平和主義の矛盾 : 撃たれる前に撃つ現代戦との関係

現代日本憲法第9条を何とか拡大解釈しながら、
専守防衛」に徹している。

この事自体は、多くの国民の理解を得ているとは思うのだが。

非常に厄介な事に現代戦においては大変な矛盾があり、
自衛隊員はおろか国民の命を大勢危険に晒している事態となる。

前記事を含めた一連の記事において、
現代の艦隊戦は相手が見えないうちに勝敗が決している、と書いた。

つまり150kmくらい離れた位置から既に敵をロックオンして撃墜もしくは撃沈してしまうのが現代戦の常識となっている。

これは戦闘機による戦闘も同じだ。

遥か手前から敵よりも先に敵機をロックオンして撃ち落とすのが前提になっている。

つまり、撃たれる前に撃つ、と。

これが現代戦の常識となる。

何故、イージス艦を含めた現代のアメリカ艦隊が無敵なのかと言うと、
掲題の「撃たれる前に撃つ」と言う思想が徹底して初めて活きて来るからだ。

現代戦において、敵に先にミサイルを撃たせると言うことは、
既に至近距離に入られていて、ロックオンされている状態と言っていい。

ロックオンされていると言う事態は、撃たれたらミサイルは自動的に後を追って来る事を意味している。

これを迎撃するのはイージス艦と言えどもかなり難しいし、危険を伴う。

イージス艦は作戦行動時においては決して単独行動はしない。

オバマ大統領が南沙諸島でやった航行の自由作戦はかなり例外的と言える。

常に空母を護衛しながら、対潜哨戒機や潜水艦、補給艦他と共に艦隊行動をして初めて威力を発揮する。

そして優れたレーダーと空軍の援護を受けて事前に敵を発見し、
見えないうちに、相手に気付かれないうちにミサイルを撃つ。

これが現代戦となる。

日本の専守防衛問題は、北朝鮮のミサイル発射問題を見ても明らかなように、
最初に大きな被害、つまり犠牲者が多数出ても仕方ないと言う思想になっている。

これは・・・明らかに平和思想ではない。

国民の人権どころか生存権も無視している非常に恐ろしい問題だと思っている。

これが日本の平和主義の矛盾だと私的には考えている。

終わり



余談:

戦後民主主義における最大の矛盾は、
「戦争とは日本人だけが平和を望んでいるなら絶対に起こらない」
と言う思い込みにある。

事実、以前は最大の野党だった某党の「党首」が、
昔は堂々と「一体どこの国が日本に攻めて来るというのですかっ!!」と、
ヒステリックに喚き散らしていたのは記憶に新しい。

これが当時の「日本最大の野党の党首の言動」であったのを忘れてはならない。

戦争するには相手があり、相手の意志も絶対に無視できないと言う当たり前の事実が見えない。

未だにこの種の考えをしている人は非常に多いのが恐い。