「バロック音楽」皆川達夫著・・・・・通奏低音(つうそうていおん)と対位法

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クラヴサン様の記事で紹介されていた本。

バロック音楽

皆川達夫著。講談社学術文庫。本体1150円(税別)。

バロック音楽を理解するのに大変役立ち、
また、巻末に辞典まで付いているとの事で早速アマゾンに申し込んで買ってみた。
(近所の書店にはなかった)

ザッと見た感じ、とても分かり易そうだ。(^^v

バッハ好きには堪らない。

この本は大変重宝しそうである。
(^0^v


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バロック音楽には現代の音楽には無い、
非常に難解な部分があると個人的には思っている。

もちろん、音楽は素直に聴けば良いのではあるが、
構成的に現代の音楽には無い異質な感覚がある。

典型的なモノとして通奏低音と対位法がある。

通奏低音(つうそうていおん)・・・・・

バロック音楽を聴いていると楽曲名にも出てくる。

ヴィヴァルディ「2つのバイオリン、弦楽と通奏低音のための二重協奏曲」など・・・・・

↑初めてこういう楽曲名に触れると、怖ろしく難解な曲のように感じてしまう。(笑)

音楽教育(義務教育ではなく音楽学校と言う意味)を受けていない普通の音楽愛好家にとって、
この「通奏低音」と言う用語は厄介極まりない。

まず、辞書を引いてみると大抵こんな感じで出ている。

ウィキペディアより抜粋

通奏低音(つうそうていおん)とは、バロック音楽において行われる演奏形態の一つ。
低音部の旋律とともに即興的な和音を付け加えて伴奏する演奏形態である。

通奏低音パートの楽譜には最低声部の旋律だけが示され、
旋律楽器は楽譜どおり演奏するが、
和音楽器では楽譜を見ながら和音を即興的に付けて演奏する。
この和声化の作業をリアライズといい、奏者の力量が問われる。
奏者の裁量に委ねられる部分の大きいこうした演奏は、必然的に即興性の強いものとなる。
このリアライズの作業のために音符の上または下に和音を示す数字を付けることも行われ、
この数字の付いた楽譜のことを数字付き低音という。

↑コレを読んで一発で理解できる音楽愛好家はいないと思っている。
 (音楽学校出身の者は除く)
 何となく分かる、ではダメだ。

私はバッハの音楽をメチャクチャ好んでいるので、
当然この「通奏低音」にぶち当たる。

幸い、本物の演奏家のブロ友が何人かいらっしゃり、
記事を拝読していて、ようやくソレが「具体的にどういうものなのか」が分かってきたような気もする。

否、まだまだ分かっていないような気もする・・・・・(苦笑)

実際に楽譜を見ても数字が書いてあったりして、
「だから一体何なんだ」と思ってしまう・・・・・

演奏を耳を凝らして聴いていると、
おおよそ、コレが通奏低音なんだろうな、とは思うが・・・・・

結局のところ、まだまだである・・・(苦笑)

さて、現代社会って、何事も進化を極めた頂点にあると思い込みがちである。

しかし音楽って、一見進化しているように見えながら、
実は退化しているのでは?とも思ってしまう・・・・・

その最たるモノは「対位法」だと思う。

現在の音楽は旋律主体である。

音楽好きなら誰もが美しい旋律を口ずさんでいる事だろう。

けれど、バッハを頂点とするこのバロック音楽には対位法と言う、
これまた厄介な代物が君臨していた・・・・・

フーガやカノンと言う形式をとるモノだ・・・・・

早い話、複数の旋律が組み合わさってきて、
怖ろしく複雑な世界が構成された音楽である。

バッハのフーガの傑作・・・・・

複数の旋律がある → 色々な聴き方が出来るとも解釈できる。

実際、数十年の時を経て、こんな感じでも聴けたのか?と驚く事もある。

対位法の世界はヨーロッパの大教会に似ているな、と思う事もある。

怖ろしく巨大で複雑で緻密で、荘厳で・・・・・

完璧な神の世界とはこんな感じなのだろうか?と思ったりもする・・・・・

現在まで、色々な音楽を聴いてきたが、
個人的にはバッハの対位法音楽を一番好んでいる。

この姿勢は、約30年間、不動だ。

終わり