音楽的感動の限界について:マーラー
先日、超音楽マニアの従兄弟と話をしていたらとんでもない事を言い出した。
私:私はマーラーが分からない。
以前、ドイツ語を習っていた時にマーラーが分からないと言ったら、
間違いを指摘された。
間違いを指摘された。
マーラーを楽しめないと言いなさい、と。
如何にもドイツ的な表現だと思った。
あの出だしは完璧だと思う。
圧倒的な迫力で、コレは恐ろしいシンフォニーか!?と思わされる。
でも、それ以降が自分には全く理解出来ない。
ヒョロロ~ホェエ~と力無く延々と続く。
耐えられない。
マーラーの音楽って全てそんな風に聴こえる。
従兄弟:なるほど、なるほど。
マーラーの音楽は線なんだ。
線の細さなんだ。
聴こえるのか?聴こえないのか?
音楽の限界ギリギリを追求してくる。
それが分かるのか?分からないのか?
モーツァルトではない。
バッハもモーツァルトも私は飽きる。
でも、マーラーは飽きない。
う~ん、と唸ってしまった。
従兄弟はバブル時代に発売された恐ろしき「モーツァルト大全集」「バッハ大全集」の所有者だったからだ。
当時、全てを懸命に聴きこなし、少なくとも現在人類が聴けるモーツァルトとバッハの音楽の全てを聴いた上での発言だったからだ。
マーラーの音楽の魅力は「線の細さ」にある???
これは音楽の基本に反しているように思う。
フォルテだとかピアノだとか強弱の指示はある。
けれども消え入るような線の細い音に魅力を感じろ、と???
現代の音楽は重低音を効かせた大音量の激しい音楽もあるし、
静かな泣かせるような旋律の音楽もある。
しかし、線の細さ、だと???
この感覚は言い換えると「音楽的感動の限界点を突いてきている」とも言えるのではないだろうか???
やっぱり、出だしは完璧だと思う。
オルガンにより重厚な和音を鳴らし、合唱が続く。
この強さ。
この旋律。和音。まさに完璧かと。
しかし、どうだろうか???
この動画においては3分10秒までは圧倒的だ。
しかし・・・それ以降・・・
1時間24分38秒も・・・「線の細い音楽」が続く。
ここに音楽の天才性を見い出し、感動を覚える業は・・・・・
今のところ私には無い。(大苦笑)
(>0<;
終わり