「春のバロック・コンサート」荻窪教会(東京・荻窪)
2014年3月29日(土)
今日はブログ友達のソナタさんのコンサートに行って来た。
今年で3回目となる。
私的には春の風物詩となっている気がする。
つくづく私はバロック音楽が好きなのだな~と思う。
世界に冠たる大都市東京と言えども、古楽器のコンサートってほとんど無い。
現代はラ(A)の音を440もしくは442ヘルツで調律している。
しかしバロック時代は415ヘルツだった。
さてさて。
毎回思うのだが、このコンサート、かなり人が来る。
そして思う。
世の中には案外古楽器を好んでいる人は多いのだ、と。
音楽は絵画とは決定的に違っている。
私はソレを「嗜好の壁が高い」と表現している。
絵画好きの場合「私はゴッホしか観ない」と言うような人はほとんどいない。
色々な画家の絵を鑑賞する人がほとんどだ。
しかし音楽は違う。
ロック好きな人はロックだけになってしまう確率が非常に高くなってしまう。
そして一旦確立されてしまった音楽の分野の垣根を越える事は困難になる。
相互の交わりは余程の事がない限り、音楽の場合は無いと考えて良い。
さり気なくコンサートに来ている人の会話を聞いてみると、
誰かに連れられて初めてと言うよりは「凄まじいマニア」がほとんどに見えた。
誰かに連れられて初めてと言うよりは「凄まじいマニア」がほとんどに見えた。
中には福島県から来ている方もいた。
古楽器の演奏が聴きたい人が多いのは実に面白い。
こういうコンサートがもっと増えてくれればと思っている。
↑パンフレット。
さて、最初にパンフレットをもらった時にとても驚いた。
今年は趣向を大きく変えて来た。
会場で頂いたパンフレットには、変更(追加)があり一番最初にバッハを持って来ていた。
しかし、だ。
これ、オルガン。
しかも教会に相応しく宗教曲。
そして・・・・・
選曲した人に一体何があったと言うのか???(笑)
さて、楽曲をそれぞれ解説して行く。
何となく教会で演奏されるオルガンは厳かに聴こえる。
そしてオルガン演奏はヴィオラ・ダ・ガンバを演奏する方と同一人物。
複数の楽器をこなせる人って凄くカッコ良く見える。
かなり驚いた。
それにしてもバッハのオルガンの宗教曲は良く出来ている。
まさしく教会向けだ。
最後の方にペダルを多用する箇所を持って来て一気に盛り上げて終了する。
そして、メンバーが出揃って、いよいよ本格的に始まる。
サンマルティーニ
最後のアレグロでリコーダーが小刻みで速い音を出していたのが印象的で面白かった。
続いてテレマン。
ヴィヴァーチェ→ラルゴ→プレストとこれまた緩急のある形式。
テレマンの曲って良いなと感じている。
明確な主題が展開して来ると言うのだろうか・・・・・
ヴィヴァーチェとプレストが技巧的に凄い。
次にジョン・ルイエ。
つくづく思う。
非常に明確で揺るぎない旋律を奏でて来るが、
決して主張は強過ぎず、聴き手を何とも言えない朗らかな気持ちにさせる。
決して主張は強過ぎず、聴き手を何とも言えない朗らかな気持ちにさせる。
時に天上から舞い降りて来るような神がかり的な音を出して来るかと。
特に最後のアレグロ。
ガンバって低音が主体なのでややもすると派手な高音のリコーダーの音に耳が行ってしまい、
見逃されがちだが、特定の場所で超ド派手に暴れるシーンがある。
見逃されがちだが、特定の場所で超ド派手に暴れるシーンがある。
それを聴き逃してはならない。
その時のヴィオラ・ダ・ガンバの暴れっぷりは素晴らしかった。
非常に激しく左手が動き回り、重低音を恐るべきスピードでかき鳴らす。
ユーチューブなどでも見る事は出来るが、
実際の生で間近に見ると迫力の度合いが違う。
実際の生で間近に見ると迫力の度合いが違う。
ズーーーーーンとそもそもが重いガンバの音が高速で連続して暴れ回る様は感動的だ。
そしてこの曲の後に15分の休憩となる。
この休憩時間はチェンバロの調整となる。
古楽器は非常に繊細なので、長い時間の演奏は出来ない。
小まめに調律を繰り返さないといけないのである。
やけにカッコ良く見えた。
(^^;v
(^^;v
そして後半へ。
ヨハン・クリスティアン・シックハルト
ガンバがいきなり激しく入って来るし。
リコーダーも単音を鳴らしっ放しにして来るが、
激しい運指も見せる。
激しい運指も見せる。
極めて技巧的。
しびれた。
ミシェル・ヴラヴェ
この曲も緩急が繰り返される典型的なバロック音楽。
そして再びテレマン。
速い。
最後のアレグロも素晴らしい。
大変好みだった。
リコーダーが高音域を高速で激しく動き回るのが大変Good!!
↑リコーダー各種。
私的にはチェンバロの音色を一番好んでいる。
やっぱりチェンバロの音って素敵だと思う。
↑まさかのパイプオルガン。
それにしてもコンサートに行く度に思ってしまう。
演奏家と聴衆の違いは何だろうか?と。
また、現代の聴衆のレベルの高さと落とし穴について。
繰り返し音楽を聴けると言う点において、
明らかに昔の人よりは遥かに遥かに耳が肥えていると思う。
明らかに昔の人よりは遥かに遥かに耳が肥えていると思う。
しかしながら、ここには欠点が潜んでいる。
好きな楽章しか聴かなくなると言う点だ。
音楽とは簡単に飛ばして聴けるモノ、と。
けれども、本来の音楽とは作曲家が意味を考えて組み立てられて作られたものだ。
それを安易に簡単に飛ばし聴きしてしまう現代人。
本来の音楽の楽しみ方からはズレているようにも感じている。
演奏家の人達は当然違う。
全ての楽章をマスターしなくてはならない。
音楽とは本来極めて「刹那」な存在なのだ、と。
コンサートに行くとソレを嫌と言うほど思い知らされる。
繰り返しはない。
それが音楽と言う存在の本来のあり方なのである、と。
現代においても実は変わっていないのだと思う。
録音とはあくまでも記録なのである。
ビデオでもそうだ。
非常に貴重で素晴らしい技術ではあるが、
音楽とは本来音だけで構成されていないと言う事実。
音楽とは本来音だけで構成されていないと言う事実。
それがコンサートであり、それが音楽なのである。
音楽の楽しみを享受できるなら、
迷わず享受しておくべきであると思う。
迷わず享受しておくべきであると思う。
今、この瞬間を楽しむのを躊躇ってはならない、と。
人間の明日なんか誰にも分からないのだから。
帰りの電車の中、iPodから流れて来る音楽を聴きながらそんな事を思っていた。
終わり
追記:つくづく思うのだけれど。
バロック時代の音楽って、知らない作曲家、知らない曲が凄く多いと思う。
今やCDやユーチューブですら聴く事が叶わない曲がかなりある。
残っているのは楽譜だけの状況。
今回もそうだった。
極めて貴重な体験であると思う。