西麻布、都電の想い出

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「西麻布、都電の想い出」

2015年11月21日(土)

ちょっと面白い趣向で大変興味深い展示会に行ってみた。

「都電残照 ’67 -あるカメラマンが見届けた都電ラストラン-」北区飛鳥山博物館

その昔、都心には道路の至る所に軌道敷があり、都電が走り回っていたとは俄かに信じられないと思う。

それほど都電とは遠い昔の存在になってしまった。

かくいう私にとっても、展示会の1967年という年は小学校入学前の出来事になるため、
記憶にはほとんど残っていない。

私が憶えている都電のシーンは母に負んぶされて、
会社に出掛けて行く父を見送りに西麻布交差点まで毎日のように行っていた場面だ。

今でも広い西麻布交差点近くにあった都電の停車場に独特の形をした都電が現れて父を乗せてどこかに行ってしまうシーンをよく覚えている。

それは幼い私にとって、ちょっと悲しい想い出でもあった。

この展示会においては、60年代の都電の写真が多く展示されていた。

私的には残念ながら西麻布交差点(当時は霞町交差点)を通過する都電の写真はなかったが、
天現寺を通過するものはあったのでとても懐かしく感じた。

しかし自分の心の中では、いつの間にか都電は姿を消していた。

改めてそれは1967年だったのだと展示会は教えてくれた。

そしてその後、都電の代わりに都心には首都高速と地下鉄網が網の目のように張り巡らされ、
高度な現代都市を築き上げることに成功した。

都電・・・もう失われてしまったのか???

ところが今でも東京の外れでは都電荒川線が生き残っている。

この日、私は都電荒川線の始発駅である三ノ輪橋まで行き、
そこから展示会の会場がある飛鳥山まで行ってみた。

都電の残照を感じるにはうってつけの交通手段であったかと。

すると、発車前にチンチ~ンと鳴らすベルの音が健在であったのに気付いた。

当時、自分1人で都電に乗っていたとは考えられない。

おそらくは親と一緒に盛んに利用していたはずだ。

音と振動の記憶が残っていたのには驚いた。

1両だけで運行される都電独特の振動とベルの音。

遠い遠い昔の記憶を呼び起こさせられた。

そしてもう1つ、別の視点での便利さを感じさせられた。

地下鉄に慣れてしまうと電車を降りてから地上に出るまでの長い道のりを当たり前に思っている。

だが、都電では降りた場所が既に地上で目的地に近い場所なのである。

降りる時もバスとは違って階段になっていない。

電車と同じように段差がなく降りられるようになっている。

都電のこのシステムは改めて非常に便利なのではないか?と思わされた。

今の東京の交通は自動車と地下鉄がメインだ。

自動車は渋滞と駐車場難のため、混雑する街に行く時はかなり不便だ。

地下鉄は前述したように、今や深い所から外に出るのはかなりな道のりと成り下がっている。

都電・・・・・

とはいえ、今再び都電を走らせるのは容易な事ではない。

しかしながら不思議なもので、
現在のヨーロッパの都市の一部ではこの都電のシステムがエコな交通手段として活躍しているのが面白い。

ノスタルジーと最先端が混在しているこの交通システム、都電。

とても魅力的な乗り物だと思った。

終わり