マスコミによる洗脳

「マスコミによる洗脳」

現在のマスコミ発表を眺めていると、
2つの点で非常に大きな誘導もしくは洗脳操作をしていると感じている。

そして明らかに大きな矛盾がある。

既にほとんどの国民はそれらを完全に正しいと思い込み始めているから厄介だ。

・高齢ドライバーの排除

・高齢者の雇用促進

この2つだ。

先ず、高齢ドライバーが起こした大事故を大々的に取り上げて、
マスコミは連日これでもかっ!!と言うほどの大報道合戦を繰り広げている。

確かに高齢ドライバーが占める交通事故はかなり多くなっている。

しかしこれは当たり前の事だ。

何故なら日本は現在既に超少子高齢化社会に突入しているから、
高齢者の人口に占める割合が急増している以上、
高齢ドライバーの事故が増えるのは当然の流れと言える。

だからと言って高齢ドライバーの事故対策をしなくていいと主張している訳ではない。

連日マスコミが報道する時は要注意なのだと言いたいのである。

当ブログでは何度も取り上げているが、
交通事故死者数は昭和平成を通じて最も少ない時代に突入している事実がある。

警察庁が毎年発表している統計を見れば明らかだ。

しかもその減り方が素晴らしいのである。

昭和時代、最悪16、000人以上毎年死んでいたが、
現在は何と3、000人台にまで減っているのだ。

おそらくこの事実は超少子高齢化社会と無縁ではない。

実際にグラフで見ると急速に超少子高齢化が進み始めた平成8年頃から交通事故死者も減り始めて今に至っている。

全体的には、若者が減り、高齢ドライバーが増えた事によって、
大幅に交通事故死者数が総数としては減っている可能性がある。

しかしどうやらマスコミは高齢ドライバーを全て排除したいと考えているようだ。

まだ若くて問題なさそうな杉良太郎さんが免許の返納をして話題になっていた。

そして高齢ドライバーの事故をしつこくしつこく取り上げていて、
この昼間も、特に死亡者が出た訳でもない追突事故を、
当事者が87歳だったと言うだけで「テレビで取り上げて」大々的に報道していたのである。

ちなみに死者が出ない物損事故は平成29年の警察庁統計では47万件以上起こっている。
(実際には届けないケースも多いからもっともっと件数は多い)

そんな非常に数が多い《物損事故》の1つから、
高齢ドライバーだったと言うだけで「テレビ」が取り上げているのである。

本来なら絶対にニュースにならない物損事故を、
わざわざ探し出して報道している。

さすがに1人の出演者が、
「この事故は高齢ドライバーだからと言うよりは、
 普通の追突事故と考えた方がいいのでは?」
と指摘していたが、どうやら局の方針があるらしく、
その発言にはほとんど触れないで、
高齢ドライバー危険節を展開していた。

確かに高齢者の運転には問題はある。

家族が明らかに危険だと思いながらも、
頑なに運転を止めない高齢ドライバーは悪質ですらもある。

だが、健康には非常に大きな個人差があるのも事実だ。

その辺の見極めは非常に難しい。

これは何も高齢者だけでなく、
若者にも言える事だ。

明かな不適格者と言うのは存在している。

ちょっと前までは「あおり運転」がやたらと問題視されていたが、
今は「高齢ドライバー」に矛先が向けられている。

そしてもう1つ、マスコミはその危険だから免許を取り上げたい高齢者に対して、
全く正反対の異常な要求をしていて、恥じる事すらもない。

それが前述した「高齢者の雇用促進」だ。

深刻な人手不足なので、高齢者をもっと雇用せよと政府もマスコミも、
この点だけは意見が一致しているのか、
連日のように報道しまくっている。

高齢者は危険だから免許を取り上げよと言いながら、
一方でまだ健康で安全なんだから働けと堂々と主張している。

高齢者の自動車運転は危険だけど、
高齢者の労働は安全だからもっともっと推進せよ、と。

このマスコミの二枚舌ぶりはハンパないと思う。

また、そもそも政府が掲げている高齢者働け節。

少子高齢化社会だから仕方ない面もあるし、
他に選択肢がない恐い問題であるとも認識している。

だが、これは本当に正しくて良い選択なのだろうか???

本来、引退した高齢者は年金で残りの人生は好きに生きるのを目指していたのではないだろうか???

少なくとも、私が知る限りにおいては、
ドイツの老人はそうだと言う。

早く仕事を引退して、
残りの人生は好きに生きたい、と。

やはり高齢者を全体的に眺めると、
健康面に不安を抱える人の割合は多くなる。

けれども働けと政府もマスコミも主張する。

これは悲惨な超少子高齢化社会への対処法としては正しい。

だが、進むべき社会の在り方としては間違っていると私は思う。

私達日本人の思考は限りなく歪みつつあると感じている。

終わり