音楽とは極めて高度な知性の営みであること

「音楽とは極めて高度な知性の営みであること」

例えば、高度な知性を持つ地球外生命体が地球にやって来た時。

この地球に交流が可能な知性体がいるのかどうか、
音楽を使用すると一発で分かると学者は言う。

音楽とは、極めて高度な知性の営みなのだ、と。

映画「未知との遭遇」ではまさしくソレをやる。

異星人から送られて来た音楽信号に対して人類は人類の音楽を作り、
異星人にソレを送る。

異星人は人類からの音楽に対して、異星人の音楽で返答する。

あるいは、天文学者フレッド・ホイルは「暗黒星雲」と言う小説の中で、
非常に興味深いシーンを書いている。

暗黒星雲が地球に向かってやって来る。

学者たちは星雲の速度を計算し、これは直ぐに去るため地球に影響はないと判断する。

だが、暗黒星雲は減速し停止する。

太陽の光が遮られた地球はみるみるうちに凍り、
多くの生命は死んで行く。

1人の天文学者が、この暗黒星雲はもしかして知性体ではないのか?と気付く。

そこで残された人類は最後の望みをかけて暗黒星雲に対して音楽を送る。

選ばれた曲はベートーベンのピアノソナタ第17番≪テンペスト≫第3楽章。

暗黒星雲は即座に反応する。

そして見事な英語を使用して回答をしてくる。

「私達は、惑星上にいる生命体は脳の大きさに限界があるため高度な知性体は存在しないと思っていた。
 大変申し訳ない事をした。直ぐに去ります。」と。

そして人類は研究のため、選ばれた学者が自ら望み暗黒星雲と共に旅立って行く。

しかし不思議な事に、音楽ほど人間の間に大きな垣根を作るものもないと思っている。

クラシック好きな人はクラシック専門になるケースが非常に多いし、
ロックもジャズも流行歌もそれぞれが非常に高い越えられない垣根を形成している。

そうして自分達こそが、と妙なプライド合戦を繰り広げている。

ここで1例を挙げてみたいと思う。


↑ベイシティローラーズ。

当時、若い女の子達はキャーキャー騒いでいたが、
男はかなり冷めた目でローラーズを見ていたと思う。

おそらくは今でも。

こんなのに凝るから女はダメなんだ、男とは云々、と。

だが、良く聴いてみよう。

音楽とは極めて高度な知性の営みなのである。

見事に踏んでいる韻。

調和のとれたメロディーと和音。

転調。

全てが極めて高度なのだ、と。

終わり