男が女を嫌いになる時、あるいは男が女に求めるもの

「男が女を嫌いになる時、あるいは男が女に求めるもの」

THE END OF SOMETHING

by ERNEST HEMINGWAY

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“There’s going to be a moon tonight,” said Nick. He looked across the bay to the hills
that were beginning to sharpen against the sky.
Beyond the hills he knew the moon was coming up.
“I know it,” Marjorie said happily.
“You know everything,” Nick said.
“Oh, Nick, please cut it out! Please, please don’t be that way!”
“I can’t help it,” Nick said. “You do. You know everything. That’s the trouble.
You know you do."

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“Isn’t love any fun?” Marjorie said.

“No,” Nick said.

先日、東京大学の入学式で女子学生はコンパの時に「東京大学」とは言えず「東京の大学」と言わないとモテないからけしからんと発言した某先生がいたらしい。

恋愛を頭で考えて平等思想を持ち出すとこうなるのかと、ちょっと呆れてしまった。

そしてはっきり言ってしまうとリベラル系の女性のもつ貪欲さに嫌悪感を抱いてしまう。

早い話、この先生のようなリベラル系の女性の発言は、
年を取っても、理屈っぽくても、美人ではなくても、
男達はそういう女性を平等に愛すべきである、と受け取れてしまう。

女性達がバブル時代に、男は高学歴・高収入・高身長でなきゃ嫌だと言って大騒ぎしたのも忘れて。

そもそも恋愛とは差別の塊行為なのだが、
アメリカあたりの恋愛至上主義映画に毒されているとそうは考えずに、
醜い差別を隠蔽し、妙な美化あるいは理屈で恋愛を考えてしまう。

さらに男女平等思想が一般的になり、
女性達が結婚や恋愛のハードルを著しく上げたため一気に女性優位社会が到来した。

日本の農村部では深刻な結婚難が直ぐに訪れた。

ちなみに農村の「男」が深刻なのであり、
農村の「女」はちっとも深刻ではない点に注意。

そんな女達が跳梁跋扈し、
今や男の意見など誰も耳を傾けない時代になっている。

そうして昨今、日本は長い歴史上全く体験したことのない超少子高齢化時代、非婚化時代、恋愛困難時代に突入している。

しかしいつの時代にもモテる男というのは存在している。

そういう男は当然女と別れるのに躊躇いがない。
(もちろん個人差はあるが、あくまでも男が女を嫌いになったと仮定しての話となる)

モテない男は本音が言えないだけであり、
考えていることは多少の個性の違いはあるにせよ、
同じであると考えて差し支えない。

ここで前述の英文に戻るのだが。

ヘミングウェイの短編だ。

このストーリーはおそらくは幼馴染と思われる恋人同士がボートの上で会話しているところからスタートする。

女性は男性のことが好きで好きで堪らず、
一緒にいるのが嬉しくてしょうがない様子が感じられる。

だが、男は既に冷めている。

そこで冷酷な言葉を発して一気に別れてしまう結末だ。

頭のいいこの女性は直ぐに別れを悟り、
さっさと去ってしまう。

恋愛を理屈で考える頭のいい人達は、
男も女も一緒にいる時に本能的に「快」なのか「不快」なのかよりも、
~すべき、~は知っている、~はこうなっている、などと言い立て、
酷くつまらない状態に陥ってしまうも、
決して気付くことは出来ず、
自分の意見こそが最高であり従えと主張する。

件の某先生もあくまでも恋愛においては典型的なそのタイプに感じてしまう。

もっとはっきり言ってしまうと「学業偏差値75、恋愛偏差値25の人」となる。

悲しいかな、恋愛とは性行動を誤魔化すための方便に過ぎない。

恋愛=性行動=差別の塊

そうである以上、私達は本能的に恋愛に対して「性」つまり「生殖」を意識せざるを得ない。

だからこそ老いた者は男でも女でも遠ざけられ対象外とされてしまう。

美醜も残酷なまでに判断基準として存在している。

また子供と生活と言う点において女は男の経済力も冷静に判断しないといけない。

従って、女が男に3高を求めるのは致し方ない面があるのは否めない。

だが物事には限度がある。

今や結婚式場における花嫁のブーケトスは「独身ハラスメント」になるからいけないとされ、
なくなりつつあるとか。

一体どこまで自己正当化を押し通そうとするのか???

