自分の災害対策についての考え方が大きく変わっている現実について

当ブログが最初に力を入れていたのは中学受験でした。

しかし当時、それと同じくらいよく書いていたのが災害対策だったと思います。

若い頃から好きだったのと(適切な表現ではありませんが。苦笑)、
何よりも小さな子供がいた事が最大の理由だったと思います。

時折、歩行訓練として20~30kmはよく歩いていましたし、
ハンパない量の防災グッズを溜め込んでおりました。

中学受験が終わり、電車通学を開始した娘が学校で被災した時に、
往復を難なく歩ける体力が欲しいと思っていたからこその訓練でした。

もちろん移動手段も歩行、自転車、オートバイ、自動車と確保していました。

2週間から1ヶ月分の食料や飲料水の備蓄もしていました。

スイス政府編纂「民間防衛」の記述をその論拠としていたから、
かなり高度なレベルに達していたと思っています。

しかし今の私はかつてほど防災に熱心ではありません。

この10年の間に、父が亡くなり、子供は成人しています。

しかも現在子供は海外に暮らしているため、
もう私には積極的に守るべき存在がいなくなってしまったのです。

人間はつくづく1人だと惨めだな~と思うようになっています。

1人で生き残って、
保存食をボリボリ食べている人生に何の意味があるのか?とすら思ってしまいます。

老いた上に孤独な人生であるのなら、
そうそう現世に執着しても仕方ないのでは?とも。

災害対策とは、守るべき人がいる時にこそ大切であって、
そうではなくなった時。

人間の在り方そのものを考えてしまいます。

終わり



余談:

とは言ってもやはり老いた時に被災して惨めで苦しい思いをするのはもちろん嫌ではあります。

従って装備を断捨離した訳ではありません。

まだまだ非常に高度な防災グッズはそのままあります。

ただし数年ごとに補充が必要になる食料や飲料水の備蓄はもうあまり無い状態です。

そもそも老いた母との2人暮らしでは消費する食料もかつてとは比較にならないくらい少なくなっているからです。