忘れられない愛しい人の記憶・・・それは悲しいまでに儚い
男と言う生き物は好きな女性を想う時、
極めて視覚的に感じる存在だと思う。
極めて視覚的に感じる存在だと思う。
あくまでも自分の感覚だが女性はもっと総合的に、
つまり、触覚や臭覚、雰囲気までをも感じながら男を見ていると思う。
つまり、触覚や臭覚、雰囲気までをも感じながら男を見ていると思う。
それはさておき、昔の男は絵画を利用し、
現代の男は写真や動画を利用して愛しい人の映像を何とかして残そうとする。
現代の男は写真や動画を利用して愛しい人の映像を何とかして残そうとする。
何故なのか???
その答えを見つけた気がした・・・・・
この展示会に行き、悲しいまでの理由が分かった・・・・・
そこにモネの傑作が来ている。
↑「散歩 日傘の女性」
この作品、傑出している。
モネは、上記の作品を含め、
同じ題材で3つの作品を描き上げている。
同じ題材で3つの作品を描き上げている。
↑「日傘の女性 左向き」
↑「日傘の女性 右向き」
最初の作品には微妙に表情が描かれている。
ところが後の二つには表情がない。
最初の作品は、モネ夫人と長男を見ながら描いた作品だ。
しかし後の二つは夫人の死後に描かれたものだ。
印象派の作品は写実とは違ってぼんやりとしている。
一見すると、当時世の中に出回った写真に対する逃げなのか?とすら思う。
だが・・・・・
良~く考えてみよう。
かつて好きだった女性の顔を覚えているだろうか???
毎日毎日未だに写真を眺めているのならはっきりと覚えているだろう。(苦笑)
だが、写真やビデオと言う手段を使わないでいた場合・・・・・
上記の作品のような感じになっていないだろうか???
我々の心は、想像以上に視覚を記憶するのが苦手なのではあるまいか???
印象派の巨人達はこの事を熟知していたのではあるまいか???
心の中に残る愛しい人の映像とは・・・・・
儚くもモネの作品の如く、
華やかな色彩の中に埋もれながら佇んでいる。
華やかな色彩の中に埋もれながら佇んでいる。
けれどその表情は・・・・・時と共に忘れ去って行く。
だからこそ男は忘れたくないのだと思う。
そしてパトロンを見つけ、次第に安定的な生活になる。
しかし、そのパトロンが破産して、その後死んでしまう。
一見すると義理堅い男のように思える。
しかし・・・・・
モネは、かつてのパトロンの妻と恋愛関係に陥る。
悩む妻カミーユは病気のうちに亡くなってしまう。
モネは妻を決して嫌いになった訳ではないのが絵からも分かる。
まばゆいばかりの色彩の光の中で佇む夫人。
かつて愛した夫人を想いモネは筆を走らせる。
しかしその記憶は既に過去のものに。
決して忘れられないかつて愛した女性。
けれどももう表情すらも分からない。
画家の心の中にある映像を見事に表している傑作。
そして、その映像は私達の心の中にもあると思う。
終わり
余談:もし「ワシントン・ナショナル・ギャラリー展」へ行く機会があるのなら、
モネの作品は少し離れたところからも絶対に鑑賞すべきだ。
間近で観ると荒々しい筆のタッチでしかない。
ところが・・・離れて観ると・・・
その周囲にオーラすら漂う色彩美が飛び込んで来るだろう。
クロード・モネ・・・・・
それは実物を観ない限りは分からないかも・・・・・
超余談:印象派の絵画は想像以上に素晴らしい。
時と共に、年齢と共に、その素晴らしさが分かってくるようだ。
人の感動とは、人の哀しみとは、かくあるべきか?と思い知らされた。