂点にいるような男とは普通の女性はお付き合いなど出来る訳もありません。
しかし女性自身が「いい歳をして独身」を嫌がっていたのでお見合いに応じていた訳です。
これが日本の高い婚姻率を支えていた理由でした。
とは言え、早い話がバブル時代に言われていた3高(高学歴、高収入、高身長)とは、
今も変わらない女性の抱いている根本的な恋愛観と言えます。
これにあぶれた男性は恋愛どころか全く結婚すら出来ない状況となり、
バブル時代は発展途上国の女性と金の力にモノを言わせて結婚していた状況と言う訳です。
この事実は逆を言えば、男性が高学歴で高収入で容姿にも恵まれていた場合はとても良い女性と巡り合えるはずです。
実際に日本人同士の恋愛の場合はほぼそうなっています。
恋愛も結婚も似たような者同士でされていて、
別の層の者同士ではとても成立が難しいのは今に始まったことではありません。
ここで「舞姫」の主人公について考えてみます。
森鴎外自身のこととして話を進めて行きます。
森鴎外は明治時代の文豪として知られていますが、
そもそもは代々医者の家系で東京大学に進学したエリート中のエリートでもあります。
つまり家柄も良く、頭脳も明晰で、職業も申し分なく、容姿も悪くなかったように見えます。
日本人として最強の部類の男であったと言えます。
当時の時代背景を考えれば、この種の男性は絶対に結婚相手には困りません。
そして事実そうだったようです。
では、ドイツ留学中に、その日本人の最高部類の男は最高の恋愛相手を手に入れることが出来たのでしょうか?
実は全然違います。
貧困に喘ぐ踊り子の女性を援助することから交際が始まる訳です。
つまり日本のエリート中のエリートの男性でも現地の並レベルの白人女性との普通の恋愛や結婚は非常に難しいことが分かります。
日本人男性きっての遊び人、永井荷風ですらもフランスにおいて普通の恋愛をするのは難しかったようです。
もっとも、素人を泣かせたくないと言う達人であったとの別の話も聞いたことがありますので、
一概に迂闊なことは言えませんが。(笑)
まあ、有名なプレイボーイは藤田嗣治くらいだったのでしょうか?
日本が世界に冠たる経済力を誇っていたバブル時代においてすらも、
白人女性と恋愛できる日本人男性は非常に少なかったと言えます。
恋愛や結婚には間違いなく非常に厳しい差別が壁としてそびえています。
この壁を越えるのは容易ではありません。
多くの日本人の国際結婚の場合、白人が相手であるのなら、
残念ながら日本人は下に見られていますので、
恋愛・結婚が絡んで来た場合は恐ろしい現実が待っています。
・日本人男性の場合はそもそも相手にされない
・日本人女性の場合はロクでもない男しか寄って来ない
悲しいかな、これが現実かと。
金も名声も手に入れた日本人女性アイドルがロクでもない白人男性と結婚して人生の悲劇を味わうのは割とよく聞く話です。
この人種差別の壁を越えて軽々と平等に恋愛できる者は少数だと思うべきです。
ヨーロッパの大学の同級生だとか、よほどの金持ちとか、超イケメンだとか。
非常に抜きん出た何かが無いと男性の場合は難しいと言えます。
反面、女性の場合は、下に見られているため、多くの男が寄って来ますから、
(ハードルが低いと見られている)
選別眼をキチンと冷静に作動させておかないと取り返しのつかない人生を歩むことになるかと思います。
恋愛が成就して結婚まで行った場合、さらに子供が出来た場合。
取り返しがつきません。
では昨夜「舞姫」を読み返したので、そのストーリーと現実のその後について書いてみます。
文章は非常に格調高い文語体で書かれています。
ドイツに留学した若きエリートの主人公はその優秀な頭脳からも一目置かれると共に、
学問だけの生活を同僚達から揶揄されていました。
そんなある日、道で泣いている若い女性がいました。
大胆にも声を掛けてしまいます。
すると「父が死んだけれど葬儀の金すら無い」と言います。
彼はお金を出します。
ドイツの下層階級に生きる踊り子の娘。
かたや大日本帝国政府からの命で留学中のエリート。
彼は恋に落ちて行きます。
その事が知れ渡り、彼は職を失いますが、
何とか別の職を友人の紹介で得て、
その若いドイツ人女性の踊り子と貧しいながらも共に暮らし幸福な日々を送っています。
そして踊り子は妊娠します。
ところがある時、日本の大臣がやって来ます。
職を紹介してくれた友人も同行し、大臣にも紹介され、
気に入られた主人公は日本に帰って共に働こうと言われます。
願ってもいない復職どころか目の前に大きく開けた大出世への道。
彼はその場の雰囲気で「はい」と答えてしまいます。
進んで行く帰国と大出世の話。
彼は自分の愚かな選択?に非常に悩み、
とうとう倒れてしまいます。
気が付くと彼は帰国の船の中にいます。
そして回想するのです。
結果的に、彼の親友は女性に彼の栄転と帰国を告げます。
