日韓関係とリベラル系の典型的な意見について

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SNSでやたらと日経の広告が表示されていて、
その中に興味深い日韓問題の記事があったので読んでみた。

記事自体は事実関係を伝えるだけの、
特に偏向した内容ではなかったのだが、
私が読んだ時はコメントが付けられるようになっていて、
そこに来るコメントが実に興味深かった。

ほとんどは韓国に対して怒りを表す内容で、
同調する者も多かったのだが、
ある一定のところから典型的リベラルと思われる人の投稿があった。

彼らの主張はおおよそ以下の通りだった。

「このコメント欄はヘイトスピーチが多い」

「政治レベルでは険悪でも民間レベルでは韓国と日本はハネムーン」

「今や韓国人が一番日本に旅行に来ている」

「小さな島の問題で殺し合いをしたいのか?」

「外国に行ったことのないヤツらがコメントしている?」

「韓国人は親切な人が多い」

等々。

また某リベラル系テレビ番組でも「ヘイト本が沢山売られている。由々しき問題だ」と主張していた。

さて、私はこの種のリベラル系の人の主張を読んだり聴いたりしていると、
極めて特徴的な傾向があるのに気付く。

それは「問題を問題として認識していない」もしくは「問題そのものを無視する」と言う特徴なのである。

現在、韓国と問題になっているのは、
慰安婦像の設置問題
慰安婦財団の解散
・徴用工問題の韓国側の司法による判決で日本企業の財産が差し押さえられている
・韓国艦によるレーダー照射問題
竹島問題
等々である。

中でも、レーダー照射は軍事衝突の可能性が極めて高かった危険な問題だ。

慰安婦財団の解散では10億円の日本が拠出したお金の行き先が問題になっている。

徴用工問題では日本企業の財産差し押さえと言う事態だ。

つまり具体的にかなり大きな被害が出ている事件なのである。

この事実について、リベラル系の人達は問題そのものに全く向き合おうとせず、
ただひたすら、実は仲が良いだとか、ヘイトは止めろだとか、
平和が一番だとしか言わない。

ヘイトスピーチは確かに問題ではあるが、
問題があるのにそれと向き合おうとしない人達がかなり多いのに呆れてしまう。

民間レベルでは仲がいいだとか、親切な人が多いと言うのは、
完全に論点のすり替えで、今韓国との間に起こっている問題とは何の関係もない。

堂々と主張し、相手と論戦する事が出来ない。

そうして何とかして≪日本側に問題がある≫と言う方向にもって行きたがる。

ただひたすら謝っていればいいと言う戦後民主主義的な態度は危険だ。

もっと言うと、問題を問題として、
危険を危険として認識しない態度は異常レベルであると言っていい。

その最たるものは、北朝鮮が盛んにミサイルを撃って来た時、
Jアラートを「うるさい」とか「大袈裟」と言い立てた連中だ。

こういう人達は普段は平和が大事だとか、
命が大切だとかほざいているが、
いざ自分の思想と合わない事態になると平気で人命を軽視する発言が出来る。

何でこんな風な考え方が出来るのか正直理解に苦しむ。

例えばイジメ問題について考えてみる。

自分が「イジメはやりません。イジメはダメです」と決意すればイジメとは無縁でいられるのだろうか???

現実は全く違う。

「てめー気に入らないんだよ!!」と、いきなり殴られるのがオチだ。

相手がある問題においては、
相手に非があるケースも当然あるからだ。

全て自国に責任があると考えるのは間違いなのだが、
そこは決して見ようとはしない。

ちなみにイジメ問題でも、
今イジメを受けて苦しんでいる子に対しても、
「何でイジメが無くならないの?」などと、どうでもいい事しか言えない大人は多い。

イジメの場合、イジメをやる生徒を如何に処分できるのか。

それこそが一番大切な点なのに、そこを無視する日本人の大人は非常に多い現実がある。

少なくとも現代においても、泥棒をゼロにすることは出来ないし、
暴力事件も殺人事件もゼロには出来ない。

しかし犯人を逮捕し罰することは出来る。

そうやって事件を解決して治安を維持している現状がある。

だが、日本人はこと国際問題になると、
先程の例で言うと、
「イジメられる方にも問題はある」とか「盗まれる方にも問題はある」とか、
挙句は「殺される方にも問題はある」と言うような理屈をこねだす。

大袈裟でしょうか???

Jアラートがうるさいと言った人達。

もし日本の市街地にあのミサイルが着弾してしまい、
数千人単位の人が殺された場合、
果たして何と言うのでしょうか???

その種の意見を言う人達にうんざりしてしまいます。

もちろん私が言いたいのは、
問題そのものときちんと向き合えと言う事です。

終わり