SNSの危険 : どうして読むんですか?という発想
先日、教師の友人と話していたら、
SNSについて実に興味深いことを語ってくれました。
彼は職業柄、大勢の生徒達と接しています。
そのため当然SNSの危険性についても生徒達に説明しなくてはなりません。
中高年世代にとっては、一般的に若者の方がSNSに慣れていて、
上手に扱っていると思い込みがちですが、実はとんでもない間違いです。
やはり若者は人生経験が薄いため、
常識・良識のない発言をしてしまうケースが多いのです。
また、自分の置かれている立場や状況を冷静に把握する能力も低いのです。
自分の発言がどのような事態をもたらすのかを理解していません。
そして決定的なのはネットリテラシーの低さです。
この部分についてだけは若者の専売特許ではありませんが。(苦笑)
ネットリテラシーの低さについては、
実のところ慣れたはずの中高年ブロガーでも犯してしまいがちな発想があります。
それが掲題の「どうして読むんですか?」という発想です。
順を追って説明して行きます。
SNSに慣れない人がツイッター、FB、ブログなどで公開記事を書いた場合、
余程文章能力が高ければ話は別ですが、
ほとんどのケースにおいて、一般人のSNSは注目などされません。
せいぜい、友達同士でワイワイとやっているだけです。
もちろん女性がエッチを売りにした場合や、
犯罪者が犯罪を売りにした場合は一気に炎上しますが。(苦笑)
つまり、常識のある一般人が普通にSNSをやっていても大抵の場合は閑古鳥が鳴いていると思って差し支えありません。
1日当たり1000人くらいのPV(ページビュー。何人がその頁を読みに来ているのかと言う総数)があるようなSNSは滅多にありません。
ここで非常に大きな問題が起こってしまうのです。
PVが少なければ当然、見知らぬ人との接点も少なくなります。
身内だけで盛り上がっていれば、当然他人は絡み辛くなります。
そうして例え公開記事を書いていても世の中の人は読んでなどくれないと思ってしまいます。
少々過激な事など書いても大丈夫だと、経験として刷り込まれてしまうのです。
学校でいくら「学校の事を呟くのを止めなさい」と言っても聞きはしません。
必ず何人かの生徒は呟いてしまいます。
そこで教師の友人はちょっとでも危ないなと思う事態があった時、
SNSのチェックをその場で開始します。
非常に詳しい友人はアッと言う間に呟いた生徒を特定します。
余談:このような時、人物特定は非常に簡単に出来ます。
時間、場所、出来事が分かっている訳ですから、
いくら匿名だと言ってもアッと言う間です。
世の中で炎上騒ぎを起こした人達は同様にアッと言う間に人物特定をされてしまいます。
匿名だから大丈夫だと思うのは大間違いなのです。
逆転の発想をしてみましょう。
例えば、クラス内で殴り合いのケンカがあったとします。
それをツイッターで呟いたとします。
「学校でケンカなう」とか。(苦笑)
この時、教師が危ないと判断し、その場でツイッターをチェックします。
はい、直ぐに呟いた犯人判明となる訳です。
何故ならば、今クラス内でケンカと言う事態は非常に非常に狭い範囲の出来事なのです。
過去の呟きと照らし合わせたら秒殺検挙となります。(苦笑)
この発想が、他ならぬ呟いた当人だけは分からないのです。
現場で逆転の発想をした第三者から見れば一目瞭然なのに。
そして当人を呼び出し、
「オマエ、また呟いたな!!ダメだと言ったろうが!!」
とキツく叱責するのですが、
この時、叱責された生徒の反応は実に異様なものだと言います。
それが掲題の「どうして見るんですか?」となる訳です。
そもそも何で特定されたのかが分からない上に、
どうして教師のアンタが生徒のSNSを覗くんだ、失礼じゃないか、くらいの発想しかないそうです。
もちろん友人は「どうしてじゃないだろう?公開記事を書いていれば誰の目にも触れるんだ!!気をつけろ」と諭すのですが、
このような者は決して受け入れようとしないそうです。
実はこの発想、ブロガーにも絶対にあるはずです。
長年ブログをやっていればいるほど、
必ず「嫌なヤツからの書き込み」を経験しているはずです。
この時「どうしてコイツは私のところに来るのだろう?」と言う発想をしてしまいませんか???
