東京生まれの東京育ち : 正調江戸弁の「啖呵」について

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東京生まれの東京育ち : 正調江戸弁の「啖呵」について

「学校」と「小学校」。

この発音を正確に言えますでしょうか???

それは後述するとしまして。

普通に育った者であるのなら誰でも自分の生まれ育った場所に愛着がある。

愛着どころかそれはプライドであり、自分のアイデンティティの1つになっているはずだ。

東京生まれの東京育ちの者の中でも特に都心部や下町の出身者は非常に強いプライドを持っているように見える。

ところが出身地と言うやつは目に見えないため、
どこで見分けようとするのかと言うと、
間違いなく「言葉」だ。

何も東京に限らず、どの地方に行っても知らない人をチェックする時に、
密かに一番大切なチェック項目は言葉になっているかと思う。

同郷なのか、よそ者なのか。

東京人も例外ではない。

僅かなアクセントの違いを決して聞き逃さない。

しかしながら、その聴覚とはその場所で生まれ育ったからこそ習得できた能力なので、
そのままだったら「ただ何となく分かる」だけに過ぎない。

理論的な仕組みや、あるいは突き詰めていった先にある本質的な感覚は、
生まれ育っただけでは決して分からない。

何故なら、それらは先人達が長い時間をかけて築き上げてきた文化であり、
歴史であり、伝統であるからだ。

文化・歴史・伝統。

これらを理解するのは想像以上に難しい。

何故なら、既に失われているものもあるし、そもそも学ぶ必要があるからだ。

文化・歴史・伝統とは、学ばない限り決して身に着かない、そういう性質のものであると思う。

現代の東京で生きる人達は、テレビドラマや小説の影響で、
アスファルトとコンクリート建築物に囲まれた都市空間の中でオシャレに振る舞う行為こそ東京的であると思い込んでいる。

もちろんそれは現代的な感覚としては間違っていないし、
現代の東京文化として定着している感はある。

素敵な彼女や彼氏と一緒に星付きレストランで優雅なひと時を過ごす。

洗練された優しい振る舞いとオシャレな話題と美味しい食事と。

だが、これは東京人の本質なのであろうか???

本心から楽しいと思っている事なのであろうか???

失われてゆくある種の感覚に対して、これだけは譲れないと頑なに抵抗する一部勢力は確実に存在している。

それは伝統芸能の場で威力を発揮している。

先日、録画してあったBS・TBSの番組「落語研究会」において春風亭一朝が「三方一両損」をやっていた。

ちなみに一朝は現在大人気の春風亭一之輔の師匠だ。

私は一朝師匠の落語がとても好きだ。

下町生まれの典型的な江戸っ子。

気風のいい男を語らせたら天下一品。

寄席で聴いていると惚れ惚れするような正調江戸弁を話してくる。

「江戸っ子とはこういうものなんだっ!!」と、うっとりするのだ。

特に江戸っ子の「啖呵」。

これは江戸っ子が喧嘩の前に述べる口上のようなものだが(笑)、
喧嘩相手もうっとりするように切らなくてはならない。

啖呵を切る。

もう失われてしまっている江戸っ子の得意技。

それを一朝師匠は見事に再現してくる。

メチャクチャ汚い言葉を発しても汚くは決して聞こえない。

これは立派な芸術作品だと思う。

袖をまくり、片腕を出すシーンなぞ「うわ~これぞ江戸っ子!!」って感じ。

三方一両損」では粋を競い合っているような男2人が啖呵を切る。

その喧嘩を大岡越前がこれまた見事な裁きで、
ぐうの音も出ない形で収めてしまうのも楽しい。

素晴らしい落語を聴けた。

テレビ、凄いと思う。(笑)


余談:

正調江戸弁の基本の1つに鼻濁音の使用と言うのがある。

一番最初に書いた「学校」と「小学校」。

「がっこう」の「が」と「しょうがっこう」の「が」。

これ、正確には発音が違う。

現代日本語ではきちんと区別していないが。

しかし本当の日本語では区別しないといけないのだ。

腕のいい落語家を師匠にもった落語家は皆きちんと区別するように指導されるらしい。

ちなみに「しょうがっこう」の「が」は鼻濁音を使用した発音になる。

正調江戸弁の啖呵とは、上記のような基本の1つをしっかりと踏まえた上で、
それはもう見事な早口でまくし立ててくるのだ。

一朝師匠の落語、江戸前を感じたいのでしたら大変大変お薦めします。

終わり



再び余談:

江戸っ子の基本は短気、口が悪い、喧嘩っ早い、非グルメ(ただし蕎麦だけはうるさい)だと思う。

面白い事に同級生を眺めていると、この基本は本質的なところでしっかりと生きているように見える。(笑)

現代東京人は一見するとソツがない。

穏やかな顔をして見事な社交を仕掛けてくる。

だが、騙されてはいけない。

同級生同士になると途端に手加減のない罵詈雑言が展開されるような気もしないではない。(笑)

先日、新宿末廣亭、夜の部のトリで柳家小三治師匠が「長短」をかけてきた。

気の短い江戸っ子と気の長い幼馴染の親友同士の会話なのだが。

気の短い方の男が典型的な江戸っ子で笑ってしまう。

それを新宿生まれの小三治師匠がヤった訳だ。

堪らなく面白かった。