ブログの基本:「Facebookとブログの違い」と「その活用法と危険性」について

Facebookを始めてみた。

顔写真と名前を公開するのが恐いと言うご指摘を受けたので、
現時点で私が感じている事を書いてみたいと思う。

※ 返コメが遅れておりますのと、
  コメント欄の500字規制があるため記事にします。m(u u)m

実は以前から個人情報保護法の流れに疑問を感じていた。

確かに女性の場合は、名前や顔写真が不特定多数のネットに流出するのは危険だし、
絶対に避けなくてはいけないと思う。

ブログには公開・ファン限定公開・非公開と3段階に分かれて記事をコントロールできる。

だが、非公開とは自分にしか分からない記事だ。

従って実質上は公開かファン限定公開の2種類しかない。

このファン限定公開と言うヤツ。

非常にクセモノだ。

現在のヤフーブログは設定が変わってしまい、
ファン限定記事とブログリンクなるモノが分かれている。

ファン限定記事はファンになれば誰でも読める。

しかも、誰がファンなのかを確認する場合、
現在の仕組みだと、ブログ設定へ行ってわざわざ確認しないといけない。

ちょっと面倒な作業が必要になってしまう。

トップ画面をワンクリックして直ぐに確認は出来ないのである。
(携帯からだと一応できるが)

例えば、ブログ上で同窓会の場を作りたいと考えた場合、
基本的にソレは無理だと考えた方が良い。

名前や写真をオープンにしなければ誰が誰だか分からないだろうし、
そもそもファン限定にしたところで、見知らぬ誰かが夜中にファンになり、
情報を取るだけ取って、ハイさようなら、と出来てしまう。

つまり、ファン限定公開と言いながら、まるでセキュリティーは無いと考えるべきだ。

もっと言うとブログで記事を書くと言う事は、
例えファン限定公開としても、基本的には「公開記事と大差ない」と考えるべきだ。

ブログは匿名性を保持したまま記事を書けるので、
それなりに過激な主張が出来る利点がある。

どこの誰か分からないスタンスだが、2chよりは遥かに高い個人性を有しているので、
長く続けて行くためには高度なマナーが要求される。

多くの人に読んでもらえるため、様々な意見に触れる事ができる。

また、非常にマニアックな趣味を持っていた場合、
この「多くの人」と言う利点を最大限に活かし、ブログならではの世界が展開する。

例えば、私の場合、バッハの音楽を好んでいる。

実生活の場面において「バッハの音楽」についてマニアックな会話を友人と交わすのは不可能だ。

そもそも滅多にいないからだ。

だが、ブログを使用すればいとも簡単に演奏家の方とすらも会話可能になる。

これはかつての時代では考えられない驚異的な世界だと思う。

ちなみにお陰で今の私はバロック音楽についてどんどん精進している状況になっている。(笑)

ブログでしか出来ない真骨頂と言える。

だが、かつての級友との交流を考えた場合、
絶対にFacebookの方が適切なツールとなる。

そもそも発想が違う。

顔写真(強制ではない)と名前を登録して、
Facebookのアカウントを取り、誰かと友達登録をしない限り、
自分の情報や他人の情報をどうこうする事は出来ない。

仮に知らない人に友達登録依頼をしても、
相手が余程のバカじゃない限り、絶対に受けてはもらえない。(苦笑)

偽名で登録した場合、どこの誰か相手に分かってもらえないため、
ますます友達を作れる場があるとは思えない。

そもそもが誰かと同級生などで繋がっていない限り、
Facebookの世界ではやって行けない気がする。

もちろん、今は始めたばかりなので、また違った局面が出てくるとは思うが・・・・・

Facebookでは、私の場合、かつての級友からの勧めで始めた。

そこでは、昔なじみのクラスメート達が古い写真を持ち出してきてワイワイやっていた。

これは凄い驚異だった。

もうみんな世界中に散らばっている。

本当に外国で暮らしている人もいる。

けれど、写真から動画まで導入されて普通に楽しく会話している。

これこそが、実名でやるFacebookならではの価値だと思う。

セキュリティの問題については、見境なく誰とでも友達登録してしまったら危険だとは思う。
(そんな人は滅多にいないだろうが。苦笑)

だが、実生活の場面において、クラス会に出席する時、マスクをして行くのだろうか???

危険性を感じるのだろうか???

何となく、今の私達は個人情報保護法の厳格化により、
プライバシーには凄く敏感になっている。

でも、普段の私達は地域社会では匿名になっていない。

学校に行けば、PTAに行けば、会社に行けば、皆、顔もおおよその住所すら分かって生活している。

Facebookに危険が無いとは言わない。

けれど実生活と照らし合わせて考えた場合、
さらに私の妹やかつてのクラスメート(女子)が普通に楽しくやっているのを見ると、
それほど神経質になる必要はないと言うのが現時点での私の考えだ。

使い分けをする事により、楽しい世界が展開すると思った。

終わり