日本人が一番好きな感覚「判官贔屓」そして歌舞伎十八番「勧進帳」

日本人が一番好んでいる感覚は「判官贔屓(ほうがんびいき)」であるかと思う。

滅んで行く善人に徹底的に思い入れをする。

この原点は源義経であり弁慶でもある。

能の「安宅」や歌舞伎十八番勧進帳」が古典としては最も有名だが、
判官贔屓の感覚は現代日本の映画や演劇、文学にも確実に受け継がれていると思う。


改めて、歌舞伎十八番勧進帳」を鑑賞してみると、
恐ろしく「熱い感覚」がその根底に流れているのが分かる。

勧進帳の鑑賞者は逃げ延びて行く源義経一行が関所の番人富樫の温情でこの危機を回避できるのを知っている。


弁慶は主君義経を守るために知恵の限りを尽くし、
結果的に義経を打ち据えてまで守る行動に出るこの超有名なシーンを。

これに心を打たれた富樫も男の中の男を魅せてくる。

富樫は、いずれ弁慶を逃したことがバレた時、
自分が死ななくてはならない事を承知の上、逃してやる。

だが鑑賞者達は、いずれ弁慶は義経を守るために千本の矢を受けて立ったまま非業の死を遂げるのも知っている。
(もちろん歴史的事実とは違う、物語としての創作ではあろうが)

義経も死ぬ。

富樫も死ぬ。


全員死ぬ。

「男」を魅せて全員死ぬ。

こういうストーリーを徹底的に好んでいるのが日本人なんだと思う。

動画で改めて確認してみよう。


弁慶は単なるイケイケの男ではなく、
富樫に斬りかかろうとする血気盛んな従者達を1人で抑え込もうとする場面。

知恵者でもある。

味方の従者も、敵の富樫も、刀を抜いたらお終いの場面。

如何に怪力の弁慶とても従者全員を抑えるのは至難の業。

富樫もギリギリのところで刀を抜くのを抑えている。

この人間心理の限界の場面を歌舞伎では様式美として魅せてくる。

こうして弁慶はこの困難を乗り越えることが出来る。

最後の最後の場面で、感じ入った富樫が弁慶に酒をふるまう。

酔った弁慶は舞う。

そして富樫に別れを告げ、去って行くのだが。

ここで歌舞伎は「飛び六方」を魅せる。


幕が閉まった後、弁慶は1人で花道に立っている。

ホッとするも、急いで主君義経の下に行かなくてはならない。

大見得をきった後で弁慶は全速力で去って行くのだ。

飛び六方。

徹底的な様式美。

これぞ歌舞伎っ!!

そしてこれこそが日本人が一番好きな感覚なんだ!!と思い知る演目かと。

実際に歌舞伎座が新装オープンした時の演目も「勧進帳」だった。

日本人と言えば判官贔屓、そして歌舞伎十八番勧進帳」かと。(笑)

終わり