災害対策と国崎信江さん
久し振りにテレビで国崎信江さんを見ました。
防犯・防災アドバイザーとして有名な方です。
1995年の阪神淡路大震災の時に主婦だった国崎さんは、
それ以降、女性目線での災害対策を考えるようになり、
その後この分野での活動をされています。
私は彼女のような女性のアドバイザーは今後ますます大切な存在になってくると思っています。
実は、1995年の阪神淡路大震災とは、
戦後の復興を成し遂げて以降、初めて体験した都市型災害であって、
それまでの災害対策とは「いつ来てもおかしくない東海大地震」くらいで、
余り真剣に防災を考える人はいませんでした。
何故なのかと言いますと。
これははっきりと書いておかないといけませんが、
災害対策、つまり食料や飲料水の備蓄=戦時体制を連想させるからなのか、
今で言うところのリベラル系の人達がこぞって明確に反対を主張していたからです。
ある非常に有名な作家ですらも、
「なんですか?あのサバイバルって言うのでしょうか?
最近、災害対策とか称して食料やら飲料水やらを備蓄している人が増えていますが、
ああいうの、嫌ですね。
自分だけが助かろうと言うさもしい根性を感じます。」
と言う記述を残しています。
何もこの作家に限ったことではありませんでした。
このような考えをする人は非常に多かったのです。
実際、私はもう随分と昔から対策に取り組んでいましたが、
他ならぬ家族からの妨害に何度も遭って来ました。
「邪魔だ。何でこんな事をするのか!!」と怒られたことは何度も何度もあります。
しかし阪神淡路大震災以降、徐々に上記のような風潮はなくなり、
東日本大震災を経た今、災害対策をするのはおかしいなど言うヤツがいたら、
そっちの方が狂っていると思われるでしょう。
時代は非常に大きく変わっているのを感じます。
さて、ここからが本題なのであります。
1995年以降も、災害対策についてアドバイスするのは、
そのほとんどが「男性の専門家」でした。
あれから23年が経過していますが、
今でも「災害対策のアドバイス」=「男性の専門家」です。
そしてそれが語られるのは「テレビ局」においてです。
ここで「最悪のアドバイスが語られる可能性」については、
ほとんどの人が気付いていません。
一言で言うなら「弱者の視点の欠如」です。
23年前の阪神淡路大震災以降、日本は極めて急速に少子高齢化しているのです。
もう今や4人に1人が65歳以上の高齢者になっています。
ここでさらに言うと、日本国民の約半分は女性です。
そして子供もいます。
赤ちゃんもいます。
つまり、今や大人の男性の数が異常に少なくなっているのです。
大人の男の防災アドバイザーが何かを語る時、
どうしても自分目線になってしまいます。
いくらプロでも人間は自分以外の人の気持ちで考えるのは非常に難しいのです。
従って、今回西日本を襲った未曽有の大豪雨の時も、
ひたすら「素早い避難を」としか当初は言っていませんでした。
大豪雨の時に素早い避難???
何を寝言を言っているんだ、と正直思いました。
例えば、小さな子供が2人いるお母さんが、
雨の中、数キロ離れた避難所とやらに簡単に移動できるとでも???
あるいは自宅にほとんど歩けない高齢者がいたら???
