女郎買いの噺

9月25日の国立名人会(国立演芸場、東京・隼町)のトリは三遊亭金馬だった。

かなりのご高齢になっていたが、
実に興味深い話をしてくれた。

現在、東京をもってしても常設の寄席は4軒しかないが、
それらの寄席においても女郎買いの噺は先ずされなくなったそうだ。

ちなみに女郎と花魁は違うと正式に教えてもらえた。

吉原にいたのが花魁であり、それ以外の宿場などにいた「そういう女性」は女郎と呼ばれていた、と。

また「廓(くるわ)」とは吉原を指し、
吉原以外を廓とは言わない、とも。

品川心中と言う古典落語をやったが、
まさしく品川が舞台の女郎の噺。

男と女と、遊びと金と。 

いつの時代でも、どこの国でもこの種の話はある。

しかし、間違いなく現代はこの種の性風俗を、
宗教的な視点ではなく人権の視点から史上初めての否定をしようとしていると感じる。

人類の貧困と欲望が解決されない限りは解決からは全く程遠い問題ではある。

そもそも解決すべき問題なのか?と言う疑問すら抱いてしまう。

何故なら、男と女の関係とは、それほど綺麗なものでもないと思うからだ。

夫婦でも、だ。

お互い腹黒い欲望の塊かと。

恋愛と呼ばれる醜悪な行為に夢中の当人はまるで気付いてないが。(笑)

先ほどテレビでは何組かの芸能人やスポーツ選手の夫婦が出ていたが、
皆人間である以上、男も女も欲望を抱えた、ある意味汚ならしい存在に見えた。

しかし逆に純粋さを強調する連中は偽善的でもある。

どちらにしても廓噺や女郎買いの噺が演じられなくなった時代に生きていることは。

果たして進化なのか退化なのか。

笑えると言う人には下卑たものを感じ。

笑えないと言う人には偽善を感じ。

自分は一体どちらなのか?

混乱の時代なのかな?とも思ってしまった。

終わり



余談:

吉原にいる女性を何故花魁(おいらん)と呼ぶのか?

一説によると。

狐狸は尾で化かすが吉原の女が男を騙すのには「尾が要らん」から「花魁(おいらん)」と。(笑)