日本人の格付けの探り合い(笑)
人間が幸福になるための条件の1つに「パワー動機を満たす」と言うのがあるそうです。
これは勝ち負けにこだわる心で、
健全な人なら誰でも持っていなくてはならないものです。
例えば、運動会の徒競走で一等賞を取った時の喜びです。
あるいは100点を取って褒められたりとか、
大人なら課長になったとかの昇進です。
ともかく人と比べて勝ったと思った時に得られる喜びのことです。
このような喜びは健全に作用したら向上心に繋がり、
良い人生を送るための基本となります。
しかし悪い方に作用したら他人の足を引っ張ったり、
妙な格付けの世界にハマり常に他人の動向を気にしてしまう嫌な奴に成り下がってしまいます。
この辺のバランスは非常に難しいところではありますが、
日本人はそのほとんどが似たような顔をして、
同じ日本語を喋る、ほぼ単一民族で構成されている国でもありますから、
一般的にどうでもいい細かいところにこだわる性質があります。
もちろん、人種に関していえば、これは比較の問題ですので、
日本にも少数民族がいるのは承知していますが、
世界の国々と比較したら顕著に移民や人種問題が少ない国と言えるかと思います。
こういう国で暮らしていると、前述したように、
他人との些細な違いが非常に目につくようになってしまいます。
そしてその小さな違いをとても重要視するおかしな方向にイってしまうことが多発します。
例えば、これは某企業の社宅で起こったことです。
出典は心理学だったか企業系だったかは忘れましたが単行本に書いてあったことです。
その社宅では部長以下平社員まで大勢が住んでいました。
自動車を購入する場合、上のクラスの人達は車種が決まっていたそうです。
日本車の某メーカーの○×でなくてはならない、と。
しかもその○×の中での細かいランクにこだわっていた、と。
部長がBランクを買ったら課長の家はCを買わなくてはならない、と。
これを飛び越えて係長がAを買ったらイジメの対象になる、と。(笑)
冗談のようですが、れっきとした単行本にあった記述であり、
この事実関係はともかくとして、
それでも私達はこの感覚を理解できるのではないでしょうか?
こういう中で生きていた場合、
破壊者の登場を恐れると同時に、本当に破壊者がやって来たら一時的に大混乱が生じ、
その後に平穏が訪れます。
こんな感じです。
ある日、別の地方からその社宅に越して来た一家がいます。
彼らは実家が大金持ちのため持っている自動車はベンツでした。
身分は平社員。
こういう人物が目の前に現れたら、
何とか同化させようと無駄な努力をしますが、
結果的に「実家が大金持ちでベンツ」に敵う訳はありません。(笑)
自分達がこだわって来たことって何だろう?となってしまいます。
これがパワー動機の面白さでもあり危険さでもあります。
パワー動機が突出してしまうと、
人間の傲慢さや卑屈さも突出してきます。
そして他人の目を気にしながらも牽制し合う非常に住み難い社会が出来てしまいます。
このような社会が築かれてしまうと中にいる当人達は気付けません。
破壊者が来るまでウジウジと続けるハメになります。
くだらない、と一言で片づけたいと思う方もいるかも知れません。
しかし健全な人間である以上、絶対にパワー動機からは逃げられません。
よくよく自分について考えてみれば、
上記のようなものに限らなければいくらでも嫌な方向にイったパワー動機を見つけることが出来るかと思います。
・あの家の子の成績
・あの家の子の髪の毛の色
・あの家の子が行っている大学
・あの家の子の就職先
・隣の人が買った新しい家具
・隣の奥さんの高級そうなバッグ
・近所に建った新築の一戸建てに入居してきた一家の職業
等々、気になることは沢山あるかと思います。(笑)
奥様達だけではありません。
海外出張に行った旦那も海外に行ってまで同じ日本人同士で格付けの探り合いをしています。
「ホテルはどちらに?」
海外出張した企業の人が他の企業の知り合いと出会った時の会話の常套句です。
「私はペニンシュラです」
こういったやり取りで心の中では結構な格付けが展開しているのです。(笑)
しかし、こういうのに一切惑わされない人間がいるのも事実です。
それはそれで非常に問題のある人格なのですが、
それこそが破壊者の象徴である「達成動機の突出した人」となります。
それはまた別の機会に。
終わり
余談:
格付けはもちろん諸外国にも存在しています。
しかし当記事で言いたい主旨は日本人の場合、
異様に狭い世界でその格付けが展開してしまい、
他が見えなくなってしまうところに滑稽さがあるからなのです。
一番良い例は野球です。
世界的に言うと極めてマイナーなスポーツに何故か熱中しています。
それは歴史や好みがありますから別に良いのですが、
かつての日本人の男は日本シリーズで優勝できるかどうかにのみ異常に盛り上がっていました。
僅か10球団の中での小さなお山のてっぺんの取り合いに夢中になっていました。
それこそ日本人男性のほとんどと言っても良いくらいに野球一辺倒でした。
時代もありますが、元々野球の発祥はアメリカだと知りながらも、
アメリカの大リーグは無視していました。
そして胃の中の蛙のような発言をプロの選手すらも恥ずかしげもなく堂々としていました。
日本の野球の方が優れている、とか。
しかし蓋を開けてみたら大リーグでプレーするのがどれほど難しいのかが今ようやく分かっています。
これに対してサッカーは最初から世界を見ながらJリーグを発足させています。
ワールドカップやオリンピックでの優勝を本気で思いながら頑張っています。
もちろん、日本のレベルはまだまだ低いですが、
ラグビーのようなこともありますから、
やはり上を向いて広い世界を目指しての活動こそが面白いと思うのであります。
だからこそ、今、野球はとても面白くなっていると思います。
