「くだらないヤツが威張る社会と崇高な男と」
立て続けに映画「秋刀魚の味(小津安二郎監督)」と、
「白いリボン(ミヒャエル・ハネケ監督)」を観て、
それぞれに共通の感覚を抱いた。
「秋刀魚の味」の中で、かつて軍隊で上官と部下だった男の会話がある。
「何で戦争に負けちゃったんでしょうねぇ~?」
「でも、くだらないヤツが威張る社会でなくなったのは良かったよ」
このセリフを聴いて、かつて父がよく言っていたことを思い出した。
小中学時代は当時、軍人が教練に来ていて、
ソイツがとんでもないヤツで威張り放題威張っていて、
平気で生徒をどんどんぶん殴っていたそうだ。
映画でも体験者の話でも、こういうセリフは頻繁に聞く。
戦時中、嫌なタイプの男達が威張っていたケースが相当あったんだろうなと容易に予想できる。
反面「白いリボン」では、
終始ほぼ陰惨な感じなのだが、唯一、主人公が救われる存在だった。
語り部の役をやっているのが老いた主人公で、
若き日の自分を回想する設定になっている。
この人物は、暴力の渦巻く当時の村社会の中で、
ただ1人穏やかな顔をして親身に問題と向き合ってくれる31歳の教師の男。
この男は宗教的に優れていてどうのこうのと口先で理想を語るタイプではない。
きちんと自分の欲望(若い娘を好きになる)を抱いた上で、
その欲望を理性で制御しながら誠実に振る舞えるタイプだった。
村人達のほとんどの男は、権力を持つ持たないに関わらず、自分の子供には「純真であれ」「無垢であれ」と強要する。
背いたら即座に暴力が待っている。
だが、自分達は自らの欲望のままに弱い女性達を食い物にしている。
醜い連中の中に誠実な男がいると恐ろしく崇高な存在に見えてしまう。
絶望ばかりが先に立つハネケ監督のこの作品の中ではたった1つの希望として光輝いていた。
また、そのような崇高な男が好きになる女性と言うのも如何にもなタイプ。
小津監督の作品群は一見すると非常に人間や人生に肯定的で希望があるように思えながらも、
突然、深い孤独に突き落とされたりする。
ハネケ監督の「白いリボン」では、ほぼ全てが絶望的に暗いのだが、
たった1人の崇高な男のために希望が見出せる。
日本とオーストリア・・・9151km離れた地で、
手法に違いはあれども実に見事な人間のあり方を描いてきたと思った。
そして再び「くだらないヤツが威張る社会」になるのだけは御免だと思った。
今の日本のスポーツ界の不祥事を見ていると、
まだまだその要素は我が日本には沢山あるのだとも感じている。
終わり