パワハラやセクハラ、はたまたストーカーなどに悩む女性達は気の毒だとは思うが、
そもそもそれらは犯罪であり、あるいは犯罪として立法化すべき問題だ。

だが、独身ハラスメントとは何事か?と思う。

昔、ドイツ語を習っていた頃、
同じクラスの日本人女性がドイツ人の先生に、
「ドイツはいいですよね。
 日本だと年頃になると結婚しなさいと親に言われて凄いストレスです。
 ドイツはその点、そんな事はないですよね?」と言った。

すると先生は、
「冗談ではありません。
 日本でもドイツでも親心は同じです。
 年頃の娘や息子を持った親が子供の結婚を望まないなんてありえません。
 ドイツでも普通に『もう結婚しなさい』と言われますよ。」と答えた。

いい歳をした男女が独身でいることに肩身が狭い思いをしない社会と言うのは、
生命の本質としておかしいと私は思う。

もちろん性的指向は考慮してあげるべきだが、
独身ハラスメント・・・ある種の勢力がこの種の言葉を作り上げる能力は凄まじいと思う。

さて、ちなみに件の某先生の意見は、
東京大学まで受かっている才女ならば、
 恋愛においても愛されるべきなのだ、男はけしからん」と。

「就職で有利になる以外にも恋愛においてだってそうならなくてはいけないのだ、
 これは差別だ、けしからん。」と受け取れる。

人間どこまで強欲になれるのか。

恥を知れ、と言いたい。

気味の悪い意見を公的な行事の場所で堂々と主張してくる人物には呆れてしまう。

もちろんネットや雑誌、テレビ番組なら言論の自由が守られて当然であるが、
あくまでも入学式と言う場ではどうなのか???

まあ、だからこそ物議を醸し出している訳だが。

ちなみに恋愛において酷い差別を仕掛けてくるのは女の方であるのは間違いない。

冷酷な選別作業をしているが、驚くべき事に当の女にはその自覚がまるでない。

男は美醜だけで判断しがちで、
それはそれで問題だが、それ以上うるさいことは恋愛については余り言わない。
(あまりにも常識がない女が弾かれるのは当たり前だが)

何故、東京大学の女子学生が自分を東京大学の学生ですとコンパにおいては言えないのか。
(ちなみに就職活動の時に堂々と言っているのは簡単に想像できる)

それは他ならぬ女性自身が男性に高学歴を求めているからだ。

3高と言う主張がそれを裏付けている。

従って女性自身でその学歴の頂点に行ってしまった場合、
もう上は無いため、当然恋愛結婚対象が極めて限られてしまうのは当たり前の話だ。

男の方で「こりゃ無理だわ」となってしまっている事実に気付けない。

つまり、そもそも女性自身が自分達で蒔いた種なのだ。

それでもこの現象を男のせいだと主張するのは図々しいにもほどがある。

男が女に求めるのは昔からそう変わっていない。

価値基準は時代により多少の違いはあれども。

美と快。

美しくて一緒にいて心地良い人だ。

ちなみに美の基準は男によって非常に大きな違いがあるのは意外にも知られていない。

スレンダーなモデル体型を好む男も多いが、
ぽっちゃり大好きな男もこれまた非常に多い。

オマエ、そうだったのか?と同じ男でも驚くほど女性の美への基準は個人により相当の違いがある。

つまり・・・男とは・・・女を美では判断しない、とも言えてしまう。(笑)

いずれにしても、ヒステリックに主義主張を喚いている女が好きだと言う男が稀なのは間違いない。

終わり



余談:念のため。

男にも色々いて、女性の容姿以外に家柄や学歴に強い拘りを持つ男がいるのも事実だ。

だがそういう男は余程自分自身も容姿と財力に恵まれていない限り、
あっさりと排除されてしまうのが今の時代となる。

また、ある結婚相談所勤務の人が書いた記事を読んだことがある。

紹介者自身が会ったことがない女性を、知っている男性に紹介する時はほぼ問題が無いと言う。

しかしその逆に会ったことがない男性を知っている女性に紹介する時は細心の注意が必要だと書いていた。

事前に数回は男性と直接面会しておく必要がある、と。

何故ならば、男には極端なハズレが多いからだそうだ。

確かに残念ながらこの主張には頷ける。

男は本質的に攻撃性が強いため、厄介なヤツが多いのは一面の真実だと思う。