人間関係の勘違い

私達は人間関係について大きな勘違いをしている場合が非常に多いと感じています。

それは「全ての人間関係は濃くて広いほど良い」と言う思い込みです。

体験的にこの考えはアジア人に顕著にあり、
欧米人には少ないと感じてます。

農耕民族と狩猟民族の違いかどうかはさておき、
実は上記の考えは、決定的に間違っているのです。

身内に精神医療に長年携わっていた者がいるため、
はっきりとしている事実です。

ちなみに昨日読んだ、精神科医が書いた本にも同じ事が書いてありました。

対人関係において、精神科にやって来るほど心を病む人は、
「人間関係の濃さで悩み病気になる」と言う事実です。

「人間関係の薄さで悩んで病気になる例は極めて珍しい」のです。

昨日読んだ本では、薄さで悩んで病んだ人は過去数例しかない、と。

よくよく考えたら当たり前なのであります。

親の過干渉により病むのです。

恋人や配偶者、上司の過干渉により病むのです。

ある程度濃くなくてはいけない人間関係はもちろんあります。

それは親子関係と夫婦(恋人)関係のみです。

それとても余りに濃すぎた場合、崩壊します。

都市に暮らしていると実は人間関係的には非常に快適な生活なのですが、
テレビで大災害などが報じられると「地域の助け合いは素晴らしい」と思うようになってしまいます。

常日頃から隣近所とコミュニケーションをして、
お互いを良く知っておく必要がある、と。

都市的な生活は間違っている、と。

実はコレはとんでもない間違いです。

当ブログにおいては何度も何度も「コミュニケーション能力の大切さ」について書いています。

コミュニケーション能力の低い人は対人関係が上手く出来ません。

さらにネットリテラシーまで低いとブログやFBなどのSNSでトラブルを巻き起こして、
下手をすると嫌われまくります。

ここにおいて勘違いされてしまうと大変困るのでキチンと明記しておきたいと思います。

・コミュニケーション能力は大切です

・しかしコミュニケーション能力とは手段に過ぎません

・誰とコミュニケーションをするのですか?

↑この3つの仕組みを常に念頭において行動をする必要があるかと私は思っています。

具体例を挙げます。

隣近所に1人や2人必ずいるオバサンやオジサンタイプです。

やたらと人のプライバシーに踏み込んで来たがるタイプと言えば分かり易いかと思います。

町内会の世話役などもしていて、
どこそこの家ではどうたらこうたらとやたらと詮索して来るタイプです。

やたらと挨拶をして来て、
隙あらば話し掛けて来て根掘り葉掘り他人の個人情報を知りたがる人です。

これがコミュニケーションだと勘違いしている人です。

この種の人は信念がありますから極めて厄介なのです。

上記に書いた通り「全ての人間関係は濃くて広いほど良い」と思い込んでいるからなのです。

冷たい態度でも取ろうものなら激怒するケースすらあります。

「年上に敬意をはらわない」とか「これだから今時の~」とか。

そして愚にもつかない他人のプライバシーを詮索して来ます。

もう少し書くと、大半の女性も上記のタイプにおおよそ当てはまります。

女性は一般的に良くも悪くもコミュニケーション能力が男性よりも遥かに遥かに高いため、
女性同士が集まったら盛んに色々な情報交換をしています。

酷い場合は何時間でも喋っています。

いわゆる井戸端会議です。

PTAの会合、老人会の集まり、町内会の集まり・・・・・

この種の集まりは実はトラブルの宝庫なのです。

しなくてもいいコミュニケーションに入れあげてしまい、
濃くしては絶対にいけない人間関係を濃くしてトラブルになってしまうのです。

こんな事にコミュニケーション能力を使ってはいけません。

友達付き合いが悪いと言っているのではありません。

何事も程度問題があります。

迂闊に他人のプライバシーに首を突っ込んで行った場合、
思わぬトバッチリが来ます。

恨まれたりもするでしょう。

そんな事が地域の会合やPTAでは多発していて、
それが人間関係に致命傷を与えているのです。

これは私の勝手な思い込みではありません。

現実に自分でも体験し目の当たりにして来た事です。

上記のような集まりは、一旦入り込んでしまったら抜け出すのが容易ではなくなります。

選別もなく人が集まった集団においては、
10人集まったら、おかしな人は必ず1人はいます。

30人集まったら2~3人はいます。

この問題人格者によってその集団は一気に破壊されてしまいます。

余程、厳格な規定を設けて、キチンとダメな人間を排除するシステムを構築していない限り、
病む人が続出して来ます。

これは本当に恐い問題なのです。

キチンとコミュニケーション出来る能力や常識・良識を持つ事は大切です。

しかし、誰とコミュニケーションするのですか???

