豪雨被害と、ある短編小説で考えさせられたこと

先日、西日本の豪雨被害について、
「素早い避難を」と言う専門家や識者の意見に対して疑問を呈した。

避難をするなと言いたい訳ではない。

繰り返しになるが、
日本人の50%は女性、25%は65歳以上の高齢者、
12.8%は15歳未満の子供なのである。

さらに大勢の病気の人がいる。

しかしどういう訳か、
こと災害対策になると「大人の男の健常者目線」での発言が罷り通っている。

「素早い避難を」と。

これは言葉としては正しいが、現実としては間違っている。

何故なら、かなり多くの日本人(過半数を軽く超えている)にとって、
素早い避難は不可能だからだ。

特に豪雨の時は尚更だ。

さて、ここで大学時代に英語の授業で読んだ短編小説の内容を挙げておきたい。

もう作者も忘れているが内容は強烈だったので覚えている。

ある家族が山間部で暮らしていた。

小さな家だったが、家族の仲も良く、
幸せに暮らしていた。

ある夜、豪雨に襲われてしまう。

その家族は、迷った末に「皆で避難する」と言う選択をした。

そこで豪雨の中、子供を連れて父と母は避難を開始した。

その直後、土砂崩れが起こり、その親子は全員飲み込まれて死んでしまう。

短編小説の最後、その災害現場の記述がある。

土砂はどういう訳かその家族の家の手前で二手に分かれ、
家は全くの無傷で残っている。

部屋の中の描写もあった。

暖かい暖炉と熱いお茶もそのまま残っている。

まるで今ここでその家族が生活しているかのように。

だが、一歩外に出ると家の周囲は土砂で埋まっていて、
避難した家族は全員死んでいる。

そこで小説は終わっていた。

ここで再度私は土砂災害時における避難行動について問題を提起したい。

素早い避難を、と言う。

しかし子連れや高齢者連れの場合、あるいは女性がいる場合。

豪雨の中、素早い避難は出来るのだろうか?、と。

かえって危険になってしまうのではないだろうか?、と。

むしろ家に留まって、家をシェルターとして、
2階など出来るだけ高い場所に移動して、
土砂の最初の一撃から逃れる準備をする、と言うのも立派な選択肢の1つではなかろうか???

後は運次第になる。

そもそも大災害での生存確率は運によるものも非常に大きい。

だが専門家や識者はバカの1つ覚えみたいに「素早い避難を」としか言わない。

大人の男の健常者目線での災害対策ほど呆れてしまうものはない。

強者の立場での災害対策は逆に犠牲者を増やしてしまうだろう。

今回の西日本の豪雨被害でとても考えさせられている。

もちろん私の提示した選択肢が正しいなどと強弁するつもりも全くない。

ただ、この種の大災害における対策について考え込んでしまうだけだ。

そして少なくとも、
専門家や識者が繰り返している「素早い避難」と言う言葉にはちょっと違うのではないか?と思ってしまう。

終わり