中学受験で越えてはいけない一線

自分の娘の大学受験が終わって一年が経過した今。

ようやく学業的な教育問題からは解放されてホッとしている。

もちろん、他の問題は山積しているが。(苦笑)

それはともかく。

私的には学業教育については、他の子の今の実態を知るつけ、
「越えてはいけない一線」が明確に存在していると感じている。

これは一言で言うと「自我を潰したらアウト」と言う言い方になる。

ちょっと分かり難いし、心理学的に正しい言葉遣いかも分からないので、
説明をして行きたいと思う。

大体、小学校卒業までの子供の頭は非常に柔らかく、
親が明確な教育方針を持って戦略と戦術に基づいた教育を仕掛けた場合、
かなりの点で子供はそれに応えてくれる。

しかしながら、場合によると親も子供も、あるいはどちらかが、
能力的に中学受験レベルに達せないケースがある。

この場合、非常に恐い問題が生じてしまう。

特に親が真面目で、子供がなかなか応えず、結果が出ない場合、
途中で「子供の自我を潰す行為」もしくは「子供の人格を潰す行為」を、
つい感情的になってヤってしまう親は想像以上に多いかと感じている。

本来ならば、親は何としても学業の楽しさを子供に目覚めさせてあげなくてはならない。

誰だって嫌いなモノは覚えられない。

ここで子供本来が持っている成長過程の柔らかさ、素直さを利用してしまい、
暴力や脅し、暴言を吐いて、子供を自我や人格を潰して勉強をさせるケースがある。

自我を潰した場合、一見するとしばらくは上手く行く。

まるでロボットのように、感情を失った子供は一応従順に親の言う事に従う。

これは、この事により、中学受験をクリアする事が出来るケースもあるから厄介だ。

しかしながら、思春期を迎えた子供は、この時、一気に反撃に出る。

もう身体の大きくなった我が子に対し、親は無力となる。

最悪、不登校や引きこもり、非行に発展して行く。

私が目の当たりにして来たケースを考えると、
「子供の自我を潰す教育」をやったら取り返しがつかないと感じている。

これは想像以上に恐い問題であると、周囲を眺めて思っている。

しかし、ここで間違ってはいけないのが、
「そうか、だから何もやらない方がいい」と言うゼロか100%かの思考に陥ってしまう事だ。

親である以上、子供の教育から逃げる事は許されないと言う冷徹な事実だ。

我が子は自分とは違う人格を持った存在であり、
それは尊重されなくてはならない。

けれども尊重のし過ぎは教育の放棄となる。

このバランス感や限界への挑戦は。

これこそ教育の醍醐味であるとも言える。

終わり