音楽と映画と日本

先日、久しぶりにコンサートに行って、
声楽を聴いて改めて深く感じた事があるので記事にしてみたい。

私はクラシック音楽を幼少の頃より好んでいて、
18歳頃からはバロック音楽、特にバッハを集中的に聴いている者だ。

あとは中高時代に聴いていたロックやポップスなど。

そしてフラメンコだ。

もちろん他の音楽に耳を傾けることはあるが、
基本的には上記の音楽のファンだ。

そして中年になってからも全くこの姿勢は変わっていない。

さて、メインとして聴いている音楽がクラシックになってしまうと、
日本で現在盛んになっているある特定分野の音楽を聴いた時、
「非常に激しい嫌悪感」を感じてしまうのである。

それは、現在テレビに盛んに出演している「アイドル」と呼ばれる者達の音楽だ。

何故嫌悪感を感じるのかと言うと「音楽になっていない」からだ。

プロが演奏する音楽は全て楽譜があり、決まった音程を奏する事が求められている。

その音程を外していたら、それは既にもう音楽ではなくなってしまう。

音痴と言うものに成り下がってしまう。

しかしながら。

日本のテレビでは音痴でも堂々とテレビに出演して歌ってしまっている。

恐ろしい事に人気があったりする。

この現象の醜悪さは、情けない事に外国人アーチストが出て来た時、
歴然とした差に気付くはずなのだが・・・・・

私達日本人は長年「音痴がテレビに出て歌っている状況」に馴らされているため、
気付く事すら出来なくなっているのではないだろうか?

例えば、現在政治的な問題からかなり韓流は下火になったとは言え、
依然大きな人気を保っている。

もっと言うと、後述するが、韓流の一部のドラマは未だに放映されている。

そしてそれなりに視聴率を稼いでいる。

何故なのだろうか?

ここまで政治的関係が悪化してヘイトスピーチなるものが大問題となっている状況なのに、
まだテレビでは堂々と放映されている韓流ドラマ。

ここはしっかりと「音楽的分析」「演技的分析」をしておく必要が今後の日本にとって非常に重大な問題になると私は思っている。

つまり、ただ可愛い、ただカッコいいだけで音痴に歌を歌わせている現状を何故憂えないのか?と。

これは由々しき問題である。

音痴以外に「演技」の問題もある。

俳優養成所でキチンと基本を学んでいない者が、
音痴で歌を歌って人気が出て、あろうことか映画やドラマにも出演して来るのである。

こうなると悲惨だ。

あるとても好きなマンガがあった。

それが映画化されると聞いて私は喜んだ。

しかし、私の妹が主人公の名前を見て「ダメだよ。多分あの映画は」と言った。

その通りだった。

可愛いだけで下手な歌を歌っているアイドルが、
演技の勉強の下積みもないまま主人公に抜擢・・・・・

これじゃあダメだ。

だからこそ、韓流スターや韓流ドラマが現在でも人気があるのだと思う。

悔しいけど、彼らの実力は日本の音痴な歌手よりは遥かに上だ。

と言うよりプロだと思う。

そして日本の音痴な歌謡界がやり出した事の1つに、
往年のアメリカのスターと日本の音痴な歌手のコラボがある・・・・・

もう止めてくれ、と叫びたい。

とは言え。

日本にも実力のある歌手も俳優も映画監督もそれなりにいる。

メジャーにはなれないでいるが、頑張って欲しいと思う。

そういう人達の作品がたまに海外で賞を取ると凄く嬉しく思う。

何とかならないのかな、日本のこの現状は、とつくづく感じた。

終わり