かつての狭い世界ではなく、大リーグで本当に活躍したり、
世界大会を開催したり、と。
これは勝ち負けにこだわる心で、
健全な人なら誰でも持っていなくてはならないものです。
例えば、運動会の徒競走で一等賞を取った時の喜びです。
あるいは100点を取って褒められたりとか、
大人なら課長になったとかの昇進です。
ともかく人と比べて勝ったと思った時に得られる喜びのことです。
このような喜びは健全に作用したら向上心に繋がり、
良い人生を送るための基本となります。
しかし悪い方に作用したら他人の足を引っ張ったり、
妙な格付けの世界にハマり常に他人の動向を気にしてしまう嫌な奴に成り下がってしまいます。
この辺のバランスは非常に難しいところではありますが、
日本人はそのほとんどが似たような顔をして、
同じ日本語を喋る、ほぼ単一民族で構成されている国でもありますから、
一般的にどうでもいい細かいところにこだわる性質があります。
もちろん、人種に関していえば、これは比較の問題ですので、
日本にも少数民族がいるのは承知していますが、
世界の国々と比較したら顕著に移民や人種問題が少ない国と言えるかと思います。
こういう国で暮らしていると、前述したように、
他人との些細な違いが非常に目につくようになってしまいます。
そしてその小さな違いをとても重要視するおかしな方向にイってしまうことが多発します。
例えば、これは某企業の社宅で起こったことです。
出典は心理学だったか企業系だったかは忘れましたが単行本に書いてあったことです。
その社宅では部長以下平社員まで大勢が住んでいました。
自動車を購入する場合、上のクラスの人達は車種が決まっていたそうです。
日本車の某メーカーの○×でなくてはならない、と。
しかもその○×の中での細かいランクにこだわっていた、と。
部長がBランクを買ったら課長の家はCを買わなくてはならない、と。
これを飛び越えて係長がAを買ったらイジメの対象になる、と。(笑)
冗談のようですが、れっきとした単行本にあった記述であり、
この事実関係はともかくとして、
それでも私達はこの感覚を理解できるのではないでしょうか?
こういう中で生きていた場合、
破壊者の登場を恐れると同時に、本当に破壊者がやって来たら一時的に大混乱が生じ、
その後に平穏が訪れます。
こんな感じです。
ある日、別の地方からその社宅に越して来た一家がいます。
彼らは実家が大金持ちのため持っている自動車はベンツでした。
身分は平社員。
こういう人物が目の前に現れたら、
何とか同化させようと無駄な努力をしますが、
結果的に「実家が大金持ちでベンツ」に敵う訳はありません。(笑)
自分達がこだわって来たことって何だろう?となってしまいます。
これがパワー動機の面白さでもあり危険さでもあります。
パワー動機が突出してしまうと、
人間の傲慢さや卑屈さも突出してきます。
そして他人の目を気にしながらも牽制し合う非常に住み難い社会が出来てしまいます。
このような社会が築かれてしまうと中にいる当人達は気付けません。
破壊者が来るまでウジウジと続けるハメになります。
くだらない、と一言で片づけたいと思う方もいるかも知れません。
しかし健全な人間である以上、絶対にパワー動機からは逃げられません。
よくよく自分について考えてみれば、
上記のようなものに限らなければいくらでも嫌な方向にイったパワー動機を見つけることが出来るかと思います。
・あの家の子の成績
・あの家の子の髪の毛の色
・あの家の子が行っている大学
・あの家の子の就職先
・隣の人が買った新しい家具
・隣の奥さんの高級そうなバッグ
・近所に建った新築の一戸建てに入居してきた一家の職業
等々、気になることは沢山あるかと思います。(笑)
奥様達だけではありません。
海外出張に行った旦那も海外に行ってまで同じ日本人同士で格付けの探り合いをしています。
「ホテルはどちらに?」
海外出張した企業の人が他の企業の知り合いと出会った時の会話の常套句です。
「私はペニンシュラです」
こういったやり取りで心の中では結構な格付けが展開しているのです。(笑)
しかし、こういうのに一切惑わされない人間がいるのも事実です。
それはそれで非常に問題のある人格なのですが、
それこそが破壊者の象徴である「達成動機の突出した人」となります。
それはまた別の機会に。
終わり
余談:
格付けはもちろん諸外国にも存在しています。
しかし当記事で言いたい主旨は日本人の場合、
異様に狭い世界でその格付けが展開してしまい、
他が見えなくなってしまうところに滑稽さがあるからなのです。
一番良い例は野球です。
世界的に言うと極めてマイナーなスポーツに何故か熱中しています。
それは歴史や好みがありますから別に良いのですが、
かつての日本人の男は日本シリーズで優勝できるかどうかにのみ異常に盛り上がっていました。
僅か10球団の中での小さなお山のてっぺんの取り合いに夢中になっていました。
それこそ日本人男性のほとんどと言っても良いくらいに野球一辺倒でした。
時代もありますが、元々野球の発祥はアメリカだと知りながらも、
アメリカの大リーグは無視していました。
そして胃の中の蛙のような発言をプロの選手すらも恥ずかしげもなく堂々としていました。
日本の野球の方が優れている、とか。
しかし蓋を開けてみたら大リーグでプレーするのがどれほど難しいのかが今ようやく分かっています。
これに対してサッカーは最初から世界を見ながらJリーグを発足させています。
ワールドカップやオリンピックでの優勝を本気で思いながら頑張っています。
もちろん、日本のレベルはまだまだ低いですが、
ラグビーのようなこともありますから、
やはり上を向いて広い世界を目指しての活動こそが面白いと思うのであります。
だからこそ、今、野球はとても面白くなっていると思います。
かつての狭い世界ではなく、大リーグで本当に活躍したり、
世界大会を開催したり、と。