達筆
先日、暑い最中「樋口一葉記念館」(東京・三ノ輪)に行った。
書道博物館の場合は中国の物が多かった。
千字文など知らない展示があり非常にためになった。
さて、樋口一葉記念館はとても空いていてゆっくりと見学ができた。
明治時代、欧米列強の進出を受けて、明治の偉人達は恐れた。
このままでは植民地にされてしまう、と。
欧米人のパーティーに招かれた偉人達は度肝を抜かれる。
そこには欧米人の妻達が列席していて、
見事な教養を持った貴婦人が堂々と会話に加わっていた。
見事な教養を持った貴婦人が堂々と会話に加わっていた。
余談:そのうちの1つが現在は渋谷区広尾にある「東京女学館」である。
だが、当時はそれでも金持ちの一部の女性しか教育を受けられなかった。
樋口一葉は才覚溢れる女性だったが、教育を受ける事は叶わなかった。
それでも・・・樋口一葉記念館で私が目にしたものは・・・
見事な「達筆」だった。
そして、美しい、と思った。
昔の日本人が書いた「書」は美しい。
皆、笑っていた。
確かに面白い番組だった。
でも、本当に我々は西村知美を笑えるのか???
その時に笑った人は浅香光代氏の手紙を読めたのだろうか???
戦後教育を受けた者は皆、行書体や草書体を習っていない。
少なくとも私が知っている日本語の「書」は楷書体だけだ。
これが合理主義と言う名の教育なのかも知れない。
だが、私達は間違いなく「書の美」を失ってしまったと思う。
私は樋口一葉記念館において、教育を受けられなかった昔の女性達に思いを馳せた。
一体どこでこの美しい文字を習ったと言うのか???
翻って現代の私達。
パソコンとネットを駆使し、大量の文字情報をやり取りしている。
地球の裏側の住人とも瞬時にやり取りが出来る時代に突入している。
現代人こそが、文明の頂点にあると思い込んでいる。
けれども・・・今、私はパソコンの前でブログを書いているが・・・
少なくとも、ネットの世界の文字に「美」は感じていない。
我々は高度でスピーディなツールを手にした代わりに、
間違いなく「何か」を失っている。
間違いなく「何か」を失っている。
それは「美」だと思う。
終わり