昔の日本人の男は恐かった?

最近、知り合いの身内の戦前の写真を見る機会がありました。

古い白黒の写真で日本人男性が写ってました。

結構なショックを受けたので記事にしたいと思います。

写真には知り合いのお爺さんが写っていて軍服を着ていました。

もちろん軍人の写真を見たのは初めてではありませんし、
むしろ色々と沢山見てきていますが、
問題は知り合いのお爺さんと言う点にあります。

テレビ番組や博物館で見る「歴史」ではなく、
身近な人の身内の「過去」を見せ付けられた気がしました。

そしてその「過去」とは当時の日本人全員に均等にあったものなのだ、と。

私の母や友人の体験談なども思い出しました。

母の親戚は出征し、陸軍大尉くらいになり、一時帰省した時に挨拶に来たそうなのですが、
玄関先で、軍服を着た大男が軍刀を持ちながら大声で挨拶をする姿が子供心にはとても恐かったと言ってました。

友人のお爺さんは海軍大佐クラスで、
戦後の話ではありますが、
ある日、庭に大きな蛇が出て来たそうです。

家中大騒ぎになり女子供が悲鳴を上げていたら、
お爺さんが「騒ぐな!」と、日本刀を持ってやって来て、
有無も言わせず蛇を日本刀で斬り殺したそうです。

「お爺さんは恐かった。」と友人は語っていました。

また、何かの本で韓国人が昔の日本人を回想する記述があったのですが、
「昔の日本人は恐かった。目がギラギラしていた。」
と書いていたのが印象的でした。

さて、私達が今と昔の話をする時は必ず今と昔を比較して語ります。

人間の性格は様々ですから、
「昔の日本人男性は恐かった」と言う表現は、
今の民主主義の時代においての価値観では間違っていることになります。

しかし私は明らかに時代性による違いはあると思ってます。

日本人とアメリカ人が同じではないと言う理屈と同様に。

戦前の日本人男性には徴兵制があり、
女子供、そして国を守らなくてはならないと言う考えが基本的にあったことを、
その軍服姿の写真から感じたのです。

もちろん当時にも草食系男子はいたはずです。

しかしそんな言葉はありませんでした。

時代がそれを許さなかったと思うのです。

昔の日本人女性と今の日本人女性の考えは大きく変わっていると感じます。

しかし、この変化は男性の方が遥かに大きいと写真から感じたのです。

そして今、ニュースで盛んに問題視されている、
新しくできる小学校への国有地払い下げですが、
この小学校の方針を知って驚いてしまいました。

私自身は時に極右的な考えをする者です。

しかし、過去や歴史に理想を求める者ではありません。

過去や歴史を大切にしながらも今を快適に生きたいと願う者です。

歌舞伎の言葉に團菊じじいと言うのがあります。

昔の團十郎菊五郎が最高で今はダメだと嘆く老人をからかう言葉だそうです。

團菊じじいの跳梁跋扈だけは絶対に許してはなりません。

何故なら、彼らの頭にあるのは過去への理想だけだからです。

今を快適に生きようとしない者の言葉など断じて受け入れてはならないからです。

昔の日本人の男は恐かった?

この問いには私はこう答えます。

「おそらく恐かったと思う。それも今とは比較にならないくらいに。」

そして思うのです。

少なくとも日本の過去や歴史に理想郷など断じてない、と。

終わり