映画:クロワッサンで朝食を(原題:UNE ESTONIENNE A PARIS)
制作:2012年
監督:イルマル・ラーグ
主演:ジャンヌ・モロー
制作国:フランス、エストニア
さて、この映画。
Yahoo!映画の評を見ると5点満点中3.7点と言う評価だった。
ほほぉ~と唸った。
なかなかどうして、この日本にも「分かっている大人」がいるのだな、と。
間違いなくこの映画の評価は2分されると思う。
はっきり言ってしまうと、通常「見」ている映画がアメリカ映画や、まして日本のジャリタレ映画だった場合、
最初の10分で嫌になることを保証する。
この映画を「観」て何かを感じるためには、常日頃からヨーロッパの何らかの作品に触れていない限り無理だと思う。
アメリカや日本と何がどう違うのか???
ヨーロッパとは老大国であり、大人のための娯楽、大人のための作品が数多く用意されている。
これらを楽しむためにはある一定の年齢、体験、教養、知性、そして感性が要求されて来る。
老いて行く人生をどう感じ、どう生きて行こうとするのか???
失われた若さと、それでも輝きたい自分と。
私達日本人はそういった考えを封印する。
老人は性とは無縁なのだ、と。
私達は性の超越者でなくてはならない、と。
もっと言ってしまうと、老人や障がい者や被災者に性は必要ないのだ、と。
臭いモノに蓋をして見ないようにするのが私達日本人の特質である事を思い知るべきであろう。
だからこそ、いざその時が来た時に大問題が巻き起こってしまう。
いい年をして何をやっているの?と。
人間の本質とは一体どういうものなのか???
これを決して考えない。
だが、この老大国の映画は、その種のことを徹底的に抉り出して来る。
主人公のフリーダは80代の女性だ。
家政婦のアンヌは50代の女性だ。
この映画のストーリーはエストニアと言う「どマイナーな国」で老人介護をしていた中年女性アンヌが、
自分の母の介護もし、死を見届けた後にパリに出て来る話だ。
同じエストニア出身のお金持ちの老人フリーダの家政婦として働き始める。
ヨーロッパ文化の真髄とは何か?と言うことに対し、
個人主義・・・結局のところ、これは老いた者に対し強烈な「孤独」を突き付けて来る。
映画全体を通して雰囲気は暗い。
華やかなパリの街は出て来ない。
それらは全て華やかには描かれていない。
夜の人のいないパリの街を散歩するアンヌ。
暗いショーウィンドーに映った老いた自分を見詰め、
ショーウィンドーの中に飾ってある最新の服や下着を無表情に眺める。
クロワッサンを買いにパン屋に行くが、
そこにドラマは何もない。
金持ちの老人は豪華な食器と家具に囲まれて暮らしてはいる。
しかし、笑顔はない。
全てが日常の冷たい孤独なワンシーンとして描かれている。
まるでギュスターヴ・カイユボットの絵画作品のように。
それでも心の奥底のどこかではまだ「何か」を夢見ている。
人間の幸福には3種類あると現代心理学は教えてくれている。
・パワー動機(勝つことによって得られる喜び)
・達成動機(強烈な目的を持ち達成させる喜び)
・親和動機(人と仲良くすることで得られる喜び)
これらのうち、親和動機だけは非常に厄介な存在と言える。
何故なら「相手が必要」と言う一点において自分だけの努力では何とも出来ないからだ。
孤独とはまさしく親和動機に由来している。
フリーダのかつての愛人だったこれまた50代の男が出て来る。
今でも良い友達関係は続けている。
男がパリに出て来た若かりし頃、当時中年女性だったフリーダの愛人になり、
カフェを持たせてもらった男。
男も女も別に愛人を作って気ままな男女関係を続けていた。
それでもかつての恋人フリーダを気にかけて家政婦を派遣させた男。
「いい大人の男」を見事に演じていたと思う。
フリーダと寝るシーンが出て来る。
かつての「男」の胸を触り、そのまま股間へと手を当てるフリーダ。
「何をしている?」と男が尋ねると・・・・・
「思い出よ」と。
フランス映画・・・そう、フランス映画なのだ、と感じた。
しかしながら、普通のフランス映画とは決定的に違っている要素がある。
この映画監督はエストニア人なのである。
パリを異邦人の目から見ているのである。
純粋なパリジャンやパリジェンヌが感じているパリとは違う。
フランス人は得てして悲劇的なエンディングを好む。
だが、エストニア人が監督をすることにより違った結末となる。
必ずしも明るい未来とは言えないが「希望」を見せて終わる。
私的な感想。
最後まで引き込まれてしまった。
演技力。
素晴らしいと思う。
しかし、誰にでも自信を持って勧められる映画では決してない。
人間の本質とは何なのか???
人生とは如何にあるべきなのか???
この種のことを常日頃から考えているヨーロッパ好きの人にしか無理であると思う。
そんな事を考えながら、今朝、クロワッサンを食べながらこの記事を書き上げた。
終わり