【投稿ネタ】ひな祭りの思い出は?

ひな祭り・・・・・

おそらくこれから先ずっと3月3日が来る度に私は「昨年の3月3日」を思い出すのだろうなと感じている。

娘の高校は伝統的に3月3日が卒業式だ。

今から7年前。

学級崩壊、イジメ、暴力、不登校が蔓延する小学校時代、
絶望的な環境の中で唯一突破口を中学受験に求めていた。

自分が親として家庭的に至らなかったため随分と娘には悲しい思いをさせてしまった。

ギリギリ紙一重の小学校時代だったと思う。

家庭的にも学業的にも私は親としての才能が無かったため、
中学受験も華々しく御三家へ合格と言う訳には行かなかった。

何とか中堅の私立伝統女子校に受かってくれた。

小中高と公立の共学で自由な校風に慣れていた私は、
当初、都心の伝統女子校の校風には面喰った。

恐ろしく厳しい校則があり、先生方の確固たる信念を感じた。

入学式の日、先生は言われた。

「親の皆様は、これから悪魔の年代と言われる中学生の子供に対し、
 大きな不安を持っていらっしゃるかと思います。

 しかし、ご安心下さい。

 私達は高校を卒業するまでにお子様を天使にして皆様の下にお返しいたします。」と。

この自信はどこから来るのか?と思った。

今はもちろんはっきりと理解出来る。

それは歴史と伝統と理念と経験の積み重ねにより築き上げられたものだ、と。

小学校時代は悲惨極まりなかった。

これに対し、中学受験をして入学した娘の中高一貫校においては、
悩まなくても良い事に悩まされなくはなり、
それはそれは快適な環境で学ばせてやれたと思っている。

しかしながら決して順風満帆と言う訳ではなかった。

思春期の女の子は非常に繊細であり、別の意味で様々な事があった。

厳しい校則が嫌になり、辞めたいと言い出した事もあった。

それでも良い友達に恵まれて何とかかんとか卒業までこぎつけられた。

娘の学校は近所に都心で最も人気の高い女子校があり、
その学校の子は「白鳥」と呼ばれ、今でも都内において可愛い女子校ランキングで堂々の1位を取り続けている。

白い絹のリボンが特徴的だ。

それに対し、娘の学校は「カラス」と呼ばれ、黒いポリエステルのリボンだった。

何となく地味な学校で、校風も質実剛健そのものだった。

しかし非常に厳しい校則でありながらも、学校生活はそれなりに楽しかったようで、
大学生となった今も高校時代の友達とLINEで盛んにやり取りをしている。

おそらく、生涯を通じての友達を得たように感じている。

そして昨年の3月3日。

娘は卒業式を迎えた。

この日、卒業生達は伝統的に上履きを履くことは許されない。

あれほど厳しかった上履きの着用はこの日だけは例外的に認められない。

もうここには戻って来られないのだ、と言う事実を知らしめるためだ。

そして「カラス」と呼ばれ続けた生徒達は伝統的にこの日は白いリボンを着用しなくてはならない。

厳かな卒業式が終わり、教室へと戻る卒業生達。

親も一緒に入室する。

非常に厳しかった先生が生徒達に言う。

「健康でいて下さい。絶対に健康でいて下さい。私が願うのはそれだけです。」と。

号泣する親と生徒達。

入学式の日、先生が言われたことを思い出す・・・・・

まあ、決して天使とまでは行かなかったが・・・(笑)

思春期の子供を持った親であるのなら誰でも容易に想像できるであろう。

あの理解不能で毎日毎日が戦いのようだった日々。

それが何時の間にか見事に収まっていたと言う事実。

白いリボンを着用したカラス達が飛び立って行ったあの日、3月3日、ひな祭り。

もう雛人形は飾らなくていいよ、と言う娘に対し、
それでもコンビニで買った雛アラレと小さな雛人形を飾っているのは親としてせめてもの抵抗だ。

今でも私はたまに我が子の年齢が3歳のままであるような錯覚をしてしまう。

しかし、もう時は大きく過ぎているのだ、と思い知らされる。

これから先、新しいステージへと子供は突入して行く。

一体どうなってしまうのかは分からない。

それでも健康であって欲しい。

コンビニで買った小さな雛人形を見て1年前のあの日を思い出す。

終わり