裏切られた踊り子は酷く悲しみ怒り、
とうとう精神を病んでしまいます。
帰国の前に彼女の母親にいくばくかの金を渡します。
彼は深い後悔の念と親友への恨みを抱きながら船は日本へと向かって行く・・・・・
ここでストーリーは終わります。
しかし実はこのストーリーにはその後が用意されています。
最新の研究で検証されて確認された舞姫であるエリスのその後がほぼ分かってきました。
人物特定も出来ています。
実在の人物で、森鴎外と別れた後、何と21歳の時に日本に単独で来ています。
21歳とは、当時のドイツの法律では親の許可なく結婚出来る年齢だったそうです。
横浜港に入港した船の当時の船客名簿にその名前が確認されています。
おそらくエリスことエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト(Elise Marie Caroline Wiegert、1866年9月15日 - 1953年8月4日、シュチェチン生まれ)は、
森鴎外と再会していたのではないか?と。
残念ながらその後に森鴎外と結ばれた記録は一切ないようだけど、
この事実は階級と国を越えた恋愛のロマンと悲劇を嫌と言うほど見せつけてくれます。
だからこそ。
私達は恋愛至上主義者になるのだな、と。
終わり
余談:
男と言う存在は恋愛や結婚の場面において、
自分の相手の女性には、自分よりもちょっと劣った存在を望んでいるように思えます。
美人で高学歴で高収入の女性がモテるのか?と言われると、
普通の男は間違いなく敬遠してしまうと感じます。
余程自分に自信があり、かつ実力のある男でないと無理です。
さらに外国人で白人女性だった場合。
この種の女性ときちんと恋愛が出来てなおかつ結婚まで出来る日本人男性は稀有であるかと思います。
もっと言うと、普通の白人女性であっても、普通に恋愛が出来る日本人男性は、
森鴎外の時代から軽く100年以上が経過している現代においても。
ヨーロッパの白人女性との恋愛はとても難しいところに男女の仲の不思議を感じます。
この展示会は森鴎外の有名な小説「舞姫」を中心にした、
明治時代に始まった近代的な恋愛小説についてのものでした。
しかし、個人的には他の日本人作家による、日本人同士の恋愛小説よりも、
「舞姫」の持つ、非常に画期的な「外国人女性と日本人男性の恋愛」について思うところがあり、
それを中心に極めて個人的な意見を書いてみたいと思います。
この場合、外国人女性とはヨーロッパの白人女性をメインとします。
バブル時代を経て、結婚難の時代を迎え、日本人男性の中には発展途上国の女性と結婚する人も多くなっています。
しかし相変わらずヨーロッパの白人女性と結婚する男はまだまだ非常に少数です。
そんな中「舞姫」は明治時代における日本人男性とヨーロッパの白人女性との恋愛小説です。
「舞姫」は森鴎外の体験的小説とされています。
ストーリーはドイツでの留学生である若き日本人男性がドイツの踊り子の女性と恋愛し破綻する内容です。
さて、戦後民主主義の中で生きる私達日本人は、
一般的に恋愛とは「自由恋愛を良し」として「お見合いを悪し」とする感覚があります。
人間とは平等であり、誰とでも恋愛ができ、好きでもない人と結婚するなどもっての他、と。
この感覚は日本ではバブル時代に一気に広まりました。
特に日本の女性は今までの古い価値観を捨て去り、
お見合い結婚を拒絶し、自由に外国旅行をしたり、
自由に恋愛をしたりして結婚を先延ばしにして来た実態があります。
当ブログにおいては何度も書いておりますが、
「恋愛とはそもそも差別の塊」
「自由恋愛の場合、成就するのは極めて難しい」
と言う動かし難い事実が前提としてあります。
私達は恋愛至上主義にとり憑かれています。
特に女性は恋愛こそ全てと言う感じすらします。
それはそれで仕方ないのですが、
実のところ恋愛とは極めて差別的であり、
自由なようでいて実は全く自由ではない歴然とした現実の問題に直面します。
それは敢えて言うなら「階級制になっている」と言っても過言ではないと思うのです。
先ずは日本人男性の恋愛と結婚について考えてみます。
そもそも共学校だった人は男女の恋愛が実は非常に成り立ち難い現実を知っているかと思います。
男女各20名のクラスを想定した場合、
綺麗に20対20のカップルが成立していたのかと言うと、
ほぼ間違いなくそんな事はなかったと思います。
いいとこ、1組。
2組もいなかったはずです。
全学年でもお付き合いできる男女というのは非常に限られた恋愛エリート達だったはずです。
全学年で他校の生徒を入れたとしても付き合っている人がいると言う事はちょっとした事件だったはずです。(笑)
多くの男女は高校時代までは恋愛が成就することなく大学時代を迎えるはずです。
そこで非常に一所懸命恋愛活動してようやく何とか?