相手を恨んでしまいます。
もちろん攻撃的な書き込みや名誉棄損に当たるような発言をするようなヤツの書き込みは言語道断ではありますが、
そもそも公開記事を書いている以上、自分に対して否定的な意見を持っている人も読んでいると言う発想が欠如してしまうのです。
現在のブログの機能は様々な防衛手段が付属していますから、
否定的な意見を誰の目にも触れさせず、ゴミのように捨てる事も可能です。
実際に荒らしからの書き込みはそのように扱うべきでもありますが、
公開記事を書くと言う事は、必ずしも賛同者だけが集まって来るとは限らないと言う現実に対して、
今一度、認識する必要があるかと思うのです。
偉そうな事を書いている私ですが、
私もかなり痛い目に遭って来ております。
変な書き込みもたまに来ます。
ややもするとやっぱり「どうして来るんだ?」と思ってしまいます。
危険な発想だなと、ふと思うのです。
どうぞお気を付けを。
終わり
SNSについて実に興味深いことを語ってくれました。
彼は職業柄、大勢の生徒達と接しています。
そのため当然SNSの危険性についても生徒達に説明しなくてはなりません。
中高年世代にとっては、一般的に若者の方がSNSに慣れていて、
上手に扱っていると思い込みがちですが、実はとんでもない間違いです。
やはり若者は人生経験が薄いため、
常識・良識のない発言をしてしまうケースが多いのです。
また、自分の置かれている立場や状況を冷静に把握する能力も低いのです。
自分の発言がどのような事態をもたらすのかを理解していません。
そして決定的なのはネットリテラシーの低さです。
この部分についてだけは若者の専売特許ではありませんが。(苦笑)
ネットリテラシーの低さについては、
実のところ慣れたはずの中高年ブロガーでも犯してしまいがちな発想があります。
それが掲題の「どうして読むんですか?」という発想です。
順を追って説明して行きます。
SNSに慣れない人がツイッター、FB、ブログなどで公開記事を書いた場合、
余程文章能力が高ければ話は別ですが、
ほとんどのケースにおいて、一般人のSNSは注目などされません。
せいぜい、友達同士でワイワイとやっているだけです。
もちろん女性がエッチを売りにした場合や、
犯罪者が犯罪を売りにした場合は一気に炎上しますが。(苦笑)
つまり、常識のある一般人が普通にSNSをやっていても大抵の場合は閑古鳥が鳴いていると思って差し支えありません。
1日当たり1000人くらいのPV(ページビュー。何人がその頁を読みに来ているのかと言う総数)があるようなSNSは滅多にありません。
ここで非常に大きな問題が起こってしまうのです。
PVが少なければ当然、見知らぬ人との接点も少なくなります。
身内だけで盛り上がっていれば、当然他人は絡み辛くなります。
そうして例え公開記事を書いていても世の中の人は読んでなどくれないと思ってしまいます。
少々過激な事など書いても大丈夫だと、経験として刷り込まれてしまうのです。
学校でいくら「学校の事を呟くのを止めなさい」と言っても聞きはしません。
必ず何人かの生徒は呟いてしまいます。
そこで教師の友人はちょっとでも危ないなと思う事態があった時、
SNSのチェックをその場で開始します。
非常に詳しい友人はアッと言う間に呟いた生徒を特定します。
余談:このような時、人物特定は非常に簡単に出来ます。
時間、場所、出来事が分かっている訳ですから、
いくら匿名だと言ってもアッと言う間です。
世の中で炎上騒ぎを起こした人達は同様にアッと言う間に人物特定をされてしまいます。
匿名だから大丈夫だと思うのは大間違いなのです。
逆転の発想をしてみましょう。
例えば、クラス内で殴り合いのケンカがあったとします。
それをツイッターで呟いたとします。
「学校でケンカなう」とか。(苦笑)
この時、教師が危ないと判断し、その場でツイッターをチェックします。
はい、直ぐに呟いた犯人判明となる訳です。
何故ならば、今クラス内でケンカと言う事態は非常に非常に狭い範囲の出来事なのです。
過去の呟きと照らし合わせたら秒殺検挙となります。(苦笑)
この発想が、他ならぬ呟いた当人だけは分からないのです。
現場で逆転の発想をした第三者から見れば一目瞭然なのに。
そして当人を呼び出し、
「オマエ、また呟いたな!!ダメだと言ったろうが!!」
とキツく叱責するのですが、
この時、叱責された生徒の反応は実に異様なものだと言います。
それが掲題の「どうして見るんですか?」となる訳です。
そもそも何で特定されたのかが分からない上に、
どうして教師のアンタが生徒のSNSを覗くんだ、失礼じゃないか、くらいの発想しかないそうです。
もちろん友人は「どうしてじゃないだろう?公開記事を書いていれば誰の目にも触れるんだ!!気をつけろ」と諭すのですが、
このような者は決して受け入れようとしないそうです。
実はこの発想、ブロガーにも絶対にあるはずです。
長年ブログをやっていればいるほど、
必ず「嫌なヤツからの書き込み」を経験しているはずです。
この時「どうしてコイツは私のところに来るのだろう?」と言う発想をしてしまいませんか???
相手を恨んでしまいます。
もちろん攻撃的な書き込みや名誉棄損に当たるような発言をするようなヤツの書き込みは言語道断ではありますが、
そもそも公開記事を書いている以上、自分に対して否定的な意見を持っている人も読んでいると言う発想が欠如してしまうのです。
現在のブログの機能は様々な防衛手段が付属していますから、
否定的な意見を誰の目にも触れさせず、ゴミのように捨てる事も可能です。
実際に荒らしからの書き込みはそのように扱うべきでもありますが、
公開記事を書くと言う事は、必ずしも賛同者だけが集まって来るとは限らないと言う現実に対して、
今一度、認識する必要があるかと思うのです。
偉そうな事を書いている私ですが、
私もかなり痛い目に遭って来ております。
変な書き込みもたまに来ます。
ややもするとやっぱり「どうして来るんだ?」と思ってしまいます。
危険な発想だなと、ふと思うのです。
どうぞお気を付けを。
終わり