「韓国人を愛せますか?」&「ミセン -未生-」

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「韓国人を愛せますか?」

 パク チョンヒョン著。講談社+α新書。864円(税込)



「ミセン -未生-」韓流テレビドラマ


正直に告白すると私は韓国について興味がないなどと言うレベルではなかった。

嫌悪感を抱いていた。

もう少し言うと憎悪に近いものがあったかも知れない。

もちろんこの感覚は昔から抱いていた訳ではなく、
昨今の日韓関係に由来している。

政治的な問題が自分の心に激しく作用した結果と言える。

普段から私は当ブログにおいて「異文化を理解する心」などと偉そうに書いて来ていたが、
実のところ韓国については近くて遠い国どころか、
心の奥底ではかなり強い嫌悪感を抱いていた。

私の母や娘が韓流ドラマを見ていると怒りに近いものを感じていた。

これだけ悪化している日韓関係にも関わらず何故平気でこれらを見ることができる?と。

そして新大久保に何十年ぶりかに訪れる機会があった時、
余りの変貌ぶりに腰を抜かさんばかりに驚いた。

韓国人街になっていて、大勢の日本人女性が楽しそうに闊歩していた。

コイツら国賊なのか?

恥を知れ!!と思っていた。

だが、頻繁に新大久保を訪れなくてはいけなくなり、
何度も何度も実際に行くと私の心に少しだけ変化があった。

なんだかやけに活気があるな~と。

そして何やら美味しそうな物まで発見してしまった。

行列に並んで買って食べてみた。

「ホットク」という物だった。

日本にはあるようでない、それでいて非常に美味しい物だった。

あんこやハチミツ、紫芋、チーズなどがある。

そのどれもがとても美味しい。

店員は若いイケメンでどうやら非常に人気のある店のようだった。

私の順番になった時、あきらかにそのイケメン店員は一瞬困惑した表情を浮かべた。

しかし直ぐに普通の接客をして「カムスハムニダ」と微笑んだ。

何度か行ったが、その度に店員は一瞬ビクンとする。

何故なのだろうか?と考えた。

その理由がようやく分かった。

周囲にいるのは日本人女性か韓国人女性の団体旅行客だけ。

男は滅多にいない状況だった。

ましてホットクを買うために並んでいるのはほぼ100%、女性。

そんな中にポツンと1人中年のアジア人男性が立っている訳だ。

店員の立場になると非常に微妙なのが分かる。

日本よりも遥かに年功序列が強い韓国。

年輩の男が1人で何故?と思うのは無理もない。

「韓国人旅行客?在日同胞?まさか日本人?いやいや中国人だろうか?
 ともかく普通に接客しておこう」

そんな心理が見てとれた。(笑)

それ以来、私はその行列に並ぶのが面白くなってしまった。

そして家で韓流の歴史ドラマを食い入るように見ている母と娘に混じって眺めてみた。

するとそこには私が今まで全く知らなかった世界が展開していた。

朝鮮の歴史。

見たこともない服を着た人達が王朝の中での陰謀や悪事に悩みながらも立ち向かって行く様子が描かれていた。

極めて似た顔をしている日本人と韓国人。

余談:日本人は韓国人との身体的な僅かな差異を見つけることができる。
   韓国人も同様にその違いが分かる。 
   ところが欧米人から見るとその違いは全く分からない。
   中国人やタイ人も含めて黄色人種というひとくくりになってしまう。
   そんな事をある有名欧米人タレントがキツイ調子で言っていたのを思い出した。
   「あなた方日本人は自分達を中国人や韓国人とは違うと思っているような印象を受ける。
    全然違いますよ。私達欧米人から見ると皆同じに見えます。違いが全く分かりません。」と。
   まあ、この話は逆もまた真なりで、日本人は白人や黒人の違いが分からないのと一緒だ。

だが私達日本人の大多数は韓国の、いや、朝鮮の歴史を知らないでいる。

世界史で学んだとしても覚えているのはせいぜい李氏朝鮮くらいか?

そして日韓併合

この厄介な歴史は日本人と韓国人の相互理解の間に高い高い壁を築いてしまっている。

知らないでいた方がいい。

関わらないでいた方がいい。

そう考える日本人も少なくはないと思う。

かくいう私もそのうちの1人だったと思う。

そんな時、仕事で初めて韓国人と接する機会があった。

私にはそれまで韓国人の友達はいなかった。

おそらくまともな話をするのは初めてだった。

初めて接した韓国人は片言の日本語を話す礼儀正しい人達だった。

最新の防犯技術の1つに、初対面の直感的な印象は非常に大切であるというのがある。

パッと見た瞬間に何を感じるのか?