特に男性の場合は、モテない男は絶望的にダメな現状があります。
バブル時代以前は、結婚できない男性がいても、
どこからともなく親戚のお節介なおばさんが現われて、
半ば強制的にお見合いをして結婚できていました。
ところが日本人女性が結婚について恐ろしく高いハードルを設定したため、
さらに妥協しない人が異常に増加したため、
今の結婚難と少子化が劇的に進行してしまった実状があります。
そもそも女性が恋愛と結婚において男性に求めるモノは昔から非常にハードルが高かった事実があります。
イケメンで裕福で性格的に温厚で高学歴で高収入で社会的地位と家柄も良く、と。
けれどもそんな男性は引く手あまたです。
アッと言う間に結婚してしまうため、あるいは独身主義を貫くため、
そういう恋愛エリートの頂点にいるような男とは普通の女性はお付き合いなど出来る訳もありません。
しかし女性自身が「いい歳をして独身」を嫌がっていたのでお見合いに応じていた訳です。
これが日本の高い婚姻率を支えていた理由でした。
とは言え、早い話がバブル時代に言われていた3高(高学歴、高収入、高身長)とは、
今も変わらない女性の抱いている根本的な恋愛観と言えます。
これにあぶれた男性は恋愛どころか全く結婚すら出来ない状況となり、
バブル時代は発展途上国の女性と金の力にモノを言わせて結婚していた状況と言う訳です。
この事実は逆を言えば、男性が高学歴で高収入で容姿にも恵まれていた場合はとても良い女性と巡り合えるはずです。
実際に日本人同士の恋愛の場合はほぼそうなっています。
恋愛も結婚も似たような者同士でされていて、
別の層の者同士ではとても成立が難しいのは今に始まったことではありません。
ここで「舞姫」の主人公について考えてみます。
森鴎外自身のこととして話を進めて行きます。
森鴎外は明治時代の文豪として知られていますが、
そもそもは代々医者の家系で東京大学に進学したエリート中のエリートでもあります。
つまり家柄も良く、頭脳も明晰で、職業も申し分なく、容姿も悪くなかったように見えます。
日本人として最強の部類の男であったと言えます。
当時の時代背景を考えれば、この種の男性は絶対に結婚相手には困りません。
そして事実そうだったようです。
では、ドイツ留学中に、その日本人の最高部類の男は最高の恋愛相手を手に入れることが出来たのでしょうか?
実は全然違います。
貧困に喘ぐ踊り子の女性を援助することから交際が始まる訳です。
つまり日本のエリート中のエリートの男性でも現地の並レベルの白人女性との普通の恋愛や結婚は非常に難しいことが分かります。
日本人男性きっての遊び人、永井荷風ですらもフランスにおいて普通の恋愛をするのは難しかったようです。
もっとも、素人を泣かせたくないと言う達人であったとの別の話も聞いたことがありますので、
一概に迂闊なことは言えませんが。(笑)
まあ、有名なプレイボーイは藤田嗣治くらいだったのでしょうか?