はっきり言ってしまうと、
今の日本は、むしろこういう家庭の方が多いと言う現実を認識すべきなのです。
それを相も変わらず、テレビ局では、
大人の男の健常者のアドバイザーが、
テレビ局の健康なアナウンサーを前に「したり顔で」素早い避難を呼びかけている、と。
役立たずです。
いや、百害あって一利なし、です。
ようやく、一部の報道機関では弱者目線での防災を語り始めています。
そしてさすがにNHKは国崎信江さんを投入してきたな、と感心したのであります。
はっきり言ってしまうと、
若い大人の男の健常者であるのなら、
大災害に遭っても大怪我でもしない限り何とかなります。
しかし、子供、女性、高齢者、病気の人、障害をもっている人はそうはゆきません。
妙な平等教育は、人間は皆同質であると言う間違った思い込みをさせるようになっていると感じています。
弱者の存在をしっかりと認識した災害対策を。
むしろ今の日本は1家族に1人以上は弱者が存在している計算になる事実を思い知るべきであります。
終わり
余談:
「進歩的な」女性達の中には女性は弱者ではない、差別だと怒る方もいらっしゃるでしょう。
しかし残念ながら、災害時、女性は紛れもなく恐ろしいまでの弱者になります。
そしてあっさりと死にます。
その冷徹な1例を挙げておきます。
「貴女は野糞が出来ますか?」
出来ません。
事実、阪神淡路大震災、新潟中越でも非常に多くの「震災関連死」が報告されています。
新潟中越では地震の直接的な揺れでの死者よりも、
関連死の方が遥かに多かったと言われています。
これ、かなり多くがエコノミークラス症候群で亡くなっています。
そのほとんどが女性です。
避難所でのプライバシーの無い環境や汚いトイレが嫌なので、
自動車の中で飲まず食わずで出来るだけトイレに行かないで済むように過ごしてしまいます。
そうしてエコノミークラス症候群にかかってあっさりと亡くなってしまう、と言う図式です。
今の災害対策ではようやく「トイレの重要性」が語られるようになってきています。
この辺の視点が欠如した災害対策は意味がありません。
余談2:
ここ何年かで急速に日本の家庭事情は変わって来ています。
また、何回かの現実の大災害を経験して防災も変化しています。
災害対策は誰でも同じではありません。
最低でも3日分の食料と飲料水は必要と言うのも今や過去のものです。
大都市圏が大地震に襲われたら救援物資は3日では絶対に届きません。
今は1週間と言われています。
ちなみに防衛最強国のスイスでは、
「直接的な食料と飲料水は最低2週間、
小麦粉などの保存食材料は1ヶ月、
その後は各自の努力で順次上げて行き、
最終的には数ヶ月~半年まで上げよ」と推奨されています。
何故なら、大混乱に陥った場合、
政府が流通を回復させるには最低で1ヶ月と計算しているからなのです。
この計算は当たっていると思います。
東日本大震災の時、さしたる被害は何もなかった首都圏でしたが、
2週間くらいは流通がストップしてしまいました。
実際に大被害があったら回復までの日数はこの比ではないのが分かります。
防犯・防災アドバイザーとして有名な方です。
1995年の阪神淡路大震災の時に主婦だった国崎さんは、
それ以降、女性目線での災害対策を考えるようになり、
その後この分野での活動をされています。
私は彼女のような女性のアドバイザーは今後ますます大切な存在になってくると思っています。
実は、1995年の阪神淡路大震災とは、
戦後の復興を成し遂げて以降、初めて体験した都市型災害であって、
それまでの災害対策とは「いつ来てもおかしくない東海大地震」くらいで、
余り真剣に防災を考える人はいませんでした。
何故なのかと言いますと。
これははっきりと書いておかないといけませんが、
災害対策、つまり食料や飲料水の備蓄=戦時体制を連想させるからなのか、
今で言うところのリベラル系の人達がこぞって明確に反対を主張していたからです。
ある非常に有名な作家ですらも、
「なんですか?あのサバイバルって言うのでしょうか?
最近、災害対策とか称して食料やら飲料水やらを備蓄している人が増えていますが、
ああいうの、嫌ですね。
自分だけが助かろうと言うさもしい根性を感じます。」
と言う記述を残しています。
何もこの作家に限ったことではありませんでした。
このような考えをする人は非常に多かったのです。
実際、私はもう随分と昔から対策に取り組んでいましたが、
他ならぬ家族からの妨害に何度も遭って来ました。
「邪魔だ。何でこんな事をするのか!!」と怒られたことは何度も何度もあります。
しかし阪神淡路大震災以降、徐々に上記のような風潮はなくなり、
東日本大震災を経た今、災害対策をするのはおかしいなど言うヤツがいたら、
そっちの方が狂っていると思われるでしょう。
時代は非常に大きく変わっているのを感じます。
さて、ここからが本題なのであります。
1995年以降も、災害対策についてアドバイスするのは、
そのほとんどが「男性の専門家」でした。
あれから23年が経過していますが、
今でも「災害対策のアドバイス」=「男性の専門家」です。
そしてそれが語られるのは「テレビ局」においてです。
ここで「最悪のアドバイスが語られる可能性」については、
ほとんどの人が気付いていません。
一言で言うなら「弱者の視点の欠如」です。
23年前の阪神淡路大震災以降、日本は極めて急速に少子高齢化しているのです。
もう今や4人に1人が65歳以上の高齢者になっています。
ここでさらに言うと、日本国民の約半分は女性です。
そして子供もいます。
赤ちゃんもいます。
つまり、今や大人の男性の数が異常に少なくなっているのです。
大人の男の防災アドバイザーが何かを語る時、
どうしても自分目線になってしまいます。
いくらプロでも人間は自分以外の人の気持ちで考えるのは非常に難しいのです。
従って、今回西日本を襲った未曽有の大豪雨の時も、
ひたすら「素早い避難を」としか当初は言っていませんでした。
大豪雨の時に素早い避難???