違和感を感じたとった場合、それは後々まで尾をひき、
いずれ大問題を巻き起こす。

この防犯技術は人生の他の多くの場面にも応用できる。

違和感を直感的に検知できるかどうかこそがトラブル回避の最重要テクニックといえる。

違和感こそ全て。

だが、私が彼らと接した時に浮かんだのは「信」という漢字だった。

彼らは信頼できる。

他の韓国人はともかく彼らは信頼できるだろう、と。

私の直感は私自身にそう教えてくれた。

仕事の話が終わり、別れ際、私は「カムスハムニダ。アンニョンヒカセヨ」と言ってみた。

破顔一笑

そこにいたのはテレビに映る日本大使館前でヒステリックに喚く韓国人ではなく、
むしろ知性と意欲に溢れる人間に思えた。

それからしばらくして、日韓関係は最悪ともいえる状況になっていた。

新大久保ではデモ団体が行進をして盛んにヘイトスピーチを繰り返していた。

自動車の中からその様子を眺めていた私は醜悪だなと思った。

「異文化を理解しようとしない者は醜悪である」

これは私が持つ強烈な信条だ。

日本人だろうが韓国人だろうが中国人だろうが、
はたまた欧米人だろうが。

文化的に洗練されていない者は醜悪である。

傲慢かも知れないが私には絶対に譲れない価値観になっている。

矛盾しているが、あれほど毛嫌いしていた韓国ではあったが、
私は徐々に変わっていると思う。

そんなある日、たまたまテレビを点けたらテレビ神奈川で「逆転の女王」という韓流ドラマがやっていた。

つい見てしまった。

想像以上に面白く、その内容をブログの友達限定記事でアップしてみた。

すると韓流ドラマ好きのブログ友達から「ミセン -未生-」というドラマが最高傑作だと紹介され見始めた。

「逆転の女王」「ミセン」共に面白いのだが、日本のドラマとは決定的な何かが違っていた。

最初はその何かが分からないでいた。

感覚的にはストーリーそのものは普通なのだが、人間関係がかなり複雑で様々な人達が交錯して展開して行く。

しかし違和感は特にない。

極端な例えを挙げてみよう。

日本のオシャレな恋愛ドラマを見た場合、主人公の男女がいたら、
大抵の場合、男も女も1人暮らしであり、
その家族像が詳しく描かれることはそれほどない。

むしろ友達関係が中心となって恋愛関係は進展して行く。

だが韓国のドラマは全く違う。

主人公の男の母親や男の上司の家庭までかなり詳細に描かれる。

友達関係も親子関係も恋人関係も三角関係も非常に複雑な様相となる。

面白いことは面白い。

それも非常に面白い。

しかし場面が入れ代わり立ち代わり変化するので、
最初はかなり面食らってしまった。

何故なのか?

分からないままでいた。

そんなある時、私は書店で「韓国人を愛せますか?」という本を見つけてこれまた読み始めてみた。

するとそこには明確な回答が書かれていた。

「韓国人の人間関係のあり方は日本人とはまるで違う」という事実だ。

例えば日本人の男と韓国人の男が友達になったとする。

すると韓国人の男は普通に「君のお母さんに会わせてくれ」と言うらしい。

あるいは友達同士2人が一緒に会うことになっていても、
別の韓国人の友達などを同席させるのに全く躊躇いがないらしい。

つまり、友達同士2人で会おうと決めていても、
相手にとっては全く知らない人でも平気で会わせたがる、と。

人間関係を広げよう広げようとするらしい。

そしてより深く知ろうとするらしい。

ちなみに強烈なエピソードが書かれていた。

著者は韓国人で、友達になった日本人男性と一緒に喫茶店にいた時、
日本人が財布を置いてトイレに行ったそうだ。

そこでその著者は彼の財布の中身を確認していた、と。

トイレから戻った日本人男性、酷く激怒して、
「何をやっているんだ!!」と怒鳴って来たらしい。

逆に驚いた韓国人の著者。

「何で友達の財布の中身を見たくらいでここまで怒られるのか?」と。(笑)

