熱中症と老害の危険性について

猛暑日が続いていて、かなりの人が既に病院に搬送されて亡くなっている人も少なからずいます。

そしてとうとう小学生の犠牲者が出てしまいました。

このところ、SNSで何人かの貴重な意見を読み、
とても強く感じることがあったので、
それらをベースに私がかねてから思っていたことも合わせて書いてみたいと思います。

それはずばり「老害」です。

日本は今や世界的にも他に例が無いほど急速に少子高齢化社会になっています。

既に日本の人口の25%は65歳以上の高齢者です。

恐ろしいことに、この割合はどんどん高くなって行きます。

そして非常に厄介なことに、健康な老人は地域社会の中で、
例えば町内会だとか福祉機関、教育機関だとかでご意見役としてそれなりに高い地位で活躍していたりします。

引退した老人は時間的余裕があるため、
場合によるとそういう機関内で困っている人の相談に乗ったり、
どうすべきかと言う意見を主張したりします。

この時、大変なトラブルを巻き起こしてしまいます。

多くの老人は「過去を美化する」と言われていますが、
実はちょっと違います。

「現状を否定する」と考えるべきです。

もっと言ってしまうと、
自己弁護あるいは自己優越性を誇示するためなら、
過去を美化したり、過去を貶したりもすると言う事実です。

この姿勢は非常に危険で社会に害悪をまき散らします。

具体例を挙げます。

シングルマザーが我が子の教育資金に困っていたとします。

そこで教育の相談機関に来て困っている旨を相談したとします。

この時、もし相談員が老人だった場合、とんでもない事を平気で言い出します。
(実際にあった話だそうです。)

母「収入が少なくて今のままでは子供を大学に進学させることが出来ません。
  何とかならないでしょうか?」

老相談員「私が子供の頃は大学なんかに行く人はほとんどいなかった。
     私も高卒だ。贅沢な悩みを言うんじゃない。」

この相談員にある価値観は自分のプライドを守るために過去を持ち出して、
現状を頑なに否定しようとしています。

この老人の学生時代と思われる1960年代の大学進学率は20%台でした。

確かに大学進学者は少数でした。

しかし2017年はどうなのでしょうか?

実は短大などを入れると55%くらいにまで上がっているのです。

この老人の意見は、現在の日本の教育環境を全く無視したものとなります。

実は、老人の知恵が有効なのは激変していない社会においてのみだけなのだと自覚する必要があるのです。

激変した社会においては、老人の意見は残念ながら役に立たないどころか害悪でしかありません。

もっと言うと致命傷を負わせられてしまいます。

先程の相談した母親にとっては、周囲の多くの子供の友達が大学に進学する中、
貧困が理由で行かせてやれないし、将来も有望な職が望めず、
貧困の連鎖に陥り人生が破壊されるかも知れない、
と言う非常に切実な悩みなのですが、
この老人は決して理解しないだろうし、理解したくもないはずです。

何故なら、この母親を理解する行為は自己否定に繋がるからです。

そしてもしこの母親が老人の言葉を受け入れてしまった場合。

幸せになれるのでしょうか???

ほぼ間違いなく、不幸になって行きます。

従って、この老人のアドバイスは百害あって一利なしです。

これを熱中症に当てはめて考えてみましょう。

「小学校に冷房を入れる???
 何を贅沢な事を言ってるんだ。
 私が子供の頃は暑い中でも頑張って勉強していたんだ。」と大反対します。

こんな人が教育関係者に1人でもいたらアウトです。

そもそも老人は暑さを感じにくくなっているため、
冷房を頑なに否定する人がとても多いのも厄介さに拍車をかけています。

老人は決して暑さに強い訳ではありません。

むしろ弱いのですが、暑さを感じないため、冷房を否定し、
そうして実際に死んでしまう人が多発している現状があります。

こう言った老人は、現在の変わってしまった気候を理解することが出来ません。

昔にももちろん猛暑もあったし、冷夏もありました。

しかし明らかに連続熱帯夜の更新など、昔と比べるとかなり暑くなっている現状があります。

かつての日本の最高気温は更新されていて、
しかもその気温と似たような高温は至る所で観測される時代になっています。

それを理解しないで、ひたすら冷房反対、と。

そもそも、昔は熱中症と言う言葉すらありませんでした。

日射病と言ってました。

真夏でも平気で激しい運動をやらせて、
しかも水を飲むとバテるから飲むな、などとも言われていました。

メチャクチャな事が罷り通っていた時代とも言えます。

昔はそんな事で死ぬヤツはいなかった、と言う人もいるでしょう。

それまた間違いです。

熱中症と言う概念がなかった訳ですから、
カウントのしようがありません。

そもそも、暑い夏の日に朝礼で立たされて、
校長の無駄に長い話を聞かされている時、
バタバタと倒れる生徒が続出していたのを忘れてはなりません。

その時死んだとしても熱中症とはカウントされません。

貧血と虚弱体質により倒れてそのまま心不全で死んだ、と言った感じでしょうか。

今ほどの酷暑ではない時代でもかなりの犠牲者がいた訳です。
(少なくとも熱中症で気を失っていた生徒は多数いた)

何となく私達は、経験を多く持っている年寄りに相談すれば良い知恵を授けてくれると言う思い込みがあります。

しかし、実際のシチュエーションでは、前述した通り、
特に今の世の中においては、残念ながら老人の知恵はほとんど役に立ちません。

明治、大正、昭和までは、それほど社会に画期的な変化はありませんでした。

移動手段に飛行機が出てきたのは偉大ですが、
実は情報伝達手段はほとんど変わっていませんでした。

手紙、ラジオ、電話、テレビです。

双方向通信は手紙と電話しかない時代がずっと続いていたのです。

ところが平成時代の中頃から急速にネットとSNSと言う新しい情報手段が登場して、
社会は劇的に変化してしまいました。

老人が「昔も暑かったけど私達は我慢して・・・」
などと言っても、若者はその場でスマホで過去の夏の平均気温を知ります。

「何を言ってるんですか!!猛暑日や熱帯夜の日数が当時とは比較にならないんですよ!!」
と即座に返答できてしまいます。

良かれ悪しかれ、非常に大きく変化している現代社会において、
迂闊に老人の言動を受け入れてしまった場合・・・・・

そこにあるのは悲劇だけだ、と思うべきでありましょう。

特に老人の現状否定の姿勢には注意をすべきです。

終わり



余談:

以前にも書いたことがありますが別の切り口で。

歌舞伎の世界には「團菊じじい」と言う言葉あります。

これは、昔の團十郎菊五郎が良かったと言い張る老人を揶揄する言葉だそうです。

この場合の老人は徹底的に過去を美化しています。

今の歌舞伎を観ないで昔を懐かしんでばかりいる老人の醜さを笑う言葉です。

実際に現実にも團菊じじいは結構います。

面白い事にと言うか、当たり前と言いますか、
歌舞伎座に足を運んでいる老人にはいません。(笑)

團菊じじいは、DVDすら観ないで、
ただただ昔の思い出に浸っているだけです。

話していても退屈です。

もちろん、今でも通っている現役の人が語る内容は別格になるのは言うまでもありません。

十七代勘三郎、十八代勘三郎、当代の勘九郎の芸を比較してくるような老人は偉大な見巧者と言えます。

罷り間違っても團菊じじいになってはならない、と思う今日この頃であります。