音楽の記憶

以前、音楽がとても好きな友人と話していた時のこと。

私が「最近、電車の中でウォークマンから音漏れさせているヤツがいるけど鬱陶しい」と言ったら思わぬ返答が返ってきた。

「え!?そうなのか?オレは何の曲か先ず探るんだよ。
 その後、知らない曲だったり、リズムしか聞えない場合は、
 どこにサビがあって、ここでドラムがこうクるだろうな、などと予想して楽しんでいるよ。」と。

う~む、さすがに音楽好きは違うと感心した。

そして思った。

人は予期していない音楽に接した時、
良くも悪くもとても記憶に残るのではないか?と。

悪い例でいうと、かつて防音室など無い時代、
ピアノの練習の音がうるさいと団地で殺人事件が起きた。

もちろんウォークマンからの音漏れもつい最近までとても問題視されていた。


最近はイヤホンが改良されてほとんど音漏れがしなくなったようだが。

いずれにしても人はコンサートホールや自室で聴く自分の好み以外の音楽には不寛容であると思う。

それ故、現代社会では防音にとても気を遣っている。

反面、予期していない時に意外な場所で自分の好みの音楽に接した場合。

コンサートホールで集中して聴く優れた音楽よりも記憶に残るのでは?と思う。

私の場合、最も記憶に残っている音楽は、以前にも記事にしたが、
幼い頃、父だか母に負んぶされて西麻布の自宅の近くの坂を通りかかった際、
西洋館から聴こえて来たヴァイオリンの練習音だった。

長い間、その曲が何だったのか分からないでいた。

それから25年くらい経った時。

仕事で神谷町の裏の閑静な住宅街を歩いていた。

突然、音楽がマンションの窓から流れて来た。

それはバッハの無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番のフーガだった。

その瞬間、あの幼い頃に聴いた西洋館の音楽はこの曲だったのだ、
と直感的に分かった。

どちらも不意に流れて来た音楽だった。

人は集中して聴く音楽こそが記憶に残ると思っているが、
案外、予期せぬ時に聴く音楽の方が深く覚えているのでは?と何となく感じた。

聴覚の記憶とは不思議なものだと思う。

終わり


余談:ブログ友達のコンサートに行った時のこと。
    西洋館でのバロック音楽のコンサートだった。
    時間が早く着き過ぎたので隣の公園で休んでいた。
    不意に西洋館の窓からリハーサルの音が流れて来た。
    この時のバロックオーボエの何とも言えない優しい音色が深く聴覚の記憶に残っている。