月月火水木金金


昔々。

私が18歳くらいの頃。

友人がヨーロッパ人女性と付き合い始めた。

金髪で青い目をした女性が友人の恋人として側にいる様子は、
若い日本の少年にとっては大変な驚きだったのは容易に想像がつくと思う。

間近で接するヨーロッパ人女性は、
それまで私が知っていた日本人の全ての老若男女と全く違っていた。

見た目も違うが、最も違っていると感じたのは、
表現は難しいのであるが、人生の姿勢と言ったらいいのだろうか。

明確な強烈な意志を持っている人に見えた。

それは時に傲慢でありワガママとも思えたが、
それでも彼女が口にする言葉は、同年代の日本人女性では絶対に有り得ない事だった。

日本の某有名大学に交換留学で来ていたらしく、
おっそろしく知的でもあった。

当時の私は世の中の大人、特に日本の大人の男に対して怒り狂っていた。

自分の実力も省みずに。(苦笑)

「やる事と言えば麻雀、パチンコ、競輪、競馬。見るのは野球。やっているのはゴルフ?
そして陰では女遊びか? 
どいつもこいつも同じで魅力の欠片もない大集団!!豚どもめがっ!!」と、かなり過激に。

だが、彼女は全く違うアプローチをして来た。

普通にこのような事を聞かれる。

「貴方はどんな絵画が好きなんですか?」

「貴方はどんな音楽が好きなんですか?」

「貴方はどんな楽器を演奏するんですか?」

「貴方はどんな踊りが好きなんですか?」

「貴方はどんな本を読んでいるんですか?」

「貴方はどんな映画を観ているんですか?」

そして「貴方は何をこの休日にやっていたのですか?」と。

後から知ったのだが、ヨーロッパのある階層にいる連中は、
必ず芸術もしくは学術をコミュニケーションの手段として使用して来る、と。

彼らのある層にいる連中にとっては、
「絵画」「音楽」「ダンス」「文学」「映画」「演劇」などは極めて日常的なものであって、
これらを享受するのはごくごく普通の事になっている。

はっきり言って、当時の日本において、
このような問いに即座に自信をもって回答出来る者など、
先ずいなかったと考えていい。

そして1つ断言できる事は、
そういった層に属しているヤツらは「人生を楽しんでいる」。

この体験はその後の私の考え方に非常に大きな影響を及ぼしたのは言うまでもない。

さて、それから何年かして、私はある日本映画を観ていた。
(タイトルも忘れている)

真珠湾攻撃に行く途中の日本の艦隊の中のシーンだった。

旗艦らしき中でハワイの無線を傍受していた者が首をかしげている。

「どうしたのだ?」と問う上官に対して、
「ヤ、ヤツら・・・踊っているようです・・・」と答える。

そこでスピーカーをオンにする。

すると、日曜日らしく楽しそうに踊っている男女の様子がラジオから流れていた。
途端に大笑いする日本海軍の軍人達。

「何だ!?この軟弱なヤツらは!!これから大和魂を教えてやる!!」と爆笑しながら言った。

そして結果的に先の大戦は大敗北をした訳なのであるが。

戦後、日本は軍事を捨て去り、代わりに経済でトップに立とうとガムシャラに73年もの間、
頑張ってきた。

そのかいあってか、およそ30数年前にはバブル時代を迎えて日本の経済力はアメリカすらも恐れるほどの成長を成し遂げていた。
ところがバブル崩壊した後は転落し、未だに日本経済は立ち直っていない。

そしてもうこの何年も「貴方は自分の人生を幸せだと思うか?」と言う国際的なアンケートに対して、
日本は先進国の中ではずっと最下位をキープしたままだ。

戦争をしている国など全ての国を入れても決して上位とは言えない。

実のところ、第二次世界大戦から73年以上経過している2018年においても、
根本的なところでは日本人のメンタリティは全く変わっていないのでは?と感じている。

それは長時間労働、休日出勤、転勤及び単身赴任、過労死に現れている。

つまり、戦前戦中に盛んに叫ばれていた「月月火水木金金」。

休日なんか要らない。

我らは常に戦うのだ、と言う精神性。

武器を手にしていないだけで、死ぬまで働くと言う一点においては戦中の考えと全く同じだ。

そして人間関係において重視されるのは上下関係と所属だ。

上司と部下、先生と生徒、先輩と後輩。大会社と小会社。大卒と非大卒・・・・・

このような上下関係と所属が社会の細部にまで張り巡らされている。

本質的なところにおいて平等は大嫌い。

だからこそ美の前では平等の芸術を苦手とする日本人は非常に多い。

恐ろしい実例を挙げておく。

私の妹はあるダンスを長年やっていて、
それなりの実力者になっている。(NHK趣味悠々に出演経験あり)

