恋愛と女性を不浄と考える人達について

これから書くことは、先日の相撲の土俵における女人禁制に端を発した問題の是非ではありません。

≪男の性欲≫の真面目で根本的な問題についてです。

倒れた人を助けるために女人禁制の土俵上に上がった女性に対して、
女性は下りて下さいと言うアナウンスをしたため大問題になっています。

テレビでは識者が色々と発言しています。

その中に富士山登山は明治時代まで女人禁制だったけれど、
外国人からの要望により女性も登山が出来るようにした経緯があると言っていました。

山は神聖な場所だから、女性を不浄と考えていたため、
霊峰には女性を登らせなかった、と。

当記事で述べたいのは、
そういう考えはいけないとか、改めるべきだと言うものではありません。

何故、女性を不浄と考えるようになったのか?と言う根本的な問題です。

間違いなくこの問題には男の性欲の問題が絡んで来ています。

実は、ほとんどの女性は男の性欲について勘違いしていると思っております。

かなり遊び馴れた女性でも勘違いしています。

「男って常に女の事を考えているんだって?なんかねぇ~♪♪」と無邪気に手慣れた女の子は語ったりします。

とんでもない間違いです。

女性の考えるその感覚の100万倍くらい強いと思っておいた方がいいです。

男の人生は大きく分けて、思春期前と思春期後ではまるで違う人生が展開してきます。

思春期前の少年は、いわゆる男の子です。

可愛いな、好きだな、と思う女の子が出来ても性欲に憑かれることはありません。
(特殊な事例はあるでしょうが)

しかし思春期後、男の子から男へと変貌した時、
人生のあり方が非常に大きく変わると言っても過言ではありません。

それ以降、極めて強い性欲に憑かれる一生を送る事になるのです。

常に考えていると言ってもいいでしょう。

そんな事はない、と言い切って来る男がもしいるとしたら、
・嘘つき(そういう発言は女性にウケることを知っている卑怯者)
・男のようで男ではない(女性を恋愛対象とみていないか、体質的に問題がある)
上記のどちらかになると見做していいです。

健康な男は強烈な性欲との戦いの日々を送るようになります。

ただし、普通の男であるのならば、
剥き出しの欲望は女性に嫌われることを当然知っているので隠しているだけです。

もちろんこの性欲の強さには個人差があるのは言うまでもありませんが、
本当のところ、その強さは同じ男同士でも分かりません。

しかしこうは言えます。

「オレはそんな事はない」と言うヤツとか、
やたらとカッコをつけるヤツとかの方が危ない傾向があると体験的に私は感じています。

何か事件を起こしてしまう男は、
普段はその種の発言をして抑圧された環境にいるケースが多いように見受けます。

いずれにしても男が抱える≪強烈な性欲≫は、
男の人生の至る所でトラブルを巻き起こします。

修行する聖職者にとっては、
そう簡単に断ち切れるようなものではありません。

だから色々と理屈をつけて女性を遠ざけようとした工夫がみられます。

そのうちの1つに女性を不浄と見做す考えがあると感じています。

不浄なんだと思い込めば、何とか性欲を断ち切れるのではないか?と言う甘い試みである、と。

しかし世の中には悟りを開いたはずの聖職者の性的事件はかなりあります。

あるいは聖職と思われる教師や医師ももちろん性的事件を起こします。

先日の土俵上の事件を考えた時、
何とかして女性を一時的に遠ざけて、
性欲の鎖から解き放たれたい男の悲痛な叫びにも思えてしまうのです。

この感覚は女性は絶対に理解できないと思うのです。

だから多くの女性達は、
無邪気にアイドルの男性はモテるから性犯罪や変態とは無縁と思い込んで、
妙に神格化したりします。
(この仕組みは男でも同じですが)

しかし先日もイケメン俳優が痴漢で捕まってしまいました。

その根本にあるのは、健康な男なら誰もが抱えている強烈な性欲にあります。

逃れられない強烈な性欲の問題は非常に厄介です。

元ヤクザで作家の安部譲二氏が実に面白い事を述べていました。

「世の中の女性がもっと簡単にヤらせてくれれば男の人生は楽になるのに」と。

蓋し名言であると思っております。

終わり