北朝鮮のミサイル発射問題について

今朝、起きたら登録しているYahoo!から緊急メールが3通届いていた。
(私のスマホは音を消しているため気付けなかった)

北朝鮮からミサイルが発射された

・身を守って下さい

・ミサイルは現在上空を通過中です

と順を追った正確なものだった。

この通報システムには様々な意見があるようだが、
取り敢えずは、緊急地震速報が出来たばかりの時のように、
まだまだ不完全ではあろうが、
キチンと作動したことは素晴らしいと思う。

では、ミサイルが発射されたと言う通報に接した時、
どのように対応すべきなのか?と考えてみると。

良くも悪くも、現在生きているほぼ全ての日本人が全く経験した事のない事態だと先ずは思う必要があるかと思う。

つまり戦後72年もの長きに渡って、
何はともあれ幸いにも戦争に巻き込まれることはなかった。

しかしながらここ10年くらいで急速に事態は悪化している。

今までは、巨大な米軍基地を日本の至る所に駐留させながらも、
日本には平和憲法があるんです♪♪と言う実におめでたい発想で戦争そのものを考えないようにしていた経緯がある。

かなりなインテリ層であっても、こと軍事については思考停止状態。

日本だけが平和平和と叫んでいれば絶対に戦争など起きる訳はないと言う思い込み。

けれども戦争には相手がある、と言う当たり前の事実を全く考えていない。

その相手は盛んに「日本は敵だ」「火の海にしてやる」と明確な意志表示をしている。

今回のミサイル発射も、それ以前も、偶然の事故なんかではない。

強い意志をもった意図的な威しであるが、
実はもう既に威しの状況ではない事実も冷徹に考えるべきである。

つまり、もう確実に日本を射程に入れた上で、
現実にミサイルを撃ち込んで来ている段階に入っている、と。

当たっていないだけで。

おそらく戦後72年、軍事を全く考えないで来ているため、
この状況の深刻さをまるで理解しない人も未だにかなり多いように思えるので、
はっきりと書いておきたい。

国ではなく隣近所の家を想定してみよう。

もし、隣の家に、力は弱そうだけど変なオジサンが暮らしていて、
武器を溜め始めている。

それだけではなく「オマエ、気に入らない、ぶっ殺してやる」などと大声で喚き散らし、
実際にピストルを撃ち始めている。

幸い弾丸は家に当たってはいないが、
バンバン撃ちまくっている。

そんな状況なのである。

この期に及んでも、安全だし戦争の危険性はないと言い切る者がいたとしたら、
逆に余程頭のイカれた者だと思っていい。

そしてテレビを点けるとそんなイカれた評論家が堂々と安全を主張している。

原発事故が起こった時もテレビで大勢の専門家と称する連中はメルトダウンなど起こる訳はない、
と主張していた構造とまるで同じに見える。

これははっきり言って緊急事態だ。

多くの人命がかかっている緊急事態だ。

日本は言論の自由が認められている国ではある。

しかし、大地震の時にデマを飛ばすようなヤツは厳罰に処すべきであると思う。

それと同じように、この種の多くの人命がかかっている緊急事態の最中に、
まだ無責任に安全を主張する者がいたとしたら、
処罰の対象にすべきではないか?と言う感覚にすらなっている。

平和主義は度を超すと立派な利敵行為となる。

いたずらに危険を煽るべきではないと言うのはもちろん分かる。

けれども、今を危険と言わずして何時危険だと言うのか?

オバマ政権時代は腰抜けと呼ばれる外交をしていたアメリカ。

それで平和になったのかと言うと。

少なくとも北朝鮮と中国に関しては暴走を許してしまっている現状がある。

北朝鮮は既に核まで持っているのは確実視されている。

歴史を見ると、平和主義はより大きな戦争を呼び込んでしまうと言う繰り返しがある。

チェンバレンヒトラーと妥協した時、偉大なる平和が来ると多くの人は思い込んでいた。

韓国の新しい大統領や、日本国内の相変わらず大勢の平和教信者達。

こういう現実を見ていると、まさにそうなる気配が濃厚だとしか思えない。

ちなみに先日も記事にしたが、現代日本人が戦争をイメージすると、
未だに72年前に終結した第二次世界大戦のメンタリティで考えてしまう。

戦争とは、徴兵制があって、国民皆兵で、軍艦とか、歩兵とかがバンバン撃ち合う、と。

だから徴兵制にさえ反対していれば戦争は起きる訳がないと言う思い込み。

「いつか来た道」はダメ、と。

しかし今は「新しい道」になっているとは想像すらしない。

72年前とは比較にならないくらいに進歩している兵器を考えない。

それがどのような事態をもたらすのか。

そして今現在もヨーロッパ諸国を悩ませている工作員によるテロ。

総力戦は避けられているがテロが至る所で勃発している現状。

この「新しい道」を冷静に進んで行く思考と実力が求められているのだとつくづく思う。

終わり