日本が世界に冠たる経済力を誇っていたバブル時代においてすらも、
白人女性と恋愛できる日本人男性は非常に少なかったと言えます。
恋愛や結婚には間違いなく非常に厳しい差別が壁としてそびえています。
この壁を越えるのは容易ではありません。
多くの日本人の国際結婚の場合、白人が相手であるのなら、
残念ながら日本人は下に見られていますので、
恋愛・結婚が絡んで来た場合は恐ろしい現実が待っています。
・日本人男性の場合はそもそも相手にされない
・日本人女性の場合はロクでもない男しか寄って来ない
悲しいかな、これが現実かと。
金も名声も手に入れた日本人女性アイドルがロクでもない白人男性と結婚して人生の悲劇を味わうのは割とよく聞く話です。
この人種差別の壁を越えて軽々と平等に恋愛できる者は少数だと思うべきです。
ヨーロッパの大学の同級生だとか、よほどの金持ちとか、超イケメンだとか。
非常に抜きん出た何かが無いと男性の場合は難しいと言えます。
反面、女性の場合は、下に見られているため、多くの男が寄って来ますから、
(ハードルが低いと見られている)
選別眼をキチンと冷静に作動させておかないと取り返しのつかない人生を歩むことになるかと思います。
恋愛が成就して結婚まで行った場合、さらに子供が出来た場合。
取り返しがつきません。
では昨夜「舞姫」を読み返したので、そのストーリーと現実のその後について書いてみます。
文章は非常に格調高い文語体で書かれています。
ドイツに留学した若きエリートの主人公はその優秀な頭脳からも一目置かれると共に、
学問だけの生活を同僚達から揶揄されていました。
そんなある日、道で泣いている若い女性がいました。
大胆にも声を掛けてしまいます。
すると「父が死んだけれど葬儀の金すら無い」と言います。
彼はお金を出します。
ドイツの下層階級に生きる踊り子の娘。
かたや大日本帝国政府からの命で留学中のエリート。
彼は恋に落ちて行きます。
その事が知れ渡り、彼は職を失いますが、
何とか別の職を友人の紹介で得て、
その若いドイツ人女性の踊り子と貧しいながらも共に暮らし幸福な日々を送っています。
そして踊り子は妊娠します。
ところがある時、日本の大臣がやって来ます。
職を紹介してくれた友人も同行し、大臣にも紹介され、
気に入られた主人公は日本に帰って共に働こうと言われます。
願ってもいない復職どころか目の前に大きく開けた大出世への道。
彼はその場の雰囲気で「はい」と答えてしまいます。
進んで行く帰国と大出世の話。
彼は自分の愚かな選択?に非常に悩み、
とうとう倒れてしまいます。
気が付くと彼は帰国の船の中にいます。
そして回想するのです。
結果的に、彼の親友は女性に彼の栄転と帰国を告げます。
裏切られた踊り子は酷く悲しみ怒り、
とうとう精神を病んでしまいます。
帰国の前に彼女の母親にいくばくかの金を渡します。
彼は深い後悔の念と親友への恨みを抱きながら船は日本へと向かって行く・・・・・
ここでストーリーは終わります。
しかし実はこのストーリーにはその後が用意されています。
最新の研究で検証されて確認された舞姫であるエリスのその後がほぼ分かってきました。
人物特定も出来ています。
実在の人物で、森鴎外と別れた後、何と21歳の時に日本に単独で来ています。
21歳とは、当時のドイツの法律では親の許可なく結婚出来る年齢だったそうです。
横浜港に入港した船の当時の船客名簿にその名前が確認されています。
おそらくエリスことエリーゼ・マリー・カロリーネ・ヴィーゲルト(Elise Marie Caroline Wiegert、1866年9月15日 - 1953年8月4日、シュチェチン生まれ)は、
森鴎外と再会していたのではないか?と。
残念ながらその後に森鴎外と結ばれた記録は一切ないようだけど、
この事実は階級と国を越えた恋愛のロマンと悲劇を嫌と言うほど見せつけてくれます。
だからこそ。
私達は恋愛至上主義者になるのだな、と。
終わり
余談:
男と言う存在は恋愛や結婚の場面において、
自分の相手の女性には、自分よりもちょっと劣った存在を望んでいるように思えます。
美人で高学歴で高収入の女性がモテるのか?と言われると、
普通の男は間違いなく敬遠してしまうと感じます。
余程自分に自信があり、かつ実力のある男でないと無理です。
さらに外国人で白人女性だった場合。
この種の女性ときちんと恋愛が出来てなおかつ結婚まで出来る日本人男性は稀有であるかと思います。
もっと言うと、普通の白人女性であっても、普通に恋愛が出来る日本人男性は、
森鴎外の時代から軽く100年以上が経過している現代においても。
ヨーロッパの白人女性との恋愛はとても難しいところに男女の仲の不思議を感じます。