韓国では親しい友達の財布の中を見たり、
冷蔵庫の中を見るのは普通の行為で、取り立てて非難される行為ではないそうだ。

あるいは友達同士で待ち合わせをして遅刻した時にも韓国人の女性は謝らないそうだ。

なんやかやと言うらしいのだが、
それは日本人からすると酷く傲慢な言動に思えるのだけれど、
韓国人同士になるとそれは「受け狙い」の面白い言動になる、と。

ドラマ「逆転の女王」にも主人公の女性が何かの拍子にこう言い切る場面が頻繁に見られる。

「私を誰だと思っているの?あの○×(自分の名前)よ!!」と。

最近の日本の漫才で有名な「誰だと思っているんだよ。斉藤さんだよ」を普通に言ってくるらしい。(笑)

日本人とは決定的に違っている言動がかなりある。

これこそが異文化を知る、ということかと。

「ミセン」は囲碁の世界でプロになることを本気で考えて実行していた才能ある若者が父の死で挫折し、
商社の世界にコネ入社することから始まる。

最初の場面は中東のどこかで、主人公が大立ち回りをして始まるのだが、
意味が分からず視聴者はかなり困惑すると思う。

だが、場面が切り替わり本来のドラマが進行する。

様々な難題、様々な人間ドラマが複雑に交錯する。

そしてそれら1つ1つが人生の苦しみをこれでもか!!と描き出してくる。

決して皆、人生を順風満帆で過ごして来てはいない。

それぞれが皆、何らかの問題を抱えていている。

さらに脇役が全て名優ぞろいに見える。

だからこそ、このドラマは非常にリアルに思えてしまう。

感情移入がすんなり出来てしまうところが秀逸であるかと思う。

例を挙げると最初悪役で出てくるパク課長と言う存在がある。

顔も悪人面で如何にもなヤツだ。

主人公をいじめるシーンなど本気で頭にこさせられる言動をする。

だが彼もそれなりの事情を抱えていて落ちてゆくヤツだった。

最後はそれほど憎めなくなる点が凄い。

このドラマの作者は人間心理によほど長けているのでは?と思っていたらやはりそうだった。

心理学の用語が数か所顔をのぞかせる場面がある。

「あいつは達成動機が強い男だから注意しろよ」と、さり気なく上司が主人公にアドバイスするシーンがある。

これを聞いた瞬間、少なくともこのドラマの作者は人間の幸福や不幸を心理学的に熟知していると思った。

実際にこのドラマで描き出してくる人間の幸福や不幸はリアルな極限であるかと感じた。

そして最初の訳の分からない中東の場面が一番最後の場面と同じなのだと最後の最後に分かる仕掛けになっている。

いずれにしてもこのような作品に接すると、
実際の政治で煽られる他国への敵対感情と言うものが如何に恐いかを思い知らされる。

韓国で暮らす韓国人も普通の人間であり、
そこでは親や子、親戚、友達、恋人、夫婦、職場、色々な人達がいて、
様々な考えをして人生を送っているのだと分かる。

テレビのニュース番組だけでは決して理解できない。

異文化を知る。

これは非常に疲れる行為であるが、
とても大切な事だと私的には思っている。

一旦ヘイトスピーチに憑かれてしまったら抜け出すのは難しくなって行くだろう。

視野狭窄状態になるからだ。

人間は狭い世界にいればいるほど周囲が見えなくなってしまう。

独自のグループ内だけで通じる感情の共有を通し、
ますます過激になって行く。

どこかで歯止めをかけ、より広い世界を知らないと。

憎しみの連鎖に落ちてゆく。

それだけは恐い。

私達は中東の大問題を見て、それがどのような社会をもたらすのかを知らねばならない。

近くて遠い国、韓国。

難しい政治問題をちょっと棚に上げてたまに韓流ドラマを見るのも悪くない娯楽だと思った。

終わり



余談:

ミセンでは何度もお酒を皆で飲むシーンが出てくる。

この時のシーンは韓国社会の1つの現実を知る面白い場面になっている。

それは未だに非常に強く残っている「年功序列」の考え方だ。

年上の上司に酒を注がれて飲む時、
若者は必ず横を向いて盃を隠すようにして飲む。

決して上司の方を向いては飲まない。

若者同士だけで飲む時はこのような動作を絶対にしない。

韓国社会では今でもこのような伝統的な振る舞いが求められているのだなと面白く思った。



余談2:

ミセンを見ていて苦笑してしまった。

彼ら韓国人も酔いつぶれるまで飲む、と。

実は親しい中国人同士もこれをやる。

日本人でもやるヤツは今でも多い。

東アジア人に特徴の困った習慣だと思う。(苦笑)