耳を研ぎ澄まし、目を凝らして芸術作品を楽しんで行くと・・・・・

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あれは確か高校3年生の頃だったかと思う。

オートバイに乗って旧軽井沢にある友人の別荘に行った夏の日だった。

軽井沢銀座で超有名な喫茶店へ入ってみた。

非常にシックな、高校生にはまだまだ早過ぎるそんな大人のお店だった。

そこではクラシック音楽がずっと流れていた。

クラシック音楽の素養がない友人達は私を見つめてきた。

そして訊いてきた。

「この曲は何?結構面白いけど。」と。

残念ながら私も聴いたことの無い曲だった。


しかしながらこう言った。

「オレはこの曲を聴いたことはない。でもね、この曲調はバッハだと思う。
 そしてこの演奏形態は間違いなくチェンバロ協奏曲だ。
 間違っていたらごめんよ。まあ、バッハにチェンバロ協奏曲があるのかは分からないけど」
と高校生だった私はこのように回答した。

友人達は「何故分かる?」と言って来た。

そこで私は、ある1人の作曲家の曲を非常に多く聴き込んで行った場合、
独特の曲調が絶対にある。

もちろん、それは生涯を通じてずっと同じと言う訳ではないけど、
その作曲家でない限り絶対に有り得ない曲調と言うのが存在している。

これが分かった時、初めての曲に接しても分かる場合がある、と。

これは芸術作品全般について言えると思う。

作風がガラリと変わってしまう芸術家もいる。

けれども生涯を通じてほとんど変わらない芸術家もいる。

絵画の場合・・・・・

ルノワールがそうなのかな?と思う。

ルノワールの作品は初めてでも「あ、これルノワール?」と即座に分かるケースが多いと思う。

こういう感覚。

研ぎ澄まされて行く感性・・・・・

凄く好き。(笑)

(^W^;v