親しくコミュニケーション出来る人は非常に限られて来るのです。

LINEが流行っています。

おそらく、職場仲間でもグループを作ってやっている人も多いかと思います。

大変な目に遭います。

やらない方が無難であると私は思っています。

LINEを開通させてやり取りする相手は厳選しなくてはいけません。

いいとこ、グループであるのなら本当に親しい数人のグループが1つ。

親子、親友、配偶者(もしくは恋人)のみ。

これが限界です。

LINEは一番濃い関係のみに限定しておかないと地獄をみます。

そもそも、濃い人間関係、つまり常日頃から連絡を取り合うような超親しい関係は、
「数人が限界」です。

時間がいくらあっても足りません。

驚くべき事に現代の女子高生達は、下手をするとSNSに1日6時間以上かけているそうです。

そんな統計がありました。

これは異常です。

そしてもちろん、トラブルの宝庫です。

最悪なケースでは殺人事件が起こってしまいました。

ケンカは日常茶飯事で起きています。

余計な人間関係の構築は本当に危険なのです。

厄介な事に年輩者は嘘の統計を信じ込んでいるケースもあるため悪質さすら感じます。

安易な過去への憧憬です。

「昭和時代は良かった」と言う根拠のない思い込みです。

妄信と言っても良いのです。

「昭和時代は近所のコミュニケーションが多かったから、
 今みたいな物騒な事件は無かった」と。

はい、大嘘です。

日本国の殺人事件件数は今が歴史的に最少なのです。

戦後の統計だと昭和30年代くらいが最悪でした。

今の3倍以上の殺人事件が発生していたのです。

これは顕著に有意な統計的な数字です。

つまり昭和時代の方が遥かに遥かに危険だったのです。

隣近所と仲良くしていれば事件は起きないと思い込むのは悪質とさえ言えます。

むしろ、トラブルを巻き起こす可能性の方が遥かに高いのです。

ある自治体や大学においては、安いアパートを提供する代わりに、
町内の行事への参加を義務付けるところもあります。

これは大問題です。

良かれと思ってやっているのでしょうけど、
トラブルの元です。

迂闊なコミュニケーションは避けるべきである、
と言う鉄則を持っておいた方が安全です。

もちろん、他人に親切にするな、と言う意味ではありません。
(親切を利用して起こされる強盗や詐欺などもありますから油断は禁物です)

いずれにしても、知らないコミュニティに安易に入って行くのは危険です。

人間関係の構築は、親子でないのなら。

恋人でないのなら。親友でないのなら。

薄い方が良いに決まっています。

トラブルの元なのです。

誰と付き合うのか?は余程慎重にならない限り、大変な目に遭わされるのです。

今、私の周囲で人間関係上の大問題を抱えて病んでしまっている人は・・・・・

どうでも良いコミュニティ内での人間関係で悩んでいます。

もちろん、最優先されるべきコミュニケーション問題の筆頭は、
夫婦や親子関係でありますので、悩むのは当たり前と私は思っております。

当然、除外しています。

つまり、どうでも良いコミュニティ内の人間関係で悩むのは止めるべきです。

危ないと思ったらさっさと離脱すべきです。

悩む場所の優先順位を間違えてはいけません。

もちろん、逃げ場のない家庭や学校、職場の問題が極めて深刻なのは言うまでもありません。

終わり



余談:

ブログも危険です。

接近して来る人を誰でも良いからと歓迎していたら酷い目にいずれ遭います。

公開記事は無難な内容のみにしておくべきです。

ファン限定記事は基本的には公開記事とセキュリティ的に大差ありません。

本当に書きたい事は厳選した友達だけで構成している友達限定記事でのみ書くべきです。

友達限定記事であるのなら、理論上はFBなどのSNSと同じ空間になります。

つまり安全な閉鎖空間となります。

もちろん、友達の選定がキチンとしてればと言う前提条件があるのは言うまでもありません。