何を寝言を言っているんだ、と正直思いました。
例えば、小さな子供が2人いるお母さんが、
雨の中、数キロ離れた避難所とやらに簡単に移動できるとでも???
あるいは自宅にほとんど歩けない高齢者がいたら???
はっきり言ってしまうと、
今の日本は、むしろこういう家庭の方が多いと言う現実を認識すべきなのです。
それを相も変わらず、テレビ局では、
大人の男の健常者のアドバイザーが、
テレビ局の健康なアナウンサーを前に「したり顔で」素早い避難を呼びかけている、と。
役立たずです。
いや、百害あって一利なし、です。
ようやく、一部の報道機関では弱者目線での防災を語り始めています。
そしてさすがにNHKは国崎信江さんを投入してきたな、と感心したのであります。
はっきり言ってしまうと、
若い大人の男の健常者であるのなら、
大災害に遭っても大怪我でもしない限り何とかなります。
しかし、子供、女性、高齢者、病気の人、障害をもっている人はそうはゆきません。
妙な平等教育は、人間は皆同質であると言う間違った思い込みをさせるようになっていると感じています。
弱者の存在をしっかりと認識した災害対策を。
むしろ今の日本は1家族に1人以上は弱者が存在している計算になる事実を思い知るべきであります。
終わり
余談:
「進歩的な」女性達の中には女性は弱者ではない、差別だと怒る方もいらっしゃるでしょう。
しかし残念ながら、災害時、女性は紛れもなく恐ろしいまでの弱者になります。
そしてあっさりと死にます。
その冷徹な1例を挙げておきます。
「貴女は野糞が出来ますか?」
出来ません。
事実、阪神淡路大震災、新潟中越でも非常に多くの「震災関連死」が報告されています。
新潟中越では地震の直接的な揺れでの死者よりも、
関連死の方が遥かに多かったと言われています。
これ、かなり多くがエコノミークラス症候群で亡くなっています。
そのほとんどが女性です。
避難所でのプライバシーの無い環境や汚いトイレが嫌なので、
自動車の中で飲まず食わずで出来るだけトイレに行かないで済むように過ごしてしまいます。
そうしてエコノミークラス症候群にかかってあっさりと亡くなってしまう、と言う図式です。
今の災害対策ではようやく「トイレの重要性」が語られるようになってきています。
この辺の視点が欠如した災害対策は意味がありません。
余談2:
ここ何年かで急速に日本の家庭事情は変わって来ています。
また、何回かの現実の大災害を経験して防災も変化しています。
災害対策は誰でも同じではありません。
最低でも3日分の食料と飲料水は必要と言うのも今や過去のものです。
大都市圏が大地震に襲われたら救援物資は3日では絶対に届きません。
今は1週間と言われています。
ちなみに防衛最強国のスイスでは、
「直接的な食料と飲料水は最低2週間、
小麦粉などの保存食材料は1ヶ月、
その後は各自の努力で順次上げて行き、
最終的には数ヶ月~半年まで上げよ」と推奨されています。
何故なら、大混乱に陥った場合、
政府が流通を回復させるには最低で1ヶ月と計算しているからなのです。
この計算は当たっていると思います。
東日本大震災の時、さしたる被害は何もなかった首都圏でしたが、
2週間くらいは流通がストップしてしまいました。
実際に大被害があったら回復までの日数はこの比ではないのが分かります。