東日本大震災 3.11に思う

東日本大震災 3.11から今日で8年。

今でも鮮明に覚えています。

横浜地方は震度5強でしたが、
初めて体験する大揺れに非常に驚きました。

横浜市民防災センターや起震車が来た時に何度か震度7を体験していたので、
冷静に対処は出来ましたが、やはり実際の強い揺れは凄かったです。

大きな被害は無かった首都圏でしたが、
それでも全ての交通が止まり、帰宅困難者で道路が埋まったのは記憶に新しいところです。

普段は滅多に外出しない父と母と娘はこの日に限って外出していました。

幸い娘は既に最寄り駅に戻っていましたが、
父と母は町田市にいました。

自動車で迎えに来てくれとバカな要求をされましたがもちろん拒絶。

父と母は近くの親戚の家で一晩厄介になりました。

今から8年前は、娘もギリギリ中学生で、
父もまだ亡くなる前だったので、
当時の私はバリバリの災害対策をしていたこともあり、
原発事故が危険だった時は自動車に荷物を満載させて西に逃げる準備をしていたほどです。

しかしあれから8年経つと。

家庭環境が大きく変わりました。

この間に父は亡くなり、娘も今は日本にはいません。

実質上、老いた母との二人暮らしです。

守るべき存在がいなくなると、
正直なところ災害対策もかなり手抜きになっています。

災害対策のあり方は、家庭環境と経済環境に非常に大きく左右されると思います。

以前、確か1人暮らしだか2人暮らしの80歳の方が核シェルターを装備して、
災害にも核戦争にも耐えられる様子をテレビで放送しておりましたが・・・・・

あまり言ってはいけないのでしょうが、実のところかなり空しく見えました。

核シェルターが悪いとは言いません。

むしろあった方がいいでしょう。

しかしながら、自分の年齢(余命)と健康状態、財産、仕事環境、家庭環境などにより、
災害対策は大きく変わると言う事実。

父の介護体験などを通じて、超少子高齢化社会日本の災害対策は、
今後今までとは全く違うものになって行くと感じています。

若者が少なく、高齢者が多い社会。

しかも高齢者の1人暮らしが非常に多くなっている現実。

津波→直ぐに高台に避難?果たして出来るのでしょうか?

自助、共助、公助と、新しい災害対策の概念も出ていますが、
それすらも打ち砕かれる超少子高齢化社会。
 
そして8年前にはほぼ問題に存在しなかった外国人観光客や移民。

今後、ますます増えます。

災害対策について、根本的に何かが非常に大きく変わっていると感じている8年目の今日です。

終わり