不協和音の美(基本的に有り得ない音楽)

「不協和音の美(基本的に有り得ない音楽)」

あれは有り得ない音楽を初めて聴いた時の感覚だったのだ、と思い出した。

まだ20代の頃。

赤坂に出来たばかりのサントリーホールでパイプオルガンのコンサートに行った時のこと。

個人的に、楽器の音色としてパイプオルガンはそれほど好んではいないのだが、
バッハ好きにとってこの楽器は避けては通れない。

ちなみに一番好んでいるのはチェンバロ

まあ、それはともかく。

このコンサートでは「こんなものか」と言う感じで聴いていたのだが、
終わりの方でBWV 540、トッカータヘ長調を演奏した。

これ、ブッ飛んでしまった。

ずーーーーーーーーーーっとペダルで重低音を鳴らしっ放し。

他のこの種の音楽として、ここまで典型的なのはBWV 651《来たれ、精霊、主なる神》くらいしか私は知らない。

BWV 651も初っぱなから重低音の全音符が6小節+α続く。

BWV 532の前奏曲でもあるが顕著ではない。

よくよく考えると。

全ての楽器の中でこの芸当が出来るのはパイプオルガンしか無いのに気付いた。

現代の楽器としてシンセサイザーもあるが、
これはオルガンの進化バージョンと言えると思う。

つまり、1音もしくは和音を一定の音量でずっと鳴らし続けるのは基本的に不可能であるし、
オルガン以外の楽曲では、いや、オルガン曲であっても一定の音を鳴らし続けるのは不協和音の問題があり、
音楽として成立しない。

だが、この2曲は成立している。

バッハは不協和音を多用し当時の聴衆は度肝を抜かれたと言う。

巨大なカオスとして聴こえる不協和音がふと気付くと厳格な秩序の中で終止する感覚はバッハ以外の音楽では有り得ないと思う。

https://youtu.be/URuYYy0-AxI

https://youtu.be/O5isYiTEUE4