そして外国でも踊っている実績を持っている。

すると踊る相手であるのが日本人男性の場合、
明らかに特徴があると主張している。

「日本人の男には明確な特徴があるんだ。
最初は実にしおらしく入って来る。
下手なうちは大人しい。
ところが段々と上手くなってくると、
どんどんと図々しくなって来る。
技術的には真面目さもあり上達は早い。
けれどダメなんだ。
踊っていて楽しくないんだ。
例えば隣の国の男。
彼らは技術的には下手だ。でも楽しい。
パートナーシップとは何かを理解しているんだ。
日本の男は全員どこかで俺様一番になってしまい、
パートナーシップが欠如してしまう。
つまり共に楽しむ姿勢が全く無いんだ。
ダンスは上下関係じゃない。
驚くべき事にこれはほぼ全ての(その踊りをしている)日本人男性にだけ感じている現象だ。」

さらにヨーロッパ滞在が長かった私の妹は追い討ちをかけてくる。

「オマエら日本人の男ってのはな。
自分じゃ絶対に気付いてないがな。
マゾなんだよ。
イジメられるのが大好きなド変態の大集団なんだよ。
なんだ?あの部活動とやらは?
先輩のしごき???
自分が先輩になったら逆に後輩をしごく???
マゾとサドの大変態集団なんじゃないか???
これが会社に入ってもまだ続くんだよ。
休日出勤、長時間労働、挙句に転勤に単身赴任???
会社の命令で家族がバラバラ?
さらに過労死。
一生SとMが大好きなド変態。それが日本の男なんだよ。
死ぬまでやってろ!!」と。(苦笑)

2018年。

一見すると私達は民主主義や自由や平等、基本的人権とやらを手に入れていると思い込んでいる。

だが、よくよく考えると私達は他人が楽しんでいる姿を見るのが嫌いではないか?

一緒に楽しもう・・・ではなく・・・勝手に楽しみやがって・・・ではないだろうか???

楽しんでいる連中の足を引っ張りたくて仕方ないのだ。

そして目指している社会は。

もちろん間違いなく「月月火水木金金」だ。

終わり



余談:

月日は流れ、私の娘は何年か前にアジアの某大学に1年間交換留学をした。

娘は大変なカルチャーショックを受けたと言う。

その大学の正規の学生で英語を話せない者は皆無で、
ほぼ全員が何らかの楽器演奏が出来たと言う。

また、来ている留学生はやはり普通に芸術をコミュニケーション手段として接近して来たと言う。

以前にも書いた事はあるが典型的な例なので再度。

娘の大学にはアメリカ人とオランダ人の女子留学生がいて、
この2人は日本人留学生の間では恐怖になっていたと言う。

ディベートのクラスでは全く手加減なく攻撃して来るので、
日本人男子留学生の1人は、日本ではかなり有名な大学でブイブイ言わせていたらしいが、
本気で恐いらしく、よくそのディベートの授業の時は逃走していたらしい。(苦笑)

そんなある日、寮の娯楽室でくつろいでいた日本人留学生達。

そこへ恐いオランダ人女性が登場して盛んに話し掛けて来たと言う。

レンブラントの話らしいのだが、
若い日本人留学生はレンブラントの絵画を知らなかった。

娘だけが知っていたので、スマホを取り出して、
「これでしょう?」と言った途端、破顔一笑

それからとても仲良しになったと言う。

芸術の威力とはこういうものなのだ。


余談2:

以前、その分野ではベストセラーになっていた本に書いてあったのだが。

パリで暮らし始めたアメリカ人女性が書いていたのだが、
凄いカルチャーショックを受けたと言う。

アメリカ生活で友人と話題になる事は「異性問題」「テレビドラマ」くらいだったらしい。

しかしパリでは違う。

前述の「絵画」「文学」「音楽」等々以外に政治論争なども普通にあったと言う。

そもそも話題が芸術中心なのに酷く驚いたらしい。

その後の生き方が変わったとその女性は書いていた。