災害対策:女性の視点で

ブログ友達の記事で非常に興味深い事が書いてあり、
それは災害対策と繋がっていると感じたので記事にしたいと思います。

その内容がどんなモノなのかはプライバシーに深く関わりますので割愛させて頂きます。

以前にも書いたことはありますが、
もう少し掘り下げて書いてみます。

3.11が起こった時、原発事故について書いたら、
典型的な荒らしコメントが来ました。

それは独身の気味の悪い男からのモノでした。

もちろん秒殺で削除しましたが、そのブログの内容は典型的な悪い意味での独身男のソレでした。

例えば、自分は1人暮らしからなのか、
「オレなんかトイレットペーパーは1個あれば1ヶ月は持つ。
 買い漁る主婦は浅ましい。」と堂々と書いていました。

この種の男は「家族」と言う視点が欠如している上に、
男性特有の攻撃性があるため、
家族が5人いたら食料もトイレットペーパーも「×5」になると言う単純な数式すら分からなくなってしまうのです。

口汚く自分のブログで書くだけならまだしも荒らし行為まで仕掛けて来るとんでもない男でした。

しかしながら。

このような視点で語る男は案外多いのです。

実のところ、独身の男は非常に身軽な上に、体力もあるし、
何もかも失ってしまう災害時には強者になります。

そもそも失うモノがほとんど無いのですから。

もちろん、自分の親や兄弟を失った場合は別ですが、
実家から離れて遠方で暮らしているような上記のようなタイプの男は、
非常に無責任でいい加減な言動を繰り返します。

絶対にその種の言い草に耳を傾けてはならないのです。

災害時、真っ先にヤられてしまうのはお年寄りや子供、女性です。

自然の猛威を前にした時、少しでも抵抗出来るのは人間の場合、
大人の男しかいません。

これは冷徹な事実です。

消防署や軍隊の本当の精鋭部隊は男性だけで構成されています。

生きるか死ぬかの究極の救出場面においては、
力と技術と知恵が必要とされます。

どれか1つでも欠如していたら助けられません。

残念ながら女性と子供、年寄りには「力」が無いのです。

1例だけ挙げます。

以前、某所で川の急な氾濫で流されてしまい、
父親だけが助かった事件がありました。

この時、何故父親だけが助かったのか???と、
父親を疑うような発言を見てしまいました。

妻と子供だけが死んでしまい、おかしい、と。

残念ながらこれは自然を前にした時の人間の弱さをまるで見ない発言であると思えます。

さて、男性から見ると、女性や子供、お年寄りと言う存在は、
自然に関わる活動を共にしている時、
鬱陶しく感じてしまうのは事実です。

心の中ではこう思ってしまいます。

「つかえないな~」と。

これはそっくりそのまま災害時にも当てはまります。

今回は女性について焦点を当てたいと思います。

女性は死ぬまで「美」に拘りを持ち続けます。

もちろんソレは男性が美に拘るからそうなってしまうのだと言う反論もあるでしょう。

その理由はともかく、女性の美への拘り、
つまりカッコをつける行為への拘りは男の想像を遥かに遥かに上回っています。

ようやく最近になって最新の災害対策で語られるようになっていますが、
当ブログにおいても何度も何度も記述している事です。

災害時、一番大切なのはトイレなのだ、と。

実際、阪神淡路、新潟中越東日本大震災において餓死者は出ていません。

しかし、震災関連死は多数出ているのです。

「震災関連死」・・・・・

このほとんどがエコノミークラス症候群と呼ばれるもので、
死者はほぼ全員女性です。

その数は想像以上に多いのです。

何故、こんな事態になってしまうのでしょうか???

震災直後、トイレは穴で掘ったような場所でしか出来なくなります。

運良く仮設トイレが出来たとしてもその数は非常に少なく汚い上に行列します。

すると女性はどういう発想をしてくるのか???

これは野外活動をする女性がよくやる方法です。

飲まず食わず。

水分摂取を極力控え、小も大もやらない選択をしてしまうのです。

エコノミークラス症候群でそんなに沢山死ぬ訳はないだろう?と考える人は甘過ぎます。

これまた男性特有の考えなのです。

女性の行動特性を知らないから、安易に非難をしてしまうのです。

この女性の行動特性は変えようがありません。

もちろん、災害時は緊急の事態ですから対処できる方法には限度があります。

しかし、間違いなく、私達が避難所生活や不便な生活を支援する側になった場合、
このトイレの問題や、女性の美に対する拘りを無視するのは余りにも惨すぎます。

例え離れた場所であっても、外で小用やら大は絶対に出来ないと言う発想をして来るのです。

避難生活においても、着替えの時は見られたくない、と考えるのです。

ワガママと言えばワガママでしょう。

しかし、彼女達は放っておいたら間違いなく死の危険すら省みず実行して来るのです。

災害対策を語る場合、弱者の思考を抜きにいくら議論しても役に立たないと私は思っております。

罷り間違っても「男の論理」で災害を語ってしまったらとんでもない事態になってしまいます。

細心の注意が必要であると思います。

終わり